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名前の「わたし」になる。

 皆さんは「わたし(ぼく、おれ)」=名前の人 でしょうか。

 もちろん私は自分の本名=「私」です。そして本名が好きです。音、字、込められた想いなどが愛おしいです。名は体をあらわすといいますが、名前は「私」という人格に多くの影響を与えているように思います。
 私は本名以外にもたくさんの名前(筆名、アカウント名、創作活動のための名)を持っています。数えてみると10個近く……。

 筆名、ツイッターのアカウント名、イラストなどの創作活動の名、ラジオネーム……etc

 とくに筆名に関しては、その文体や作品によって使い分けています。本命ともいえる筆名、ファンタジーや童話を中心とした作品向けのペンネーム、歴史小説・時代小説に使う筆名などです。小説を書くとき、私はNyarlockではなくその筆名の人として息をし、言葉を連ねています。まだまだ未熟者なので書き分けが難しいときもありますが、その筆名でないと紡ぎだせないものが、あるのです。少なくとも私には。

 なぜ名前をたくさん持つ必要があるの? とよく言われます。ひとつの名前、ペンネームでいいじゃない、と言われたことが何度もありますし、理解されないこともあります。

 一つだけじゃだめなんです。作家・○○(筆名)としての人格(自分が決めた人格ですが)になることで作品が生みでてくることがあるからです。

 ここで誤解して欲しくないのが、決して活動名の人格になることは多重人格でも仮面をかぶることでもない、ということです。
 執筆しているのは「私」ですから完全に他の人格になってしまうということはありません。精神構造や考え方にブレはないです(おそらく)。ただ「語りかけ方」「文体」が筆名の人格によって変わるのです。

 文体と作風を書き分けするためのスイッチのようなもの、それが私にとってのたくさんの名前なのです。

 そしてその書き分けた作品たちが、実は私一人が作者でした、ということをして読者を驚かせるのが楽しい、というのも内心あります。この二人はどちらも私でした、と明かして読者を驚かせたときはすこし嬉しかったです。書き分けできていたんだ、と実感する瞬間ですから。

 もちろん書く内容に関しては書き分け切れていないときもあり、まだまだ修錬が足りないな、と思うことも(苦笑)
 こうしたエッセイのようなものは難しいです。本当だったらいまのこの内容、筆名のアカウントで書いても良い(むしろその方が合う)内容だと思うんです(苦笑)

 Nyarlockの人格は、というと、ポジティブな方の素に近い方かもしれません、テンション的に……笑
 いつも明るく誰かと楽しくお話ししていたい、猫好きの探偵・Nyarlock。それがNyarlockの人格のように思います。はたしてどのような印象を皆さんにもたれているのでしょうね。 

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