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中学生の「菜々子とヴァイオリン」後編

(前回までの記事はこちら:中学生の「菜々子とヴァイオリン」前編

「菜々子には、コンミスではなく部長になってもらいたい」

そう顧問と前任の部長に言われたのは2年生の11月頃。3年生が引退する時期でした。

「え?」

もう、予想外すぎて。

何故かというと、当時菜々子は生徒会副会長もやっていたので(やりたがり出たがりだったんです・・)

その上、部活動の部長というのは普通に「ないでしょ」って思っていたのと、コンミスになる気満々だった(笑)ので、”コンミスではなく”という言葉にも少しチクって感じた記憶があります。菜々子、きっとコンミスやりたかったんだ・・・。

〜3年生〜

正式に部長としての初仕事、新年度の4月に「新任の先生方への歓迎演奏・部長挨拶」があったんですが、なぜか言葉が何も出てこなくて、菜々子はその場で泣き出しました。何も喋れず、終わりました。

「なんで私部長になっちゃったんだろう・・・涙」

家に帰って、ちゃんと仕事(部長の挨拶)をこなせなかったことが悔しくて、泣きました・・。

「部長」という役割だけではなく、様々な理由でオケ部の練習に対する情熱は、日々薄れていきました。

その理由は以下になります。たくさんあります!

(1)部長の仕事は、まず部活の前に顧問がいる職員室を訪ねて予定を聞く。部員に予定を共有する。揉めごとがあった時はケアする。それのルーティンに疲れる。生徒会の仕事も多かったから、とにかく兼任がきつかったです・・。

※何時までパート練習か、何時から分奏(弦楽器と管楽器が分かれて練習をしていました)か、何時から全体練習か。などなど。

(2)夢見ていた学生指揮者・・・でしたが、私は顧問が管楽器を見るときに弦楽器の分奏を指導する担当となりました。つまり、みんなと演奏する時間が圧倒的に少ないんです。みんなの音程合わせたりリズム合わせたり、そんなのばっかりやっていました。

(3)そんなこんなで、コンマスの隣で弾いているけど、「私、いてもいなくても変わらなくない?」って思うことが多かった。(実際は、そんなことはないんだけどw)

(4)顧問と部員の板挟みが多く、顧問には部員を統率できていない文句を言われて、部員には顧問への苦情を言われるという、社会人でいう典型的な”中間管理職”ポジションでした。

(5)顧問のやり方が気に入らなくて、署名集めて「●●先生に直して欲しいところ」を箇条書きにして提出、その日の部活をボイコットしたら、

顧問にキレられて(当たり前)、菜々子は2日間不登校になりました。笑

その後、登校したら即呼び出され、顧問には反省文を書かされ、ボイコットしたのに何も変わらなかったことや顧問を説得できなかったことで他部員から責められたり、もともとボイコット自体に反対していた部員からは「ほらね、やらなきゃよかったのに」みたいな目を向けられて辛かったです。

なんだか色々ありながらも、菜々子の救いだったのは部活動ではなく

個人でのヴァイオリンレッスンでした。

菜々子が習っていたスズキメソードのマスタークラスでフランス・パリでレッスンを受けられることが決まったのです。

その日程が、オケ部の夏合宿と丸かぶりしていて

「部長なのに、合宿に来ないってどういうこと?」ってブーイング(これ本当にいろんな人に言われたんだよねw)言われたけれど

私は、フランスでのマスタークラスを選びました。

そこで、未だに音楽仲間として共に楽しめる仲間にも出会えました。

なんと、菜々子が知っている天才ちゃんも来ていました。

仙台のホールで「テン・チルドレン」(※最後に説明書きますね)としてヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲を弾いていた3歳の天才ちゃんがいて、菜々子は小学3?4?年生の頃に彼女のコンサートを聴いていて、その音と姿が非常に印象に残っていました。

その女の子も、ま!さ!か!の!! きている! (しかもなんか大きくなってるww ※9歳くらい)

マスタークラスに持っていった曲はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。中学3年生が弾くにはかなりの表現力が必要になってくる曲です。

パリの先生「うーん。その弾き方だと、エチュード(練習曲)と同じだね」

パリの先生「何を考えて弾いているの?誰に向かって弾いているの?」

パリの先生「なんでもいいから、練習の時は、ものでも人でも何かに対して語りかけるように、気持ちを伝えるように弾きなさい」

そんなレッスンを受けて、菜々子は毎日ドイツ産のりんごに向かって

自分の音を、気持ちを、語りかけるように、練習しました。

とにかく心で、ヴァイオリンを奏でました。

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もう一つ影響があったのはレッスンだけではなく他の生徒さんのレッスンの聴講です。

もう、みんな本当に上手すぎて、「私って本当に福島の井の中の蛙だわぁ」って思いましたね。

特に、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲をやっていた男の子の演奏には本当に感動して、その演奏に対するレッスン内容も未だに心に残っています。

「私、ヴァイオリンを弾くのも好きだけど、クラシック音楽が好きなのかも」

とより一層思うきっかけとなりました。

そしてマスタークラス最終日には、お城でコンサートが開催されました。

自分としては満足のいく演奏ができたのかな?80点くらいかな?なんて思っていました。(そう思える本番って実はなかなかないのよね!)

菜々子が3年生の年のコンクールの成績は、「NHK全日本合奏コンクール」(現・JSECC日本合奏コンクール)で全国3位という成績を収めました。

もちろん嬉しかったけど、ちょっとモヤモヤした部活動生活を送ったので

部活を引退する頃には

「音楽はコンクールや成績、結果じゃない。誰に何を伝えるか、何を伝えたいかだ!そういう演奏がしたい」

と感じることができるようになりました。

余談ですが、担任の先生が某音楽大学出身の音楽の先生だったため

「菜々子、本気で音楽の道に進みたいのなら、地元の高校じゃなくてヨーロッパに行ったらどう?」

と勧められましたが、当時の菜々子には刺さらず(先生ごめんなさい)、

受験前はスパッとヴァイオリンから離れて勉強に専念。3ヶ月くらい全然弾いてなかったな。

郡山市のいわゆる進学校を受験して、まぁなんとか合格しました。

(勉強については、別記事で音楽と分けてまとめる予定です)

菜々子の中学生活はこんな感じ。

続きは高校生編になります。音楽大学を目指すことになったきっかけなどを書いています。


小学校の時の指揮者の夢がぽきっと折れた話(中学生「菜々子と指揮」番外編)として、今後執筆予定です。


※テン・チルドレンについて
 今から50年前(1964年)からスタートした 「10人の子どもたちによる演奏旅行」 が、 『テン・チルドレンツアー』 です。その後30年間にわたって世界20カ国384都市を訪れました。どの国でも、その演奏は大きな感動を呼び、その国でのスズキ・メソードの誕生につながっていきました。延べ483回のコンサートを開催し、世界各地で文化交流、民間外交の促進に寄与してきました。

(引用)公益社団法人才能教育研究会ホームページより:http://110.50.202.66/tenchildren.jp/about/HPC-index.html







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