我が家の愛情物語 にょろちゃん編


にょろちゃんは、61年前にお姉の私が生まれた時にくるまれていたベビー毛布です。

ちゃんと、父が撮影してくれた写真もありますので、出来ましたらアップ致します。



私は物心ついた時から、おそらく3才くらいから、にょろちゃんが居ないと眠れませんでした。

5才のとき、大きくなってベビー毛布のにょろちゃんをくんくんしていて良いのかなぁ。と不安になったことを覚えています。


それが母が、やはり自分が毎晩掛けて寝ている毛布を、おにょちゃんと呼びやはりくんくんしていたのです。


その姿を見た私は、ママのような大人がくんくんしているから私もこのままにょろちゃんをくんくんして良いのだ。


と、まだ幼児の私は当たり前というか普通に判断しまして、
62歳の現在も、にょろちゃんをくんくんして私の大切な妹ですから世話しております。






現在のにょろちゃんです。


水色にひよこの模様は、にょろちゃん袋です。

2000年に、母が閉店してしまったイトーヨーカ堂長野店で安く生地を買って縫ってくれました。いわゆるハンドメイドです。


母は、洋裁が得意でした。



お姉の私は、とにかくにょろちゃんが居ないと眠れません。幼稚園のお泊まり保育では、仕方なくにょろちゃんは自宅に置いて行きましたが、当然ながら眠れる訳なく、幼児ですのにひと晩中、一睡もしませんでした。

幼稚園の先生が見回りにいらっしゃると、当然眠ったふりをしました。


次の日、迎えに来てくれた母の姿を見て、心底ホッとしたことを覚えています。


我が家は毎年、2、3回、母が勤務していた会社の、新潟県妙高市池ノ平にありました保養所に家族全員で行きました。


父が水彩画家でしたので、父は風光明媚な景色を写生したり、あとの家族はわらび採りをしたり、いもり池という池があり遊歩道を散策したり簡単に山歩きをしました。


保養所には、素晴らしい池ノ平温泉があり、1泊2日でも何回も温泉に入りました。保養所の管理人さんのご主人様が調理師免許をお持ちで、美味しい家庭料理を堪能致しました。



中部電力三山荘といいました。どなたか写真を持っていらっしゃいませんか?残念ながら閉鎖してしまいました。管理人様ご一家様、お元気でいらして下さい。

三山荘の光景は、しっかり記憶に残っています。


他、家族で泊まりでの旅行や母方の祖父の33回忌の法事で千葉県鴨川市に行った時も、


必ず両親が、にょろちゃんを大切に風呂敷にくるんで持参してくれました。


お姉の私の高校の修学旅行の際には、にょろちゃんには可哀想でしたが、にょろちゃんを本物で持って行くことは他の生徒に恥ずかしく、

そうしましたら、母がハンカチくらいの大きさの木綿の布で、修学旅行だけのにょろちゃんの代わりを縫ってくれました。助かりました。


大学で自宅を離れて下宿、アパート暮らしをした時も,当然にょろちゃんも一緒です。帰省する時も一緒です。


にょろちゃんは当たり前、その他のたくさんのぬいぐるみちゃん達や、にょろちゃんと私の小さい時に使ったバスタオルとか、着た洋服とか、両親もおばあちゃんも大切に大切に保管してくれました。


今でもたくさんあります。


それらを見る度に、家族の愛情をひしひしと感じて幸せな気持ちになります。


62年経ち、ボロボロドロドロになったにょろちゃんですが、更に可愛らしくいとおしく、毎日常に、すぐ側に近くに一緒に居て暮らしております。


にょろちゃん。これからもよろしくね。


私のにょろちゃん。

私の命より大切なにょろちゃん。







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