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〈小説〉濁り水

 今は入院して病院のベッドにいるはずの父の声が聞こえるような気がして眠れなかった、と妻は言った。肺がんに冒されて左の肺はもうすっかり酸素を取り込む機能を失っている。しかし、右の肺だけでも息苦しさをそれほど感じない生き方が、人間にはできるのだそうだ。「馴れ」なのだそうである。少しずつ移し替えていけば、鯛だって真水で泳ぐ。医者はそんな喩えを説明の中に紛れ込ませた。
 ヘルパーさんや訪問看護の人たちの世話になりながら、在宅での一人暮らしを通してきた義父であったが、とうとう生活が持たなくなった。早朝の五時半に電話が鳴り、妻があわてて出ると、義父が自分の今いる場所がわからないという。腹が減ったと言う。冷蔵庫に何かあるでしょというと、冷蔵庫はどこだと聞く。廊下をまっすぐ行って右側だと説明すると、右がどちらかわからないという。その日から数日は、義父の件で妻はあちこちと駆け回り、何とか病院にあずかってもらえることになった。その手続きも済み、これから何が起こるのか、まだまだ見通しは立たないものの、それでもようやく一安心のできるはずの夜だったのだが、妻の耳には義父の声がつきまとい続けていたのである。

 小さな子どもの白い頬に、躑躅の花の明るい紫がみごとに照り返す季節である。町を歩いていると、どこからか水の音が聞こえる。側溝には水の流れる様子は見えない。道路の真ん中あたりにマンホールがあり、おそらくそのマンホールの蓋にある小さな穴から、聞こえてくるようだ。姿の見えない水がからからと音を立てている。
 水と言えば、「撰集抄」にこんな話がある。慶滋保胤は横川の恵心僧都を訪れた。保胤が戸を開けると、僧都の部屋には水が漫々と湛えられていた。部屋が水浸しになっていたというのではない。「常に住み給ふ所をあけて見給ふに、水湛へて僧都も見え給はねば」と書かれている。部屋を開けて中を見た保胤の方へ水があふれてきて、保胤も濡れてしまったとは書かれていない。ただ部屋に水が漫々と湛えられているという光景は不可解だ。想像することはできる。しかし、それはあくまでも幻視としてであり、現実の光景としてあり得るものとは思われない。水の湛えられた部屋を見た場面に、保胤は「いかさまにもやうある事とおぼして」とあるのだから、やはり事情が呑み込めていたわけではあるまい。そのとき保胤は、その水が僧都の変化したものと知っていたのだろうか。僧都は「常は観法を修して、我身ならびに一室を悉く水になし給ふわざをなんし給ひける」という。「観法」とはいわゆる「水想観」のことで、水の澄み清らかなるを見て極楽浄土を思うことだという。水想観によって心を水のごとく澄み切らせることが極まれば、肉体もまた水と化するということか。説話では、保胤はこの後、水に向かって枕を投げたという。次の日、恵心僧都が胸に枕のつかえているのを苦しがり、さてはあの水は僧都だったのかとためらいなく察知するという次第なのだから、保胤は、僧都が観法を修していたことは知っていたはずである。知っていたとはいえ、あの水が僧都の変身したものだと確信することはできなかった、と考えるあたりが穏当だろう。それにしても、水に向かって枕を投げるという心理は、これはこれでまた不可解である。

 都心から急行で三十分くらいと言ったところだろうか。丘陵地帯が平野にぶつかる突端のあたりにこの町はある。斜面を切り拓いて造成された宅地が多いのは、そのためであろう。ある時、造成中の工事現場から、丘陵に保持されていた地下水が湧きだして、バス通りの路面が何日にもわたって水浸しだったことがある。私たちが日々の生活を何気なく送っている地下には、思いのほか大量の水がふくまれている。マンホールの下から聞こえてきたあの水音も、なるほどと合点の行く心地がする。それにしても、水の上に浮かぶ我らが日々と思うと、ただでさえ気忙しい毎日が、ますます不安定に感ぜられ、時々眩暈がすると妻が言うのも、そのせいかと思われてくる。
 私たちの足下の土にふくまれる大量の水の上に、さらに雨まで降ってくると、水は行方を失いかねない。ましてやアスファルトで固められた道路では、水は地面に滲み込むことができない。そんなわけで、雨水調整池というものが作られるのだろう。この近辺には、ちょっと歩けばすぐに五か所くらいは見つけられる。見下ろせばほぼ垂直に四メートルほどのコンクリートの壁に四方を囲まれた、宅地四区画分くらいの広さの四角いくぼみである。上には二メートル半くらいだろうか、金網のフェンスがその周りをぐるりと囲っている。雨が降るたびに、側溝から水が流れ込むが、水涸れの時には、打ち込まれたコンクリートの上に、雨水とともに少しずつ流れ込んで堆積した土が、白く乾いてひび割れた様子を見せる。水がたまっている時には、どこかから水鳥が飛んできて、水面をゆっくりと泳いでいる。アメンボが水面をせわしなく動いている。植物たちはそれ以上に旺盛に生命を繁茂させている。底に堆積した土の厚さはたいしたものではないだろうに、一メートル以上はあろう名も知れない草の葉が、幾株もよく伸びている。雨水調整池へと流れ込む水の取り入れ口あたりには苔が生え、その苔の上に土がたまり、さらに幾重にも苔が生じている。すると、その苔と土との層に、どこかから種が飛んできて芽を出したということなのだろうか、壁面にへばりつくようにして、盛んに葉を出している植物もある。無機質なコンクリートのくぼみの上に、砂や泥の細かい粒子や様々なプランクトンたちがその中を浮遊している。濁った水が、豊かな生命をそこにあらしめている。

