見出し画像

高校生「菜々子とヴァイオリン」後編

(前回までの記事はこちら:高校生「菜々子とヴァイオリン」前編

〜高校3年生〜

東京の先生「えっ?加藤さん、桐朋受けたいの?もう少し、早く言って欲しかったな・・」

「受験曲も違うんだよ、桐朋は。かなり練習しないと間に合わないよ」

このエピソードは、高校3年生の秋。

なぜこうなったのか?菜々子はなぜ桐朋学園大学を受験すると決めたのか?

書いていきます。

3年生のクラスは私立文系クラス。フレディーマーキュリー似の数学の先生に追いかけ回されることもなくなり、1週間に国語10コマ、英語11コマ、音楽3コマ(これ特別だったのかな)プラス社会など・・と、かなりゆる〜い学校生活に変わりました。

現代文と英語は一応受験科目にあったので、まぁ普通に勉強しつつ、古文漢文とリスニングはなかったので、その時間は楽典(音楽の筆記試験)を勝手に、授業中に勉強していました(笑)。

そして学校も寛容、というかやりたいことをやらせてくれる学校だったので学校に楽器持ち込みOKとなり、朝や昼休みなど音楽室を解放してもらい使わせてもらいました。菜々子のクラスには音大志望者がたまたま5人いて

ちょっと説明しちゃうと、

・もともとピアノ科志望だったのに直前で声楽に変更。突然だったけど東京藝術大学に見事合格。今はチェンバロ奏者の男の子。母校で3年前にコンサートで共演もしました。

・声楽。東京音楽大学演奏科コースに進み、今もオペラなどで活躍中のバリトン歌手。母校で3年前にコンサートで共演もしました。

・ピアノ科志望でおしゃれボーイの男の子。武蔵野音大→東京学芸大の院に進んで今は音楽の先生です。最近、オンライン飲みしましたw

・エレクトーン科の女の子。国立音大に進みました。私も国立受けたので、情報交換し合いながら、ソルジェージュなど一緒に勉強していました。

そんなメンバーで、楽典・聴音・新曲視唱・副科ピアノの練習などなど、お互い支え合い励まし合い、アドバイスし合いながら過ごしました。

放課後はすぐに家に帰って、ご飯食べる時間まで2時間練習、ご飯食べ終わったら3時間練習、土曜日は東京にレッスン。日曜日はほぼ1日中練習。

こんな感じの生活でした。

そしてその頃は、先生が教えている大学が国立音楽大学だったため、国立に進むつもりで受験の準備をしていました。


〜夏休み〜

(1)エピソードその壱 桐朋の夏期講習会

夏休みには国立だけではなく桐朋の夏期講習にも「せっかくだから」と思って参加。桐朋志望のお友達もできて、知らない業界話(あの先生は、あーだこーだ)みたいなのが聞けて面白かったのが印象的。

そして茶髪の女の子が多くて、「東京の子は、高校生で髪を染めるのか。なんかすごいな・・」なんて単純に思いましたw

桐朋の夏期講習にはドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を持っていきました。なんか、ほんとボロクソに言われて(笑)、「私下手すぎた?」と思いました。1時間くらいなのに、2段目まででレッスン終わってしまいました。

先生も雰囲気が怖くて、桐朋=怖い!厳しい!私下手で無理!

って感じた夏期講習でした。

そして楽典は30点台。(100点満点中)

数学だけじゃなくて、ここでも赤点ギリギリ?!?!?!

桐朋の楽典難しすぎです・・・苦笑 


(2)エピソードその弐 福島県内4校合同合宿

菜々子が通っていた高校は、安積(あさか)高校っていう進学校だったんですが県内にはもちろん地区ごとに進学校があり、

安積高校/福島高校/磐城高校/会津高校

こちらの4校が各地域でいわゆるトップ高というやつです。

その4校の音大志望者が集まって、福島高校で合同夏合宿をしました。

福島出身でとても有名な芸大卒の声楽の先生らをお招きして

楽典やソルフェージュ、実技指導など幅広くみていただきました。

そこにいらした先生から、

偉い先生「加藤さんは、志望校どこなの?」

菜々子「国立音大です・・!」

偉い先生「(東京)芸大や桐朋は、受けないの?」

菜々子「いやいや〜、受ける気ないですよ!無理です私には」

偉い先生「そんなことないよ。誰先生についてるの?」

菜々子「○○先生(桐朋卒)です」

偉い先生「なら桐朋だね。受けてみなさいよ」

ということがあり・・・

家に帰って親にも相談。桐朋って学費高いし色々お金がかかるイメージもあって。これはお父さんに相談だわ・・・と思いながら、

「う〜ん、どうしよっかな〜。桐朋かぁ。怖そうだなぁ。上手い人多そうで怖いなぁ。でも桐朋受かるなら憧れの桐朋、行ってみたいなぁ。」

悩んだ結果、桐朋も受けることに決めました。

次の次の次のレッスンで、自分の先生(読売交響楽団の先生)に相談をしました。

(この時点で確か、10月中旬とか)

「えっ?加藤さん、桐朋受けたいの?もう少し、早く言って欲しかったな・・」

「受験曲も違うんだよ、桐朋は。かなり練習しないと間に合わないよ

うちに、住みこみで練習する?(笑)毎週レッスン来てもらわないと。。。」

その日、先生→うちの親に電話が入りました。(先生ごめんなさい…)

そこからは毎週土曜日に週1回、東京に通いました。

死ぬほど練習しました。

よくわからなくなるくらい、取り憑かれたように練習しました(笑)。

なんとか、受験曲のパガニーニのカプリスも間に合いました。

楽典も、桐朋向けの問題をたくさん解いて、なんとか間に合いました。


2007年2月。無事、合格。

高校の職員室前には、合格した学校と名前の黒い板がたくさん貼られていて

そこには”桐朋学園大学 加藤菜々子”と無事に書かれました。


次からは大学時代・・と言いたいところなのですが

長すぎるので一旦飛ばさせてください。後日書きますね。

NEXT:30歳、まさかの妊娠!「ヴァイオリンと菜々子」、お楽しみに!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?