加藤菜々子

ヴァイオリン奏者・講師をやりながら、PR agentで広報関連の仕事をしています。 桐…

加藤菜々子

ヴァイオリン奏者・講師をやりながら、PR agentで広報関連の仕事をしています。 桐朋、安積高校120期、郡山二中、金透小。 貧困問題に興味あり。趣味はお酒、電車の路線図、野球、漫画・ゲーム、宝くじ! こおりやま情報の社外取締役です。

最近の記事

仕事編:「12歳の菜々子と、死と電柱」

前回の記事はこちらから:将来やりたいこと「菜々子と音楽と広報」 わたし、中学生の頃 死ぬのが怖くて怖くて 眠れない日が続いたことがあったんです。 ちょうど、祖父が癌で入院して 人の生死についてよく考えるようになった時期でもありました。 「わたし、死んだらどうなるんだろ?」 「死んだら、いま見えているこの天井も見えなくなるんだ」 「死ぬのが怖い。どうしよう」 寝る前に天井と窓を見つめながら、いつも考えていました。 そんなある日のことです。 いつものように、

    • 仕事編:将来やりたいこと「菜々子と音楽と広報」

      その業界の、1万人に1人になるのは難しい。 でも他業種の掛け算で、100人に1人になることはできるーーー。 これは昔読んだ、ビジネスメディア誠(現・ITmedia)の影響で考えたことです。 当時のわたしのブログをご紹介します。 「私が今後目指していくことはもちろん『演奏家』ではあるけれど、それだけじゃなく、 もっと若手の音楽家や音大生たちをサポートできるような新しいことを考えていきたいと思うんです。」 これは2013年のもので、23〜24歳の頃に書きました。 当時

      • 現在、31歳「菜々子とヴァイオリン」※2020.10.2時点

        (前回までの記事はこちら:30歳、まさかの妊娠!「菜々子とヴァイオリン」) 「皆さん、こんにちは!初めまして〜ヴァイオリンの加藤菜々子です!」 「よろしくお願いしまーす!今日はじゃんじゃんいろんなこと聞いちゃいま〜す」 妊娠・出産を経て約8ヶ月経ち、産後うつっぽくなりながらも、育児に疲れて「あーあああー!!!ワァァァァあー!!!!」とストレスで奇声をあげながらも、 菜々子はYouTuberデビューをしましたwwww 20代の若かりし頃に、ココラジ(郡山コミュニティラ

        • 30歳、まさかの妊娠!「菜々子とヴァイオリン」

          (前回の記事:高校生「菜々子とヴァイオリン」後編) 以下、下書き中です。執筆完了したら公開しますのでお待ちくださいませ! □中学生「菜々子と指揮」番外編 □高校生「菜々子と弦楽同好会」番外編 □大学生「菜々子とヴァイオリン」前編 □大学生「菜々子とヴァイオリン」後編 □社会人1年目「菜々子とヴァイオリン」 □社会人2年目「菜々子とヴァイオリン」 □社会人3年目「菜々子とヴァイオリン」 □20代後半「菜々子とヴァイオリン」 ◆ 「ジントニック最高!!ライム

        仕事編:「12歳の菜々子と、死と電柱」

          高校生「菜々子とヴァイオリン」後編

          (前回までの記事はこちら:高校生「菜々子とヴァイオリン」前編) 〜高校3年生〜 東京の先生「えっ?加藤さん、桐朋受けたいの?もう少し、早く言って欲しかったな・・」 「受験曲も違うんだよ、桐朋は。かなり練習しないと間に合わないよ」 このエピソードは、高校3年生の秋。 なぜこうなったのか?菜々子はなぜ桐朋学園大学を受験すると決めたのか? 書いていきます。 ◆ 3年生のクラスは私立文系クラス。フレディーマーキュリー似の数学の先生に追いかけ回されることもなくなり、1週

          高校生「菜々子とヴァイオリン」後編

          高校生の「菜々子とヴァイオリン」前編

          前回までの記事はこちら:中学生「菜々子とヴァイオリン」後編 「おかあさーん、おかあさーん。私、中間の順位、140番台だった・・(チーン)」 〜高校1年生〜 進学校に入学した菜々子は勉強漬けの生活を送っていました。その頃は東北大学を目指していたため、100番台ということにショックを受けました。(高校は全員で360名、東北大に入れるような優秀な学生は50番以内には入っていけないというイメージがなんとなくありました) 360名の高校のため、真ん中だと180番。 140番台

          高校生の「菜々子とヴァイオリン」前編

          中学生の「菜々子とヴァイオリン」後編

          (前回までの記事はこちら:中学生の「菜々子とヴァイオリン」前編) 「菜々子には、コンミスではなく部長になってもらいたい」 そう顧問と前任の部長に言われたのは2年生の11月頃。3年生が引退する時期でした。 「え?」 もう、予想外すぎて。 何故かというと、当時菜々子は生徒会副会長もやっていたので(やりたがり出たがりだったんです・・) その上、部活動の部長というのは普通に「ないでしょ」って思っていたのと、コンミスになる気満々だった(笑)ので、”コンミスではなく”という言

          中学生の「菜々子とヴァイオリン」後編

          中学生の「菜々子とヴァイオリン」前編

          (前回の小学生時代までの話はこちら) 「コンクール優勝!目指せ全国1位!!!」 「NHK全日本合奏コンクール(現・JSECC日本合奏コンクール)、TBCこども音楽コンクール、2冠獲得が目標!!!」 菜々子は、地元で有名なオーケストラ部(その中学校では管弦楽部と呼んでいた)に入部するために、某郡山市の数字中学校へ入学。 部活動を理由とした学区外通学を自治体に申請し、 日本初の「部活による学区外通学を認める第一人者」(越境通学)として NHKテレビ(全国放送)に、自宅

          中学生の「菜々子とヴァイオリン」前編

          幼少期〜小学生時代の「菜々子とヴァイオリン」

          「人は環境の子なり。」 これは、スズキメソードの故・鈴木鎮一先生のお言葉です。 菜々子は小さい頃から、この言葉を何度も聞き、 母「ヴァイオリンを弾かない日はどんな日ですか?」 菜々子「ごはんをたべられないくらい ぐあいがわるいひです」 母「やる子は育つ、親次第」 菜々子「ねこのこの ちょいとおさえる このはかな」 と小林一茶の俳句100句を暗記しながら、 毎日約2〜3時間近くヴァイオリンを練習しました。 鼻血が出た日も、大雪で手が冷たくて指が回らない日も

          幼少期〜小学生時代の「菜々子とヴァイオリン」