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仕事編:「12歳の菜々子と、死と電柱」

前回の記事はこちらから:将来やりたいこと「菜々子と音楽と広報」



わたし、中学生の頃

死ぬのが怖くて怖くて

眠れない日が続いたことがあったんです。


ちょうど、祖父が癌で入院して

人の生死についてよく考えるようになった時期でもありました。

「わたし、死んだらどうなるんだろ?」

「死んだら、いま見えているこの天井も見えなくなるんだ」

「死ぬのが怖い。どうしよう」

寝る前に天井と窓を見つめながら、いつも考えていました。


そんなある日のことです。

いつものように、数字中学校から下校していた菜々子。

この日は部活も休みで(確かテスト休みだったかな)

まだ日も落ちてなくて、道が明るく空も青かったことを覚えています。

いつも帰宅する時は、ブラームス交響曲第1番第4楽章を歌いながら帰っていました。

時間的に、歌い終わったときにちょうど家に着くんです(笑)。

その日はなんとなく歌う気分じゃなくて

なにげなく、道にある電柱の数を数えながら帰りました。


家に向かう途中の、最後の長い道。

大量の電柱が目に入ってきました。

一直線のコンクリートロードに、

灰色の電柱がランダムに立っています。


「この電柱って、誰がつくってるんだろう?」

「いつからあるのだろうか」

そう考え始めたら止まらなくなって、

「電柱の中にも、色々な部品や素材が使われているなぁ。多分電線作る人も違うんだろうな」

その瞬間

(本当に、いまだにわすれられない瞬間!!でした)

世界がひろーく、ひろーく、見えたんです。



あ、電柱だけじゃないや。

この家もだ。

このビルも。公園も。

ビルには会社が入ってる。

この世界は、それぞれにそれを創る人がいて

成り立っていて。

わたしがいま生活できるのは、いままで生きてきて、それらを生み出してきた人がいて、

だからわたしはいまこの歩道を歩いてるんだ!!



その日から、

わたしは死ぬのが怖くなくなりました。

死んだらどうしよう、って考えることも減りました。


亡くなった人たちが残してくださったいまの生活、いまの福島。いまの日本。いまの地球。

わたしもその一部で

未来に何かを残す、歴史の一部になればいいんだ。

そう思えるようになったからです。


そこから、あらゆる考え方が変わりました。

世の中を広く捉えられるようになりました。

小さなことでもあまり悩まなくなりました。


そしてその頃おもいました。

いつか、未来を明るくする、後世になにか残すことをしたい。

音楽でそれを伝えたいし、だから子どもも欲しいし、なにか地球に残したい!!!!!



そんな生と死、電柱のおかげで

実はいまのわたしができあがっているんです。


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