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古着とOL#004 服は雑貨です 後編

古着の話をしない回、ふたたび

さて前回は「雑貨が好きで古着をさほど着てなかったワタクシ」の服の変遷でした。
その前に語るべきは、己の中の服と雑貨の関係についてだと前回の記事から思い至りました。

おやつから考える雑貨…の先にある服考

そこで?!最近の私のお気に入りのおやつ・マクビティビスケットの紹介です。以前のと違って今は英国製で、中パッケージに日本語がなく、見た目が雑貨的でとっても可愛いんですね。お値段も二百円ほどでチャーミング。

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↑「吾輩は雑貨」な風格の現マクビティ

コレ、以前は明治製菓から日本製が発売されていて見た目が全然違うのですよ。一言で言って↓こっちは”純然たるお菓子”で雑貨未満なのです。この感覚わかってもらえますか?ですので現行品の「雑貨魂」にキュンとしますね。

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↑あくまで"お菓子"の域を出ない明治製菓のマクビティ

雑貨好きの服の定義(筆者の場合)

 ここでやっと服の話です。私は服は「着るもの」以前に”グッズ”としてみています。近視眼的。手に収まる部分を見ています。例えばディズニーランドに行ってキャラクターグッズを品定めする目線と変わらないのです。つまり前段のマクビティと同じ扱いです。
 まず、モノとしてカワイイのかカワイクないのか?が問題で「引きの目線」がないですね。コーディネートという概念すら存在しないのかも。選んだ服が単体でモノとして完成されすぎて、いざ着てみたら「自分の顔がジャマ」という本末転倒な事態(事件)さえ発生しかねない。
こんな事件って「服好きの服選び」に起こり得るんでしょうか?

例えば、駅ビルに入っているお店、
①服 ②雑貨 ③飲食 のうち①と②は服装自由③はたいてい制服です。そのとき「服屋さん」(販売員)の服選びは、「全体をコーディネートして初めて作り出せる世界観」に重きをおいているように思います。一方「雑貨屋さん」の服選びは「柄がかわいい(柄にストーリーがある)ワンピース」を選ぶような「モノ・柄」ありきな選択な気が…というか私がそうなんです。なぜか服がザッカり(©福田里香さん)して、服単体がキャラ立っちゃうのが、雑貨屋の性根ってもんでしょう。

おしゃれの問題・なやみ

①法則‣フェミニン×マニッシュがわからない

そのようにグッズや雑貨として服を見ている私の頭の中では上記の↑よく提唱される法則がよくわかんない。ただし、ここ最近はジェンダーレスな洋服でシルエットも茫洋としてアウトラインがはっきりしない「雑貨として見どころのない服」(!!!スミマセン)の流れも出てきた2020年代。これは、もはや時代遅れな発言かもしれません。

②法則‣古着ミックス? ”ハズシ”がわからない

私が古着屋さんで買い求めていたのは60~70年代のフランス映画女優ファッションだったので「今の古着コーディネート」とズレている気がします。ハズシの感覚が分からず「力業の”ハズシ”」は「変わった格好をしている」というジャッジを下されてしまいそうで、ファッションのプロたる服屋さん(古着屋さん)・美容院が怖いです。古着は「”おしゃれ猛者”のもの」な気遅れ感バリバリです。

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私にとって古着とはジーン・セバーグの👗を探す旅路でありました。

…とまあ、ここまで息も絶え絶え?服・古着・おしゃれの苦悩をうちあけてきましたが、やはり言われぬ「古着」の魅力もある気がして…。やっぱりこの後どう続くのかわからないまま、舌ももつれたままダラダラと「古着とOL」の話をまだまだ語ってしまうのです。

…(たぶん)つづく。

表:書いたもので「恥ずかしさの先頭に立つ!」 裏:読んだあとに「なんとはなしにおしゃべりしたりお散歩したくなるような…」そんな”かの地”まで帆走おねがいします。