見出し画像

影を食べる女 4.

ふわりふわりと浮遊しながら、俺は初老の男の傍に寄っていった。

近くによると遠くからでは朧げだった、男の風貌が徐々に分かってきた。

これまで厳しい現実社会を生き抜いてきたのだろうか。じつに男は厳格そうな面持ちで眼球には力強さがみなぎっていた。
そして身なりは見るからにしつらえの良さそうな光沢のある藤色の着物と羽織りを着て、綺麗に整えられた白髪にはベージュのハットを冠っていた。
何かの成功者とも思える風貌に、一瞬身構えたが浮遊しているということは、きっとこの人も影を食べられたひとなのだと思い声を掛けた。

「あのぅ…どうされましたか?」

すると初老の男性はギロリと此方を睨みつけたかと思うと、

「なぜだ…なぜこうなった…実に解(げ)せん。」とひとこと呟き、頭を横に振り溜息をひとつついた。

「何かあったんですか?」
恐る恐る様子を伺うように男に尋ねると、男は吐き捨てるように叫んだ。

「わしのどこに隙があったというのだ!!
これまで一世一代で財も名誉も築き上げて来た!!!妻には何ひとつ不自由のない生活をさせてきたつもりだ!!!

わしに出来ないことなど何もない!!
このわしが易々と影を食べられるなぞ、きっとこの夜の出来事は何かの間違いなのだ!!」

男のオーラには、他のものを寄せ付けない凄みを感じさせたが、同時に周りを信頼せず自分のことを過大評価しているような負のオーラも感じた。

「そうだったのですね…こんな僕がいうのもあれですが、じつにお気の毒なことに…」というと

「まったくだ!!今宵は会食の帰りだった。ふと夜風を浴びたいと外に出て少し歩いてみたら、こうだ!!なぜだ?!このわしのどこに影を喰われてしまうような隙があったのだ!」と叫んだ。

「良ければ貴方さまの詳しいお話し、僕にひとつ聞かせていただけませんか?」

すると男はポツリポツリと話しを始めた。

「これはずいぶんと、昔の…それこそまだ戦後まもなく辺りは何も無かった頃の話だ。口減らしで身寄りを無くしたわしは、収容された小さな施設のなかのものを集め、施設の子どもたち同士で取引を始めた。その当時は少しでも金を貯めて、毎週末にやってくる紙芝居の美味しいお菓子を食べるためだった。

わしはじぶんの持っている例えば、鉛筆がいかに書きやすいか
或いはこの紙切れがどれほどアイディアを生み出すものかをアピールし、相手に興味を持たせるようにするのが得意だった。

相手が魅力的にものを捉えれば捉えるほど、そのものは飛ぶように売れて行き
人というのは、じぶんにメリットを感じさせるものなら何でも買うのだということに気づいた。それならば何と容易いことなのだ。

子どもながらに、それを悟ったわしは尋常小学校を上がってすぐに小さくなって使えなくなった古着や露天で使われなくなった硝子ビンを、言葉巧みに無償で集めてそれを何倍にも高くして売ることを始めた。

その当時は皆が生活するのに精一杯で、けして今ほど裕福ではなかったが、それでも古着や硝子は需要があり、わしが20歳になる頃にはいまでいう1千万ほどの資金を手にすることが出来た。

それを元手に小さな工場を開き、そこでは自転車や自動車、使えなくなった日用品の修理を行うようにしていった。

人はじぶんでは直さないものを、直してもらえると感動するらしくそこでもわしはまた大きな財を得ることとなった。

そうしている間にわしの店は他の店舗をだすほどに大きくなっていった。
そして、そんななか夜の街で出逢ったのがいまの妻、朱鷺子(ときこ)だった。

朱鷺子は離れていてもすぐに分かるくらいの器量良しで、その当時流行っていた若尾文子と間違えてしまうくらいだった。

わしは一目惚れし、なんとか朱鷺子をものにしようと夜景の綺麗なところに連れていっては口説き、何かあるたびご馳走をしていた。

しかし朱鷺子は、金には全く興味を示さなかった。夜の街にいたのも、たくさんいた朱鷺子の兄弟姉妹を食わすためで本当はこの世界に未練はないと言っていた。

それを聞いたわしは、何と朱鷺子は意地らしいのだ。と益々のめり込んでいった。

そんなときのことだ。

わしは過労でその日具合が悪かったが、どうしても一目朱鷺子に会いたいといつもの店に通った。しかし、わしをみた瞬間「こちらに来てください!!」と手を引いて別室に連れていき、横に寝かしつけられてしまった。

そしてまるで本物の母親のように、
「体調が悪いときは此方にきてはダメです。しっかりと、休んでください」と窘められてしまった。不甲斐なくわしはポロポロと涙を流してしまった。

そのときから朱鷺子は、わしのことを何かと気にかけてくれるようになりそして遂に結婚したのだった…」

そこまで話すとふぅと息を吐いた。

辺りには流れの早い雲が走っていた。

この度はお立ち寄り下さり、ありがとうございます。ニュイの考えに共感いただけたら、サポートして下さると喜びます!!サポートいただいた分は、今後の執筆活動のための勉強資金として大切に使わせていただきます。