 義父が亡くなったのは、入院から二週間ほどのことであった。病院から急変の報を受け、あわてて駆け付けて病室の戸を開けた時、義父はもう全く静かであった。肉体はたしかにそこにあるのだが、義父は義父としての己の意識をもう持ってはいなかった。医師による死亡の確認が、やりきれないくらいに形式的に行われた。おそらく、それよりずっと以前に、義父は自分の人生からそっと抜け出し終えていた。病室の空気はまるで完全に澄み切った水のようであった。一室に漫々と湛えられた水……。
 極楽浄土がえも言われぬ美しい世界なのは、そこが死の世界だからに他ならない。この世に生きている人間に必要なのは濁り水だ。澄み切った水を求めるようになったら、死の兆候だ。

 「夢の中でのことなんだけどさ、ずいぶん湿っぽいところを歩いているんだ」と友人が言う。大学時代の恩師が亡くなり、その通夜に参列した後のことである。久々に会った友人が、もうちょっと飲んでいかないかというので、駅前の居酒屋に入った。飲み始め、まだ酔いもまわらぬうちのことだ。だれかが死なないと会う機会もないね、などという挨拶から始まったささやかな酒宴は、何かを遠回りするような感じで続いていたが、やがてさきほどの話題になった。うす暗く湿った場所を、足を引きずるように歩いている。やがて腰までぬかるみにはまりながら、必死に何かに追い縋ろうとしている。そんなふうに見えたという。「おまえがだよ。俺の夢の中でなんだけどね。」「なんだ、俺の話だったのか。」「久しぶりにおまえの顔を見たが、別に死相も現れてはいないようだね。」「それはそうだ。だって泥水の中を歩いていたんだろ、俺は。」
 地元の駅まで帰り着いたのは夜中頃で、少し霧が出ているようだった。道端にはもうドクダミが白い花を咲かせる季節になっていた。街灯が霧の粒に反射して光の球を形作る中を、酔いを含んだ足取りで、ゆっくりと歩いた。急な坂を登っては下り、今度はまたゆるやかな登りが続く。家に帰りつくことができるだろうか、と思ったあたりに雨水調整池があった。「必死だったわけじゃないんだ」今頃になって友に答える声が、のどの奥のほうからこみ上げてくる。「追い縋ろうとしていたわけでもない。濁り水はどうしてもぬかるむから、一歩を進めるにも、相応の気遣いが要るんだ。自分としては普通に歩いているだけのつもりなんだけど、人様にはそんな風に見えるということなのかな。」相手の夢に出てきた自分のことを言い訳するのもおかしな話である。まるでぬかるみの中を歩くように、手さぐりで歩く。あたりは夜中の暗さである。夜中と言っても町中のことで、何も見えないというほどではない。足が取られるので、慎重に進む。左手が何か大きな葉のようなものをつかむ。右手を壁につき、ようやく自分の体を支えている。その壁は湿っていてやわらかい苔の感触がある。ところどころで頭の上に水滴がしたたり落ちてくる。「必死になんかなっていない」という言葉が胸の内で繰り返される。「こんなに豊かな生命の活力に囲まれていて、何に怯える必要があるのか」「切羽詰まることなんか何もない」どんな言葉も言い訳じみていることに気づいた時、枕を投げた保胤の胸中にあったものへと、思いが及んだ。静かに澄み切った水に対する恐れ、慄き、怯え…。それがとっさに枕を投げるという行動へ保胤を衝き動かしたもの。俗世を厭うて往生を願うのが、末法の世の人の常識だったとはいえ、それでも今ここに自分がいるということへの愛着がある。だから枕を投げずにはいられなかった。
 やがて、雨水調整池の壁面の途中からひょいひょいと伸びた細長い葉の先に白い小さな花がいくつも咲いているのが見えた。その可憐な佇まいを、私は見下ろしていたのだろうか、それとも見上げていたのだろうか。しばらくの間、それは判然としないままであった。


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