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8/30 わたしの、青春群像劇(ダイジェストでお届け)

急にふと、昔を思い出してこれを書いている。

前提として、わたしは彼のことをもう結構ほんとに、「どうでもい〜」と思っていて、そう感じていることに多少の罪悪感を感じている。人生で1番の、恋の話。

わたしは人を好きでいる時、その人のことを好きな自分を好きか、をしばしば考える。
彼のことを好きでいた時、わたしは本当にわたしの事が好きで、いや、わたしの書く文章が好きだった、彼のことを思って。以前は彼のことを「あなた」と二人称で表記していたが、もうなにせ結構どうでもいいので(同じ街にいても、会いたいと思わない程度に。どこかですれ違っても、「よっ」と軽い挨拶で済む程度に。彼の話で泣かない程度に。)、三人称の「彼」と書かせてもらう。

彼を好きでいた時、真っ暗な海の底から無理やり這い出してきたような詩が、よく書けた。彼は深海から見る光のような、それは羨望や嫉妬が入り交じった、恋と呼ぶにはあまりにヘドロまみれの感情だった、と今では思う。(恋人は光だけど、カーテンの隙間から見る朝日のよう。)わたしは、彼を「神」として信仰していた。すべて神の御心のままに。わたしの行動は神のものだった。
「いま行政書士取ろうとして、勉強してるの。」と、神に言うと、
「そうなんや、ツブも、つまらん人間になったんやなぁ。」と言われ、途中で放棄した。それで寝食を忘れて、文章を無理やり捻り出していた。
今考えると、ダセーお互いに、と思うけれど、あの頃は本気だったのである。

中国語のテストの前日に、朝5時までオンライン花札をして、テストを受けられなかったこともあった。彼は、校門の前で寝る、と言って校門の前まで行って寝ていた。彼は大阪、わたしは東京にいた、2019年のことである。

月日はもっと遡り、2015年、初めて出会った年。モンバス(香川県のまんのう公園で開催されるフェス)で、友人の友人として紹介され、ツイッターを交換した。全然タイプじゃなかったけど、バテてる時に冷たいお茶を首筋に当てられて、15歳のわたしは少しときめいたのを、今でも覚えている。

それから連絡もほとんど取らず、2016年、高校1年生になったわたしは、彼から「バンドしない?」と誘われた。楽器なんて全然分からないけど、音楽は大好きで、周りのコピバンはRADとかワンオクとかばっかで、飽き飽きしてたから、首が取れるんじゃないかと思うほど、頷いた。もう既に、ほとんど好きだった。彼にはとてもかわいい、彼女がいた。でも、夜になると二人で(もしくは当時すんごく好きだった大学生のお姉さん、今でも憧れの人の三人)、よくツイキャスをした。すんごくくだらないことを話して、あの瞬間、わたしたちは世間から置いてけぼりになった感覚だった。

結論から話すと、バンドは直ぐやめた。やめてよかったと思う、わたしは楽器向いてないし。でも、やめようねってなって、1番に、もう会えなくなる、と思った。だから、「好き」と、初めて、自分から告白した。1度目の告白。「おお、ありがと。おれも好き。」彼は、わたしが友人としての好きだと勘違いしていた(フリをしただけかもしれないけど)。「いや、友達としてとかじゃなくて、その、恋愛的な。」これはほんとうによく言ったと思う。ほんとうに偉くて、抱きしめたくなる。まあ、振られたのですが。
わたしたちは常々、お互いのことをすきだ!と褒め合うことが多かった(彼から言われたことあったっけ?あったか。)ので、まあこれは、そうね。セカオワのSaoriみたいなポジションにいさせてくれ!とずっと思ってました。わたしは、彼の戦友になりたかった。

そうして、2016年の初めての失恋から1年経ち、2017年。学校帰りに書店に寄ることが趣味だったわたしは、毎日のように紀伊国屋に足を繁く運んでいたのだけれど、ある日、彼と彼の彼女(少し幼い顔、ポニーテール)を見かけた。で、声を掛けた。後ろからひょこっと覗かせた彼女が、とてもかわいくて、帰りは汽車に揺られながら泣いた。彼との思い出のチュロスを食べながら。(わたしたちはバンドの練習終わり、毎度駅前のチュロスを買った。わたしは変わらずバニラ、プレーン?を、彼はチョコを頼んで、半分こにして食べた。)
詩を書いた。

