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【ロサンゼルスで過ごした4週間】Part②-2学びの多かった日々

みなさん、こんにちは。

今回は、前回の【ロサンゼルスで過ごした4週間】Part②-1の続きです。Part②では、ロサンゼルスで経験したホームステイの出来事を中心に書いていきます。

↓私の自己紹介の記事です。よければ読んでみてください。


アメリカ人ってテキトー

・時間通りに来てほしい…
前回は、生活スタイルが私と全く異なるホストマザー(以下:マザー)との暮らす上で苦労したことを中心に書きました。
門限があり、健康思考なマザーでしたが、結構ゆるゆるな部分もありました。その一つが、時間です。日本人は、誰かと待ち合わせたり何か予約をしたりするときは、その時間ぴったりよりも少し前にその場所に着いているという人が多いと思います。ただ、日本国外では時間に厳しい人はあまり多くはないようです。私自身、あまり時間にルーズな人に出会ったことがなかったので、マザーと生活してみて時間を意識するようになりました。
マザーは、毎週土曜日にスーパーに食料を買いに出かけます。そのタイミングは、私にとっては絶対に逃したくないチャンスでした。なぜなら、その買い物に一緒に出かけたら食べたいものを買ってもらえるからです(大事な食料調達)。ということで、マザーと私はある土曜日に、12:30に家を出る約束をしました。その時間まではそれぞれ部屋で過ごしていました。12:25くらいに私が部屋からでてリビングを見てもマザーはいませんでした。そのまま、スマホを触りながらマザーが部屋から出てくるのを待っていましたが、13時になってもなかなかマザーは出てこない。13:30になってマザーは「よし、行くか」と言わんばかりに出てきました。そして、「寝てた」と一言。「え、1時間待ってたけど」と思いつつも、その日はそのままスーパーへ向かいました。
後日、今度は私が行きたかったお店にマザーと二人で行くことになりました。私一人でそのお店に行くつもりでしたが、マザーが「連れていってあげるよ」と言ってくれたので、車で連れていってもらうことに。その日も結局、予定時間より1時間ほど遅れてお店に行くことになりました。

・さすがに舐めてた
語学学校に行く際の通学手段はバスでした。バスがどこら辺を走っているのかリアルタイムでわかるアプリがあり、それを見ながら朝の支度をしていたのですが、時間通りに来ないことが多かったです。ある日、私は「今日もどうせバス遅れるでしょ」と思いながらバス停に向かったら、なんと私が乗る予定のバスが目の前を通っていきました。「え」と思ったら、まだ予定の時間より3分早い。「時間には余裕で遅れてくるけど、たまに早く行っちゃうんだww」と、アメリカの時間感覚に慣れるのはなかなか難しそうと思いました(笑)。

夜はなんだかんだ怖い

・乾いた音
私がホームステイしていた地域は、比較的にロサンゼルスの中でも治安のいい場所でした。なぜそう思ったかというと、その地域の道路はゴミなどが落ちていなく、近所の人たちのお庭を見ると、綺麗に手入れされていて人柄の良い人たちばかりだったからです。これだけで判断すべきではありませんが、私が通っていた語学学校はハリウッドの近くで、浮浪者や朝からドラッグをしてフラフラしている人が多く、匂いや汚れが言葉にならないくらいひどかったです。その地域と比較すると、私がホームステイしていた場所は治安がいいのかなと思います。ただ、気になることが一つありました。それは、銃声です。夜、ベッドでスマホを触っていたり、寝る支度をしている際に、「パンッパンッ」という軽い乾いたような音がすることが何回かありました。生の銃声など、これまでの人生で聞いたことは一度もなかったので、最初は気にしていなかったのですが、ある時に「これって銃の音だよね?」と頭をよぎったことをきっかけに、一気に恐ろしさが増しました。銃に詳しくはないのですが、私が聞いた銃声はそんなに爆音ではなかったのでアメリカの家庭で一般的な小さめな銃なのだと思います。私の部屋のベットは窓側で、かつ窓から細い裏道が見えたので、銃声が聞こえたときはカーテンからこっそり外を覗いたこともありました。ただ、誰が何をしているのかなど見えなかったので、とても怖かったです。「夜は危ないから一人で外に出てはいけない」という意味が、とてもよくわかりました。

喧嘩上等

・気持ちのすれ違い
マザーと私の食・生活スタイルの違いは、気持ちのすれ違いも引き起こしました。マザーは、私が家に帰ってくるときは大体オンラインミーティングに参加していました(メディテーション)。私は毎回、話しかけたら邪魔になると思い「Hi」と一言挨拶をして部屋に篭ることが多かったです。LAに来てから3週間ほど経った頃、毎日遊びに出掛けていたせいか少し体調を崩した日がありました。その頃は、コロナにかなり敏感だった頃なので、私は帰宅後はマザーの迷惑にならないように部屋から出ない日が2日間頃続きました。するとある日、マザーが私の部屋のドアを叩いて、「話がある」と言ってきました。扉を開けると、マザーは、

最近あなたは、帰宅したら真っ先に自分の部屋に向かい、私と全然話そうとしない。私の家に泊まっているんだから、私のことをリスペクトすべき。前みたいに話したり、テレビを一緒に見たりしないじゃない。

と言ってきました。私は、「いや、体調が良くないから部屋にこもってる。これも十分あなたをリスペクトしているつもりなんだけどな」と思いつつ、「私がこうしているのは、あなたのことをリスペクトしていないからじゃない」と反撃。その後、どうやって和解したのかは忘れましたが(一番大事なところ)、言いたいことを言わずにただ、「はい、わかりました」と言うことに納得がいかなかった私は、できるだけ簡単な言葉で自分の気持ちを表現しました。マザーに色々思うことがあったので、喧嘩するなら私も言いたいことがたまっているから、言い返してやると言う思いが強かったです。

その他

・最後の夜はエチオピア料理
私が日本に帰る前の最後の夜は、マザーとマザーのお友達と3人で外食をしました。人生で初めてエチオピア料理を食べました。名前は忘れてしまいましたが、布のようなものでカレーのようないろいろな種類の肉を包んで食べる料理です。不思議な味でしたが、美味しかったです。


右のお皿に乗っている皮でカレーのようなものを包む料理

・友達のホームステイ先
ということで、まあまあ苦労した4週間のホームステイでしたが、友達はとても豪華なホームステイ先だったらしいです。その子は、4人(3人だったかも)家族のお家で、週末はファミリーが色々な場所に連れて行ってくれたらしいです。また、ラスベガス旅行に連れて行ってもらったり、親戚の豪邸にも行ったと言っていました。写真を見せてもらったのですが、まさに私が想像していたアメリカンライフで、とても楽しそうでした。


もう少し記憶が新しい時にこのことを書くべきだったと後悔しています。もちろん、写真や日記を残していますが、あまり鮮明にその時の気持ちなどを細かく書くには、少し遅かったと思います。
個人の感想、主観でLAでの経験を振り返りましたが、少しでもホームステイ事情、食や文化の違いなどを考えるときの参考になればと思います。

次回は、LAの観光地について、写真をたくさん使いながら投稿したいと思います。
投稿予定の【ロサンゼルスで過ごした4週間】のテーマは、
・LA観光地
・食べ物
・文化
・野球

などを予定しています。今後の投稿も読んでいただけると幸いです。

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