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小川洋子「博士の愛した数式」

初版 2005年11月 新潮文庫

あらすじ
「ぼくの記憶は80分しかもたない」博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた―記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。
(アマゾン商品紹介より)

私は学生時代、数学が大の苦手だった。
結構、まじめに勉強はしていたと思うんだけど、頭になんも入ってこなかったんですよ。
ほとんど学校に来ない不良さんたちに交じって、いつも補習補習で・・
留年ギリギリの温情赤ザブで何とか卒業できたという感じでした。
この本も素数だ友愛数だといろいろ出てきますがね、
素数は2以上の自然数で1と自分自身でしか割り切れない数字といわれれば、
ああそうかとわかるんだけど。で?「だから何?」と思ってしまう。
この「だから何?」が、私の頭の中ではわりと何に対してもありがちなんだけど、特に数学に対しては根深くはびこっていたせいで、たぶんどんな参考書を何時間勉強しようと、なにも頭に入ってこなかったんじゃないかと思うのですよ。
なんて、こんなところでいまさら言い訳してもしょうがないけど・・
いやいや、言い訳がしたいんじゃなくて・・
この「だから何?」という事柄に、スポットを当てるのがうまいのが小川さんなんじゃないか、と言いたいのです。
スポットというより、もっとやわらかく温かく、ろうそくの灯で照らしだす
といった方がいいかな・・
小川さんの作品の中の登場人物たちは、みな一様に「だから何?」という事柄を淡々とこなしていながら、その背景に、寂しさだったり、空虚さだったりを背負っている。
背景の方はあまり細かく描かれないんだけど、「だから何?」という事を淡々とこなす、その姿にこそ余計に、何やら重い十字架を背負っているじゃないかという想像を掻き立てさせられるのですよね~。
人生経験を積んできた大人ならだれしもがそういう経験の1つや2つあるのではないでしょうか・・。
だから、細かい事を説明しなくても、なんか心に沁みる、共感してしまう。
そこが小川さんの本の魅力じゃないかな。

本作でなぜか私の心に残ったのは主人公三人が野球観戦に行ったときにいた、亀山ファンの男のエピソード。

二十代らしい若者だったが、作業着の上に亀山のユニフォームを羽織り、腰に携帯ラジオをぶら下げ、とにかくひとときたりとも金網に絡ませた十本の指を解こうとしなかった。
広島の攻撃中にはレフトの亀山に視線を送り続け、彼がウエイティングサークルに姿を見せただけで興奮し、打席に入っている間中、名前を呼び続けた。時には激励風に、時には哀願調に声の感じを変化させながら、1ミリでも本人に近付こうとするかのように、おでこに金網模様ができるのも構わず、顔をぐいぐいと金網に押し付けていた。
相手選手を野次ったりはせず、亀山が凡退しても愚痴やため息さえもこぼさず、ひたすら男が発する言葉はただ一言「亀山」のみだった。その一言に魂のすべてを注ぎ込んでいた。
(本文P147より)

この人はほんのエキストラだから、これ以上は出てきません。
この人が背負っている背景もなんら描かれません。
しかし何かとてつもない事情を背負っているんじゃないかと・・・
なんだか熱いものが込み上げてきちゃたんですよね~。


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