相手に喜んでもらえること
あさ、家の外にでると、東から登ってきた太陽が眩しく辺りを照らしてくれていることにホッとします。
底冷えのする寒い京都の朝に、照らしてくれるひと筋の光。また新しい1日が始まると思うと、ホッとするのです。
そうして駅まで歩く道すがら、時々むかしの自分がひょっこりジプリの映画みたいに顔をだすことがあります。
それはまだわたしが20代だった頃のことです。
いまよりもっと、世界は自分中心で動いていました。例えば仕事から疲れて帰ったら、その疲れたことをそのまま家族に伝えてみたり、
「自分ばっかり、何でこんなに辛いんだろう…」と自分の身の上に起こることを嘆いていました。
30代も半ばに差し掛かり、
あの当時の自分を振り返るとなんて周りが見えてなかったんだろう…と思ったりします。
誰かと過ごすとき、きっと自分自身がそうであるように周りのかたも心地よさを求めているのだと思います。
「あぁ、この人の傍にいると何だかホッコリするなぁ…」
心地よさの感じ方は人それぞれだと思うのですが、居心地のよさはやっぱり大切なのかもしれないなと少しだけ考えられるようになりました。
例えば以前だと仕事で疲れたモードを100で出していたとすると、いまは50%くらい。
なぜなら、きっと相手も同じように仕事で疲れているだろうと思うようになれたから。
それと同時に不必要に自分を卑下することがなくなりました。
「自分なんて…!!」
大したことないことには変わりないですが、だけどそれほどまで卑下する必要もないと思うようになってきたのです。
やっぱり自分自身を大切に出来ないひとは、周りも大切に出来ないって多分本当で
自分のことさえ優しく出来ないのに、他の人に優しくしようとすると身を削る感覚になってしまう。
自分自身のいいところは、
自分ではわからないものだけれど、自分を卑下することは周りで関わってくれる大切な人をも否定することになるって思うようになったのです。
こうして、ページを訪れてくださる方も
身近なところで支えてくださる方も、きっと何かを感じて傍にいてくれてるのだとしたら…
今度はわたしも自分の出来ることで、
相手が喜んでくれるようなことを出来るところから始めてみたいな…そんな風にも感じています。
これからの激動の時代
きっとこれまでとは違う世界が訪れるかもしれないけれど、そのときも周りが暖かくなってくださる様なことを何か出来たら素敵だなぁと思うそんな朝なのでした。
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