2018年、帰りの汽車が同じになった。
「書きなよ、文章。」と言われて、ツイッターに詩を上げ始める。

恋が叶った後の物思いに比べれば、叶う前の物思いなんて他愛ないものだったわ、って昔の人は言ったけど、その人とわたし、代わってほしいわ。だって一生叶わない思いを抱き続けることほど痛いこと他にないもの。
2018・Twitterより
私が欲しい愛ってゆうのはさ、キスとかセックスとかじゃなくて、そうゆうんじゃなくてさ、例えば冬の寒い日に、一緒に炬燵に入って、雪見だいふくをひとつずつ分けて食べるみたいなことだよ。でもひとつ重要なのは、隣にいるのがあなたってこと。これがむずかしーんだよね。
2018・Twitterより

君と話すことは、例えるなら、冬の寒い夜に布団に潜り込んで冷えた布団を温める行為だ。なんだか虚しくて、でもすこし落ち着いて、そしてすごく悲しくて悔しいような、そんな気持ちになる。
2019.1・Twitterより
センター試験が終わるのって、なんか世界の終わりっぽくない???
2019センター試験前夜・Twitterより
あなたがいないとどうしていいか分からない、なんて言わないけど、あなたがいなくなったら私、きっと私として生きられないと思うの。
2019.1・Twitterより
彼は、ポラリスという言葉を、気に入ってくれていたハズで。

2019年3月28日(26だったかも。)
もう一度、告白する。私が東京に行く前に。その後彼は、彼が命を燃やすほど好きな女の子のところへ行った。「ありがとう」という言葉と、彼のサインを残して。(彼はバンドマン)

2019年 夏
出雲大社で縁結びをしたのにも関わらず、約束をドタキャンされ、どうしても会いたかったから来て!!とワガママを言う。家の前の道路で寝転んで、二人で新しい星座を作る。流れ星が見えたのに、彼は見えないと言い張った。そのくだりを何度か繰り返して、彼は帰った。とても好きだった。

2019年 年末
まだどうしようもなく好きで、また告白する。3度目。
「俺のことが好きなんじゃなくて、俺の事を好きな自分を好きなだけ。」と言われる。そうだよ、君のことを好きでいたわたしのことが、とても好きだった。

月日は流れ、2022年の春。毎度恋人と上手くいかないわたしに、なかなか恋人ができないわたしに、勉強でボロボロになってるわたしに、彼が徳島にいるらしいという情報が入った。
DMを送った。
「わたしのどこを、好きになれなかった?」
電話で「いや、つくづく趣味だと思うよ。タイプじゃない?だってかわいいと思うし、スタイルもいいし、タイプじゃないだけ。」と。そうかぁ、となぜか腑に落ちた。「こうして話してたら、また思い出してるでしょ」と言われて、確かに。でも、今別にあなたのこと好きじゃないかも、と思った。あなたは神様ではない、とも。そして、今まで酷いことしてきたなぁ、とも。

他人に、寄りかかられる彼の苦労を、わたしは考えたことがなかった。わたしはずっと、彼のことを「ひどい男だ。」と思ってたけど、本当に酷いのはわたしだったのかもしれない。わたしは、彼の幻影(虚像?作り上げた彼)を、ずっと好きだったの。

二人で歩いた迷路みたいな太陽光発電は、きっと映画になったら5秒くらいで過ぎるダイジェスト映像みたいなものだったけど、新宿の駐車場のキスも、ダサすぎるサインも、きっとダイジェストだけど。わたし、彼のことを好きでいた自分に、誇りを持っている。彼を青春の柱として、青春を駆け抜けた群像として、必死に恋をしていた自分に、誇りを持っている。

22歳の誕生日前日、長すぎた片思いに終止符を打つために書いたわたしの、およそ7年間の思い出。
わたしは、今、恋をしていて、そして愛している、あなた以外の人を。だからこうして、あなたへの思いを忘れないよう、保存するためにこの文章を書きました。語り尽くせないくらいの思い出たち。わたし、まだあなたの言葉を覚えていました。(忘れていたところは日記などで補強したけれど。)

これから二度と、もう二度と、あなたの事を好きになることはないけれど、あなたの人生が、ほんとうに幸せでありますように。そして、わたしの人生を、わたしを、作る手伝いをしてくれて、ほんとうにありがとう。大好きでした。果てしなく、恋でした。

2019年、彼のことを心底好きだったあの冬の日より、愛をこめて。

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