シャルレ二番館の出会い

when the night has come
and the land is dark…
夜が訪れて 大地が暗くなるとき
And the moon is the only light we'll see
月明りしか見えなくなる

No I won't be afraid, no I won't be afraid
恐れはしない 恐れはしない…

隣の窓が開いてるのかベン・E・キングのstand by meが聴こえてきていた。
ベン・E・キングか…懐かしい。

確かこれが流行ったのは60年代だから、
もう半世紀も前のことだ。
その当時は高度成長期で、皆んな仕事をとにかくバリバリやってた。
裾広がりのパンタロン、ツイッギーカット、
ミニスカート…なんだか全てがついこないだの事のような気がする。

街中の女の子はこぞって足上20センチのミニスカートや、いまでいうベルボトムを履いて歩いてた。街には音楽があふれていて、ダンスホールも沢山あった。

今の子たちは、もしかしたらそういうのを知らないかもしれないな

そんなむかしのことを彷彿とさせてくれるこの音楽を、どこかでもう少し聴きたいと願いながらも

「おじいちゃん寒くなってきたから窓閉めようか?」網戸越しに外を眺めているおじいちゃんに、そう話しかけながらガタガタと建て付けの悪くなった窓ガラスに手をかけた。

「待ってや…猫…猫がおんねん。磨りガラスになってしもたら見えへん」と言って、おじいちゃんはそんなわたしの手を止めた。
その言葉に「猫がおるの?」と外を覗いてみた。すると茶色の三毛猫がニァアと鳴きながら軒先でゴロンゴロンと背中を地面にこすりながら転がっていた。

猫はいつ見ても可愛い。
猫を見てると不思議と心が癒される。

ここはシャルレ二番館。
30年近く前に建てられた少し年季の入ったアパートだ。急勾配の坂道をあがると、ようやく見えてくる。

ここにおじいちゃんはもう20年ほど住んでいる。おじいちゃんの奥さん、つまり私にとってのおばあちゃんが亡くなってからもずっとだ。

おじいちゃんとわたしとは、
直接血は繋がってはいないけれどそんなの関係ない。もう私にとってこの人は父親同然なのだ。一緒に住み始めたのは訳あってのことで、つい最近だったけれど足腰の弱ったおじいちゃんにはこのシャルレ二番館の傾斜は少し辛そうだった。

実際にこの数年でおじいちゃんの身体はすっかり小さくなってしまった。

せめてもの救いはここは一階の入り口から三番目の部屋だったことだ。
杖をつきながら、おじいちゃんと一緒に階段を登るのは一苦労だったから本当に助かっていた。

暫くして窓を閉めたあと、
急にむかしのことを思い出した。

久しぶりに懐かしい曲を聴いたせいかもしれない。

おじいちゃんとわたしの初めての出会いは、今から50年近く前のこと。

当時京都の長屋に住んでいたわたしは、
今でいうシングルマザーの母親に育てられていて、鍵っ子だった。
当時まだ7.8歳だったわたしはよく庭先で猫と戯れていた。

三毛猫、まだら模様の猫
陽だまりのなか集まる猫たちは、
ナゥナゥとよく鳴いて、すりすりと私にすり寄っては懐いていた。時折給食で残してきたパンをあげていたからかもしれない。
隣に住んでいたおじいちゃんがわたしに話しかけてくれたのは、そんな時のことだ。

「あんたよぅ、1人でおんねぇ。どうしたんや?」そうやってまだ20代そこそこだったおじいちゃんは、わたしに声を掛けてくれた。

「うちあんまりお母さんおらんから、家で待ってんねん」

いまよりずっと盛んだったご近所付き合いは、
いまでは考えられないほど皆んないい意味でお節介だった。そしてそんな事を口走ったら危ないと言われることまで話せてしまう当時ではそれが普通のことやった。

「そうか、そうか。ほなおっちゃんとこの嫁ちゃんも、おっちゃん出掛けてて1人きりで寂しいしたまに遊びにおいでぇや。」

そう声を掛けてくれて、わたしはちょこちょこ遊びに行くようになった。
その当時のおじいちゃん…いやおっちゃんは、工場で日夜関係なく働いていて忙しそうにしてた。そんな中おばちゃんは、編み物や洋裁をしながら過ごしていた。

わたしが「こんにちはー」と言って遊びに行くと、「いらっしゃい、よう来たね」
と嬉しそうに迎え入れてくれて、よく色んな手作りのものをくれた。
それまではただの布切れだったものたちも、
おばちゃんの手にかかるとスルスルと魔法が掛かったみたいに生まれ変わった。ハンカチ、斜め掛け鞄、ときには洋服なんていうものもあった。

その魔法にかけられたもの達を手渡された瞬間、じんわりと暖かい気持ちになった。

わたしの家は貧しかったから、最初は
「こんなようけもろて…ほんまにええんか?」と言っていたわたしと母親も、本音は嬉しかった。

おばちゃんは、わたしがおばちゃんの服を着て遊びに行くと、いつも喜んでくれて、そのコロコロした笑い声が好きやった。

それからもう50年あまり。
大好きなおばちゃんも亡くなり少し疎遠になっていたこともあったけれど、
いつも人生の節目にはおじいちゃんやおばあちゃんがいた。

そうわたしが成人したときも、
わたしが初めて長岡でクラブを開いたときも。

最近になって、おじいちゃんと一緒に住み始めたのはおじいちゃんの身体の具合のこともあったし、それからこのコロナの影響でわたしのお店が不審になってしまったことがあった。

それまでは馴染みの常連さんが、遊びに来てくれていたけれど準緊急事態宣言が出されて暫くすると客足が途絶えてしまった。

そしてわたしはいままで住んでた部屋を引き払っておじいちゃんと住むことになった。

それにしてもよく曲が響くなぁ…

もう長いこと隣の角部屋には、篭りきりで部屋から出てこない人が住んでいると聞いていた。

それを聞き、わたしは知り合いの小説家の卵を思い出した。

「源ちゃん元気にしてるかなぁ…」

いつも癖毛でボサボサ頭のヒョロリとした源ちゃん。

お酒を卸したついでと言って、いつもひょっこり現れて、そして麦酒とつまみの枝豆だけで何時間も長居するようなひとだった。

いつしか麦酒はぬるくなり、それをちびちび飲みながら源ちゃんはいつも小説の話しをしてくれた。

源ちゃんの中にはまるで何十人も沢山の人たちがいて、いつも騒がしく会話をしてるのだと言った。それを書き起こすとき現実と別の世界に誘われるのだと言った。

源ちゃんの朴訥な感じがとても好きだった。
いま源ちゃんはどうしているのだろう…?

考えごとをしていたそのとき、外の軒下からニァアとひと鳴き猫が鳴いた。

その声に呼ばれたような気がして、ガラリと窓を開けるとそこにいたのは、源ちゃんだった。

「源ちゃん…」

「え、チャコちゃんなんで…」

そこにいたのは、猫に話しかけていた
モジャモジャ頭の源ちゃんだった。

when the night has come
and the land is dark…
夜が訪れて 大地が暗くなるとき
And the moon is the only light we'll see
月明りしか見えなくなる

No I won't be afraid, no I won't be afraid
恐れはしない 恐れはしない…

誰しも闇が迫る夜は怖い
でもきっと明けない夜はない
その夜を超えてそのとき横にいるのは…

横にいるのは…

















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