やんちゃっ子育て〜加害者になってしまう子の親のためのおしゃべり会〜をやりたい理由
上の記事を書いてから二日、やっぱり根本的には我慢しているので、しんどくなってきた本日。外に出たい。五分でいいから散歩してきたい……。
そんなわけで、家事を放棄し、子どもをYou Tube漬けにして、心の整理のためにnoteに向かっている。子どもに向き合うのは、実に忍耐を要する……。
昨日、友人が勤務しているカフェのチラシ折り(という名目で)お宅に呼んでくれたので、「行く!!」と四日ぶりに外に出た。わずか一時間弱の滞在であったが、大好きな友人とその息子に会え、ものすごく嬉しかった。
今日は、近日開催予定の『やんちゃっ子育ておしゃべり会』のことを書こうと思う。
1.イベント開催を応援してくれる方
昨日午後は、オンラインで面談があった。
近日中、『やんちゃっ子の子育て』をテーマに、NPO法人運営のカフェでイベント開催をしたいと思っている。
その開催枠は、ファイナンシャルプランナーの方が、やりたいことがある方に場を提供して応援してくださるというもので、数年前に始まったそうだ。
イベント開催は、私も多少経験があるのでよく分かるが、やろうと思っても場所代が高かったり、個人では集客力が低かったり、なかなか難しい。なので、大変ありがたい話だなと思っている。
イベントの最後に、FPの方のライフプランニングのお話があるので、実際にどんな話があるのか、体験した上で応援企画枠でイベントをやるか決めてもらう、ということでお時間取っていただいた次第である。
ライフプランの話をすることで、そこから個別相談につながることもある、ということで、FPの方はこの応援企画をやっているわけなのだが、とても丁寧に私のイベントに対する思いを聞き取ってくださった。約一時間半という短い時間ではあったが、もっといろいろ伺いたかったくらいである。
FPというと、営業されるのでは?と不安もある方がいるだろうし、イベントを主催した人が友人を誘ったとして、最後にFPの話があると気分を害する場合もあるだろうということで、どんな話をするかちゃんと知ってほしいということで、応援枠を使う人には毎回体験してもらっているということだった。
お話をして、職業倫理に根ざした仕事をしていること、いろんな立場の方の気持ちを受け止められる方であること、FPとして現実を直視してお金と向き合っていることなどが感じられ、この方なら「営業?!」と不安にならないでイベント開催させていただけるなと思った。
実際、イベントの時に営業はしないそうだ。個別相談になっても、相談料は取らないそうなので、ではどこからお金が入る?と思ったが、そこから金融商品を購入することになったら、そのFPの方を通して購入することで販売元から礼金が入るという仕組みになっているそうだ。
2.やんちゃっ子、では分からない
そんなわけで、面談も済み、イベント開催させていただけると思うのだが、『やんちゃっこ子育て』……FPの方も、うーむ、という感じで一緒に悩んでくださったが、我ながら非常に分かりにくい……。
これが、たとえば『不登校の子の親のためのおしゃべり会』とか、『発達障害の子の親のためのおしゃべり会』とかだったら、該当の方がタイトルを見て参加してくれると思う。が、やんちゃっ子……これでは、何を話したものか誰にも分からない。チラシを見た人が、該当するかも、興味あるかも、と思えるように私の中で内容をもっと詰めなければならない。
3.私がイベントをやる理由
なんでこれをやろうと思ったか。それは、以下記事の出来事があったから、である。
子どもたちは、日々発達中である。なので、人との摩擦は起こりまくりである。それをみんな分かっているはずなのに、どうしても、やる側とやられる側という構図ができあがってしまい、対立関係になってしまうときがある。
子どもたちは、双方受け止めてもらう必要があるのだが、まず一番の受け止め先である家庭だけでそれをやるのは限界がある、と個人的には思っている。
子どもの学びには、経験が欠かせない。でも、経験させるということは、そうした対立が起こった時に、思いを受け止め、どうしたら良かったか一緒に考え、という過程を経なければならない。言葉にすればそれだけのことだが、親の私が家事育児と休む間もなく暮らしているというのに、「んなことやってられっか、ボケ」という感じである。(我慢に次ぐ我慢、悪態もつきたくなる)
私がこのイベントをやる一番の目的は、いかなる子も受け止められ、幸せに、自分のペースで成長してほしいから、である。
が、しかし、親も人間、受け止める器はもういっぱいいっぱいである。なので、子どものためを思うなら、まず、その保護者が受け止められなければならない。
そう思い、いつも加害者になってしまう子の親が、経験や思いを共有できる場を作ることを思いついたわけである。
4.これだけは持って帰ってほしいこと
しかし、これまた人間とは複雑なものである。”やる側の子の親”とひとくくりにしても、それぞれの経験や思いは全く違うだろう。
私の場合、人に子の素行を注意され、話を聞いてやっているのかと責められ、自分の育児を否定されたと感じて傷ついた。が、それまでの私の努力を知っている人たちに「親である私」を肯定してもらい、学校カウンセラーの先生にも話を聞いていただけて、子への接し方の具体的アドバイスを受けることができたので、それを自分の子の成長に生かしていく流れを作れたと思っている。
※ついでなので、以下もお時間あれば読んでいただきたい。受け止めてもらう安全基地は、親にこそ必要である。
が、やる側にされてしまっている子の親として、どこにフォーカスするかで、似たような経験をしたとしても感じ方はおそらく全然違うだろう。
手が出ないように見張らなければ!とか、いつもウチの子ばかり責められる……とか、出来事への反応は人それぞれだと思う。
私は、そうした様々な思い、それが受け止めてもらえなかったという経験を、誰にもしてもらいたくない。絶対に、「聞いてもらえた」「受け止めてもらえた」という思いを持ち帰ってほしいと思っている。
5.して、その先にあるものは?
