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読書レビュー「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」 角幡唯介

初版 2012年9月 集英社文庫

あらすじ
チベットの奥地、ツアンポー川流域に「空白の五マイル」と呼ばれる秘境があった。そこに眠るのは、これまで数々の冒険家たちのチャレンジを跳ね返し続けてきた伝説の谷、ツアンポー峡谷。人跡未踏といわれる峡谷の初踏査へと旅立った著者が、命の危険も顧みずに挑んだ単独行の果てに目にした光景とは―。第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。(アマゾン商品紹介より)

角幡さんは、僕がこれまで興味を惹かれてきた登山家や冒険家とは一風違った“探検家”だそうだ。大学では山岳部ではなく探検部に入る。アフリカで怪獣と遭遇したとか、東チモールで反政府ゲリラの将軍に接触したとか、いかにもうさん臭いビラに、人生に対する渇望感を満たしてくれそうな雰囲気を感じ取ったそうな。
「探検」といえば、僕がまっ先に思い出すのは「川口浩探検隊」だ。
小学生時代は探検少年だった。近所の森に同級生の友達と秘密基地を作り、毎日泥だらけになって野山を這いずり回った。立ち入り禁止。入るな危険。と書かれている場所は「入れ」というサインだった。洞窟とか防空壕跡とかを見つければ迷わず入る。川口浩が~洞窟に入る~♪と歌いながら。(今調べたら嘉門達夫の歌だったのね)学校行く前の朝にはアニメ「トムソーヤの冒険」を観てから出かけ、初めて読んだ小説はたぶん「十五少年漂流記」とか「ジャングルブック」とか。まさに探検少年だった。時代がそういう時代だったのか?しかし、周囲の友達たちは小学生の高学年にもなれば次第に探検仲間から離脱し、サッカーとか野球チームに所属していくのが最もポピュラーな道だったが、僕などは、所属していたカブスカウトからボーイスカウト、シニアスカウトへ嬉々として進んで、月1でハイキングやらキャンプやらに出かける生活を高校卒業するまで続けることとなる。
 だから、角幡さんが、大学の探検部のうさん臭いビラに「渇望感を満たしてくれそうな雰囲気を感じた」という気持ちはなんとなくわかる。
幸か不幸か、僕の探検人生は高校生で終わり、角幡さんは大学生から始まった。

本書は、そんな角幡さんが、「ツアンポー峡谷」というほとんど知名度のない場所を探検した記録と、なぜそんなところに行こうと思ったのか、「ツアンポー峡谷」とはどういう場所なのかを、数少ない先人たちの探検記録を交えながら綴っていくノンフィクション探検記だ。
それをここで説明すると長くなるので、ざっと大まかにいうと、「ツアンポー峡谷」とはチベットからヒマラヤを切り裂き、インドへ抜ける峡谷で、側壁の最大深度は6009mと世界最大である。(この数値を基準にしてはグランドキャニオンは10位にも入らない)その地理的な困難さから調査できていない、今だに前人未到の空白地帯の部分が5マイルある。その空白の5マイル(8キロ)程の間に川面の高度が600m下がっており、この間に幻の大滝がある可能性が高い。この大滝の発見をめぐって、1990年台にアメリカの探検家2人と中国の調査隊が空白の5マイルの調査に挑むも完全踏破には至らず、滝も20mぐらいのものをいくつか発見するが大滝といえるものは発見されずで。ならば俺がと、その空白地帯に惹きつけられた角幡さんが2002年、2009年と2回に渡って挑んだ探検記だ。
先人たちの探検記録の紹介部分が結構長々で、若干だるいのだが、角幡さん自身の探検記の部分は読んでるこちらも手に汗握る臨場感にあふれ、俄然面白い。
必要以上に自然を美化することもなく、哲学的にふけることもない筆致も、これまで読んだ冒険家の手記と一風違っていて面白い。
例えばこんな一節がある。
―――わざわざ苦労してこんな地の果てのような場所に来ても、楽しいことなど何ひとつないのだ。シャクナゲやマツが発するさわやかなはずの緑の香が、これ以上ないほど不愉快だった。自然が人間にやさしいのは、遠くから離れて見た時だけに限られる。長時間その中に入り込んでみると、自然は情け容赦のない本質をさらけ出し、癒しやなごみ、一体感や快楽といった、多幸感とはほど遠い所にいることがわかる。・・中略・・毎晩のことだが、眠ることなどほとんど考えられなかった。相変わらずダニが体中にむらがり、寝袋の中で全身をかきむしらなければならなかった―――
探検の顛末については触れないでおこう。
水曜スペシャル世代には絶対おすすめ。そうでない人も、大自然の探検は映像で見るか本で読むからこそ面白い。たまにはいい気分転換になるのではないかな。
とはいえ、実はエピローグ、あとがきで氏の哲学めいたこともちらりと語っており、そこがまた面白い。
――極論を言えば、死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。
――私が書きたかったのは自分自身のひとりよがりの物語だった。
――読み手がどう思うかなんて、そんなこと考えていたら熱い本なんか書けるわけないじゃないか。

まだまだ紹介したい部分はたくさんあるけど、あまり長すぎてもなんなので
ここは我慢しよう。あとはご自身で確認されたし。
確かに作家的技術に荒い部分はある。僕のような探検好き少年だった読者でもおいてけぼりにされたところもある。でも、そんな独りよがりな勢いが面白く熱い。まさに、うさん臭い川口浩の探検に嬉々として惹きつけられたあの頃の感覚がよみがえってきた。
またまたしばらく動向を追いかけたい人が一人できてしまった。

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