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生のアサリと塩を小さじ1

#シンプルの積み重ね

昨日、嬉しいことがあった。
かれこれ100案件近くで関わってきたであろう担当さんから、
唐突に、でも明確に、制作原稿に対するお褒めの言葉をもらった。

今までも『いいですねー』みたいなのは何度かあったが、
堅めの文章で、“評価”のようなメールが来たのは初めてだった。

『深いところまで取材され、魅力的に文字に落とし込まれています』
とあり、『いつもありがとうございます』と結んであった。

特に取材のやり方や書き方を変えたわけでもないし、
今回はいつも以上に力を入れたわけでもないが、
どのページのどこに何をどう書くかは、いつもとことん考えてきた。

重複させないようにするし、重複させるならわざとやる。
理屈っぽくならないように、でもしっかり理由を説明する。
過剰になっていないか、一度書いたものから半分くらい削る。

人は、受け入れるものが過剰だと、途中で突然拒絶する。
理解はおろか、惰性で続けることすらも止め、捨ててしまう。

以前書いた)シンプルな強さを求めてきた積み重ねが心を動かし、
今回たまたま、日頃の気持ちを伝えてみようと思わせたのかもしれない。


#唯一無二のポテンシャル

かつて、個人オーナーシェフ経営の小さなイタリアンでバイトをしていた。
シェフには、食材が手に入らないと絶対に作らないメニューがあった。

それが生のアサリであり、ペスカトーレだった。

シェフは本格的にイタリアンを学んだ人で、こだわりも強いのだが、
それでも気分や仕入れでレシピを工夫するようなことはままあった。

なのに、ペスカトーレとアサリの組み合わせだけは絶対なのだ。

理由は出汁、つまり旨味だ。
生のアサリを使わないと、他に何を足しても作りたい味にならないと。

その時は「へぇ、そんなもんなのか」と思った程度だった。


#旨味の繊細さ

プロフィールにも書いているが、僕は毎日料理をする。僕と妻の2人分。

料理において、突き詰めるとやっぱり大切で欠かせないのは「旨味」で、
ただの塩味と、旨味の効いた塩味は、全くの別物であることを痛感する。

一口に旨味と言っても、植物性の昆布と動物性の鰹では和でも違うし、
同じ動物性でも、鶏と牛ではこれまた全然違う。
玉ねぎを焦がしてコクにしたり、椎茸の風味やスパイスに委ねる時もある。

こんなのを手軽にしているのが、おなじみ旨味調味料のみなさまで、
味の素、ほんだし、創味シャンタン、コンソメなどを僕も使う。

ただ、繊細な調整は意外と難しく、何でも近い味に成りかねない。
今や調味料と化した焼肉のタレや麺つゆなんかが、その典型だろう。

さて、アサリの旨味の話、そしてシンプルの話に戻そう。


#丁寧な組み合わせ

昨日は、ボージョレ・ヌーボーの解禁日だった。

夫婦とも、飲める理由があれば乗っかりたい性分なもので、
もしくは縁起物みたいなもので、仕方がないようなふりをして、
ご多分に漏れず、昭和の日本人らしく、買いに出掛けることにした。

問題はアテで、さて何を作って食べようか。
ほぼお昼を食べておらず、お腹も空いていたので、つまみでは足りない。

ワインに合う物で、おつまみ感もあって、でもお腹にも溜まるもの。

妻が以前「いつか作って」と差し出した、切り抜きレシピを思い出した。
スペイン感を取り去ったパエリアのような料理だ。
オリーブオイルで生米を炒めたあと、水分と具材を加えて炊く。

プロの味を家庭用に作り易くしたレシピでは、
コンソメだのスパイスだのの調味料が、少量ずつやたらと入ることが多い。
(もはや何味にしたいのか、焼肉のタレや麺つゆが入るようなものもある)

ところがその切り抜きレシピは、調味料らしい調味料は、小さじ1の塩だけ。
オリーブオイルは使うが、最初に炒めがちなニンニクも、胡椒も入らない。

味を決めるのは、まず生のアサリとトマトピューレの旨味を筆頭に、
炒め玉ねぎ、割いた舞茸、焦げ目を付けた鮭、一握りのレーズン。以上。

旨味の掛け算に僅かな塩の刺激で、バランスの良い五味の五角形を描く。
材料9種と調理順を簡潔に書いたレシピだけで、ここまで満足できるとは。

個々が持つ魅力に細かく目を向け、
既にあるものを過不足なく丁寧に組み合わせ、

僅かな力をもって引き立てれば、人の心を動かすことができる。


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