その先にあるもの。それはもちろん、子どもたちの幸福である。
メンタルが地に落ちていた時、学校カウンセラーの先生に、こんな話をした。
私を否定した保護者に会いたくない(そういう人に限っていつも登下校中に会ってしまうものなのだ)、そして、これ以上、登下校中に我が子に問題を起こしてほしくない。そういうわけで、どうしたら自分で登下校中の見守り(と称した見張り)をしない方法はないものでしょうか?と。
子どもが放課後キッズクラブに行ってくれれば、私は会いたくない人に会わず、子も同級生と帰らないで済むので面倒は起こらないのだが、当の子どもがキッズクラブを死ぬほど嫌がっていた。そんな八方塞がりな状況だったので、四面楚歌的追い詰められた心理状態だったのだ。
すると、カウンセラーの先生は、私の気持ちをしっかり聞いてくださったが、全く否定することなく、あっさりと、しかし、はっきりと、「お子さんと、お母さんの問題は、分けて考えたほうがいいと思います」と言った。
ちゃんと聞いてもらえたので、腑に落ちたというか、そこから私はちゃんと子に向き合えるようになったと思っている。(とか言って、今朝も怒鳴り散らしていますが)
何が言いたいかというと、子は子、親は親なのである。たとえば、ウチの子ばかり責められる、と親御さんが感じていたとして、それは親が責められたわけではなく、その子の行いが周囲との摩擦を生んだに過ぎない。ならば、その子が何を感じ、どうして手が出たのか、それを発達や個性の観点からも理解し、フォローしていけば良いのである。
親としてのゴールは、出来事に対する自分の反応に翻弄されることなく、子をフォローできることだと思っている。その先に、子どもたちの幸福はある。
が、何度でも言うが、言うは易し!そんなこと、みんな知っている。でも、”知っている”と”行動できる”は全然違う。
そこで、おしゃべり会である!
おしゃべり会は、子どもたちの幸福というゴールへの、前の前の前の前の前くらいの前段階である。結局、気づいて行動するところまで持っていくのは親自身なのだ。私は、そこに対してはなんにもできないし、誰もどうしようもない。でも、その一歩を踏み出すための踏み台くらいにはなれる。
6.で、どんな場にする?
と、ここまでひたすらイベントをやる理由を書いてきたが……
おしゃべり会なんて、やったことない。自分が主催できるのか、そもそも人が来るのか、来たとして満足してもらえるのか、不安しかない。こういう話は同じ学校の保護者とかにはしづらいし、我ながら結構需要はあるのでは?と思っているが……
どなたか、おしゃべり会を開催したことがある方がいらっしゃれば、コメントにご意見いただきたい。ここまで熱く語ってきて、他力本願かい?!と、自分でもツッコミを入れたくなるが、私なんぞが思いつくことは、人類の諸先輩方がとっくに通った道だとも思っている。ならば、先輩の経験を踏み台に(というと不遜極まりないが)より良いものを生み出したい。
なので、イベント進行について、ご意見あれば、ぜひ!
ちなみに、FPの方が以前共催した「シングルマザーのおしゃべり会」の際は、最初にポストイットに悩みを書き出し、それを分類したそうだ。確かに、その方法なら、その場にいる方に合わせた話題になる。
開催は三月を予定しているが、概要などの提出は一月十五日と伺っている。年末年始、帰省などもあり、できるのか?!とビビっている。
が、必ずやり遂げる!せっかく苦しんだんだから、これから同じところを通る人が同じ苦しみを味わう必要はない。大丈夫だから!と全力で寄り添う覚悟だけはある。