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それは田舎暮らしを決めたひとりの男性の朝の話し。

夜が明けようとしていた。

ヒュゥ…プクプクプク…とケトルの音が鳴り
ほんのり熱めのお湯でぬくめたティーカップに、つい先ほどお鍋で出来たチャイをいれた。
ウバ茶とミルクで炊き出したチャイは口に入れると優しい甘みが広がり、心底ホッと出来る。

もう4月に入ってずいぶんと経ったのに、
外はまだ薄暗く、そして肌寒い。

年季の入った薄茶色のニットのベストを羽織り外に出ると、山桜の花びらが時折ちらちらと舞い降りてきていた。
霧がかかっていて、よくは見えないが今日もけぶる緑のツンとした香りがした。

わたしは外の様子を眺めながら、
淹れたてのチャイを口にした。

マイセンを模した図柄のティーカップは、
わたしなりにとても気に入っていた。
このティーカップで温かい飲み物を口にすると、ようやく1日の始まりを感じられるのだ。

朝の心地よい冷たさは目が冴えるのにはちょうど良かったし、誰も起きていない静謐な時間は、考えごとをするにはちょうど良かった。

朝起きてそとの空気を思い切り吸い込んだその足で、新聞を取りに行く。
そして洗面台で軽く顔を洗ったあとは、その日の気分でチャイや珈琲を入れるのが日課になっていた。

外の景色を眺めながら、出来立てのチャイを口にするのもいつものことだ。

わたしは、特別何か秀でたものがあるわけでも
得意とするものがあるわけではない。

ただ、この山奥の小さな喫茶店で心疲れた誰かの息抜きになれば嬉しいとこの店を始めた。

あまりにも…そうあまりにも都会には疲れた人が多過ぎた。
夢と希望と、そして諦めと疲労が混在した社会。ひしめき合う人の群れのなかに佇んでいると、時々ふと誰かが自分のなかで「一体自分は何者なのか」と呟くことがあった。

そして喧騒に包まれて生活していると、
その誰かの問いにはうまく答えられず
思わず自分は何者なのか忘れてしまいそうなことがあった。

両親ともに都会育ちで幼いころから、当たり前のように暮らしていた都会だが、
慌ただしく過ぎる毎日に、ふとした瞬間なにか大切なものを置いてきてしまったような焦燥感に苛まれた。

「自分は一体何者なのか」
40も過ぎた良い大人が、そんなモラトリアムのようなことを言うのは気恥ずかしくもあったが
それでも、自分は何者なのか考えてしまうことはよくあることだった。

田舎暮らしを始めたのは、大学の恩師の影響だ。
社会学が専門だった恩師は、都会だからこそ余計に人とひととの交流が希薄になっていく現状を嘆いていた。

いまはなき昭和の時代の、お節介とも思われる近所のつながり、そしておばあちゃん、おじいちゃんを重んじる風潮

そんなものの中に人とひととの繋がりは産まれると常々言っている人だった。

夢を追う青年はやがて、歳をとり自分もそんな場所で人とひととの繋がりを感じてみたいと思った。

お節介?上等じゃないか。
「田舎で暮らそう」

当時まだ中学生だった娘と、都会暮らしになれていた妻はこの提案に大反対だった。

特に多感な時期だった、娘にはキモいと散々な扱いを受け、妻には「貴方の考えてることは本当に唐突すぎるわ」と詰られた。

自分勝手な話しだが、わたしはそれでも良かった。
結局、妻と娘には負担をかけたが
今では娘は田舎暮らしにすっかり慣れ、地元の道の駅で元気にバイトをしている。

妻は…というと、ブツブツと言いながらも
都会では味わえなかった新鮮な野菜に味をしめ、せっせと娘がバイトする道の駅へと通っているのを、わたしは見て見ぬふりをしている。

この土地は大きな力で守られている。
この田舎には、都会では失われてしまった
大きな絆があるのだ。

そんなことを考えていると、東の空から
静かに朝日が登ってきた。

今日も、いい1日になりそうだ。

わたしは飲み終えたティーカップを洗いに席を立ち、そのまま思い切り背伸びをした。


↑どうぞ、この方が店主の喫茶店に一度足をお運びくださいませ。

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