今夜は生きるための文章を書かせて
このnoteを読んでくださる方は既にご存知かと思われますが、
普段私は所属する会社の広報として「会社」が主語の文章を書いています。
1ヶ月に4本の記事を書き上げる。
字面で見ると簡単そうですが、
企画から、取材、構成、初稿、修正稿、掲載写真の撮影、現像、入稿、、、
そんないくつものプロセスを経てやっと公開に辿りつくので意外と大変です。
広報が立ち上がった6月から、毎日少なくとも3時間は文章を書いているのですが、それに伴って私の中で大きな変化が起きました。
「書きたい」気持ちが湧きあがってこない
起きた変化は、良いものと、個人的にはよろしくないもの。
良い変化は、
■ 言語化能力があがった
■ 表現のボキャブラリーが増えた
■ 本を読む時間が増えた
■ 人の文章をよく観察するようになった
■ 話の内容だけでなく、文章のつくられ方(構成)も捉える意識をするようになった
などなど。
反対によろしくない変化は、
■ 子供の頃から書き続けている日記の文章量が圧倒的に減った
・・・これです。圧倒的なんです。
これは私の感覚でしかないですが、人が1日に書ける文字の量は決まっている気がしています。
仕事で文章をたくさん書いていると、家に帰ってプライベートな文章を書く意欲が減ってしまうのです。日記を書くのが億劫なわけではありません。書きたいという気持ちがあまり湧いてこないのです。
日記をこれまで続けてこられた理由はたった一つ。書くのが楽しくて「書きたい」と思う気持ちが強かったから。それなのに筆が進まない。自分を律さないと日記を開こうともしない。
良いことがあったから残しておきたいとか、嫌なことがあったからストレス解消に書きたいとか、私の日記モチベはそういうものでもないのです。
日常を書き留めたい。ただそれだけだったんです・・・
本当はもっと、切り分けなければならない
先日上司からもらった、
「岡は詩人が強い。もっと主語を意識して、誰として書いているのかを意識した方がいい。岡個人として書いているのか、広報の岡として書いているのか、会社として書いているのか。役者のように演じ分ける必要がある」というアドバイスが自分の中ではしっくりきています。
これまで好きなように好きなテーマで感覚的に書いていた日記の中の文章。
日記を書くのが好きと、文章を書くのが好きは必ずしもイコールではないことを身をもって体感しています。
でも、でも、それでもやっぱり、「書きたい」と思った時の自分の感情は大切にしてあげたい。
だから今日は「生き延びる」ための文章ではなく「生きる」ための文章を書きます。
「生き延びる」ための文章を書くためにも。
「生きること」と「生き延びること」は違う
「生きること」と「生き延びること」は違う、といいます。
これは会社の先輩に教えてもらった本に出てくる一節で
私としても、なんというか、しっくりきています。
ここでいう「生きのびる」こととは、生命体を維持するということ。
簡単に言うとサバイブするということです。そのために、私たちはお金を稼がなくちゃならないし、社会的通念にのっとって生活をしなければなりません。私たちが学校や社会で身につけることばは、生き延びるに特化したもの。
では、「生きる」とはどういうことでしょうか。
「生きのびる」ことには、生命を維持するという唯一絶対の目標があります。しかし、「生きる」ことには個々人に目的があり、しかもそれぞれの目的がどこか一定の方角に定まっているわけではありません。生きることは難しい。しかし、その中で「生きる」ことを志向するのが、短歌というものです。
短歌に必要なことばは、生きるに特化している。良い短歌を詠むには、社会で矯正された感覚をほどいて、「生きる」をよくよく観察するのです。
(穂村弘著『はじめての短歌』から抜粋しています。興味がある方は是非読んでみてくださいね)
この本を読んで、短歌とは不要なものを肯定することなのかもしれない、と思いました。
会社の先輩と3人で、短歌もしくは詩を書いて共有するという会社非公認のグループチャンネルを作っています。
そこでは各々が自分の好きな主語、好きなテーマで文章を書いて提出します。
私の「書きたい」という気持ちが低下し日記の文章量が減ったことによってぽっかり空いてしまった穴を、このチャンネルが埋めてくれている気がします。
この活動はビジネスにおいてサバイブする(生き延びる)ためには不要なものだとしても、自分が健やかに生きるためにはとても重要なことなんです。
今日はそのグループで共有している文章をnoteにもちょこっと載せちゃう。
あはは。初めて表に出したのですが、なんだか恥ずかしいですね。
ふわふわと思い浮かべている言葉を繋げて、こうしてちゃんと見えるようにしてみると結構楽しいものです。
このnoteもおんなじ。久しぶりにこうやって好きなように、何も気にせず、つらつらと文章を書けて幸せでした。
会社で自分の文章にたくさん赤入れしてもらって、たくさん気づきをもらって、そうやってだんだん良い文章が書けるようになるからこそ「生きる」ための文章を書くのもより楽しくなるのかもしれないですね。
精進します。
文章が面白い人は話も面白い。
まとめ方もよく分からないですが今日は自由な日なので。
ここから先は有料にしていますが、
最後にあるのは購入してくださった皆さんへの感謝の一文です。
私が生きるための文章を書き続けられるように、
もしご支援くださる方がいらっしゃいましたらこちらの記事をご購入ください。
私はまっすぐ、大きくなって、きっとあなたにお返しします。
それでは。
ここから先は
¥ 1,000
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?