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映画レビュー「アメリカンヒストリーX」

制作 1999年 米
監督 トニー・ケイ
出演 エドワード・ノートン
   エドワード・ファーロング

 昔も今も、世界中のあちらこちらで大小争いは尽きることがない。
人種の違い、思想や宗教の違い、歴史的な因縁によって脈々と繰り返される復讐の連鎖等、原因と理由は様々なのだろう。
映画の中でもごまんという作品の中で様々な争いが描かれており、私もそれなりの数を目にしてきた。
そこで描かれる争いは、いわば人間が根源的に抱えている業のようなものとして描かれ、永久に消えることはないという諦めの気配こそあれ、この世から争いを根絶しようとか、復讐の連鎖を断ち切ろうといった明確な視点を持っているものは少ない気がする。
本作はその点、差別や暴力を、ただどうにもしょうがない人間の業と描くのではなく、その連鎖を断ち切ろうという意思が含まれているところにオリジナリティを感じる。

 ノートンが演じるデレクは、父親を黒人に殺されたことから白人至上主義に傾倒し、過激な人種差別団体(ネオナチ)のコミュニティに所属するようになった青年だ。頭はスキンヘッドにし胸にはナチスの鍵十字のタトゥーを刻み、黒人のみならず、アジア系、ヒスパニック系、ユダヤ人、など白人以外の移民系すべてを害虫どもと罵り、白人貧困層の若者を集めては過激な民族浄化活動を繰り返していく。そんなある日デレクは、車を盗もうとした黒人たちを惨殺して逮捕され、3年の刑期を務めることに。時は過ぎ、兄を敬愛していた弟ダニーは兄と同じ道をたどるようにネオナチコミュニティに所属するようになった。
やがてシャバに出てくることになったデレク。兄との再会を喜ぶダニーだったがデレクはダニーにネオナチ組織を抜けると告げる……。

序盤はとにかく、私には全く理解も同情もできないネオナチ思想をまくしたてるデレクの狂気がすさまじい。
弟のダニーも学校の読書感想文にヒトラーの「我が闘争」を取り上げ称賛し、校長先生に呼び出しをくらう。
しかしこの黒人の校長先生の接し方がいい。
ダニーの思想があくまでも思想である以上は強く𠮟ることはせず、代わりに、兄のデレクがなぜ狂信的なネオナチ思想に至ったのか、アメリカの社会との関連性について、弟としてどう考えてるのか、題して「アメリカンヒストリーX」という作文を書けという宿題を出す。
この校長、兄のデレクの担任でもあったようで、とにかくこの兄弟に対して、常に温かい視線で見守っているのだ。
ここで私はハッとさせられた。
狂信的なネオナチ思想に傾倒する兄弟を、なんの理解もしようとせず、問答無用に切り捨てようとしていたことを・・・。
あとは獄中での出来事がデレクの思想を大きく揺るがすわけだが、
そこはあまりネタバレしてもいけないので詳細を語るのは控えておこう。
まあ、ざっというなら、獄中にもさまざまな人種がいて、それぞれにイイ奴もいれば悪い奴もいるということだろうか。
そこで感じるのは人間を民族で一くくりにすることの愚かさだろう。
デレクも、そのことに獄中で初めて気づいたというわけだ。
「遅せーよ!」と思わず突っ込みをいれた私だったが、
それは現代日本の恵まれた環境でぬくぬく育った私だからこそ
幼いころから様々なアニメや映画を観ることができ、
その中で広い視野を培ってきたからこそいえることではないのか。
映画もアニメも見る術もなく、家族と地域コミュニティだけが世界のすべて、という時代や地域の人達もいる。
そういう人たちが家族や地域の思想にダイレクトに影響を受け、極端な思想に傾倒していったとして、それを責めることができるだろうか・・・

映画は、自分たちが生きている小さな世界を飛び出して、大きく広い視野をもたせてくれる。
やっぱり映画はいい。映画を観ること、映画から学ぶことは止めてはならない。
もちろん本でもドラマでもアニメでもいいんだけど。
最近、映画を観ることにもレビューを書くことにも一時の情熱を失いつつあったが、再びその熱を復活させてくれそうな力をもらえた作品だった。