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ICUC#019(篭って週間#013)2020.6.21【新月と夏至と一粒万倍日と天赦日と初詣と古事記と聖書の話】

今週も元気に知的好奇心のアップデート【 ICUC 知的好奇心向上委員会】に参加したので、復習用の参加メモを作成しています。

今日の推薦図書
『新版 古事記 現代語訳付き』中村啓信訳注(角川ソフィア文庫)

動画 (ICUC先行公開後に一般公開。)
ICUC#13ICUC#13「新月と夏至と一粒万倍日と天赦日と初詣と古事記と聖書の話」

2020年の6月20日は一粒万倍日と天赦日で翌日の6月21日は夏至で新月です。
そんないろんな”しきたり”と古事記と聖書について、最近僕が学んだことを話しています。
よかったらゆるりとご覧ください!

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

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ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

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動画の内容
・そんなに昔じゃない昔
・知ることが面白いと訴え続ける
・聞くだけの存在
私のメモという名の感想
・私がICUCで「つまらない」の線引きを1つ動かした話
・私が思う神様の話

そんなに昔じゃない昔

6/21は新月、始まりの月。6/20の今日(収録日)は夏至。太陽が一番高く、1年で一番昼が長い日。これから徐々に昼の時間が短く、回帰していく。Tropic of Cancerは面白い概念だけど、今日話したいことを話せなくなるから、また今度話そう。
今日は6/20、収録はいつも配信日の前日か当日で、今日撮ろうと思ったのは一粒万倍日、天赦日が重なった日だから。一粒のモミが万倍に増えるという日だから、新しいことを始めるのに良い日。散々見なくてもいいとか言ったけど、このYouTubeを見る人が一粒万倍になったらいいなと思います。

一粒万倍日など「そういう日と言われてる」って日はいつから言われていて人々が信じているのかというと、明治、100~150年前のものが多い。”昔から”と言われていることってそんなに昔じゃない。この前、民俗学の先生に教えてもらったんだけど…

初詣は近代、鉄道ができてからの風習。京成は成田、近鉄は伊勢まで走ってる。鉄道がどういう風に集客できるか考えて初詣と組んだ。
それから24時が過ぎたら元旦というのも太陰暦から太陽暦変わった明治になってから。それまでは24時で日付が変わる概念がなかった。これが24時に明けましておめでとうございますになったのは戦後、さらには紅白、行く年来る年が始まってかららしい。

門松もつい最近100~50年程度。江戸時代は七夕のような笹が付いてる丈の長いものを玄関のわきに飾っていたそうで、浮世絵にもある。

だから、僕たちが一粒万倍日や天赦日などを気にするようになったのも、たぶんそんなに昔じゃない。
僕は人生の後半は民俗学を研究したい。バラエティプロデュースと組み合わせたい。なぜ一粒万倍日のようなものを創設して日常に浸透したか、そのシステムが面白い。良い悪いは別として、謂れがあると価値がり、新しいと価値がないと思われがちなのに、謂れがあると思われてたものが意外と謂れがない、短い。それってもしかしたら色んな“しきたり”は最近のもので、かといって、それでも明治から150年は経過していて。昔だけど、昔じゃない。

考具という本を書いたの加藤昌治君本を書こうとよく会ってるけど、彼はと高1から35年の付き合い。35年て倍で70年…とすると、150年ってそんなに昔じゃないと感じた。そうなると1400年前の聖徳大使もそんなに昔じゃない気がしてしまう。加藤君と知り合って40倍で1400年になっちゃう。人生の数え方は色々あるけど、20代さかのぼれば聖徳太子の時代に戻れちゃう。

そう思うと、ここ30年で人気になった恵方巻みたいなことと、130年前に習わしになった初詣みたいなことと、クリスマスの方が古いなんてこともあり。何が新しくて何が古いかを調べると面白いし、良くも悪くも、それ(古さ、歴史、謂れ)を盾にとって凄いというのは実はそんなに凄くない。
とか言いながら、お財布にはお守りが入ってる編集者の方がいたりして。そんなの関係ある・ない、気にする・しない、科学的か?古からあるか?そこでこだわることは大事だけど、それを価値として崇めないと許せないなんていう人がちょっとチャチに感じる。

大したことないけど、大したことあるというか。大したことあると思う人を、大したことないと思う人が馬鹿にするのはおかしいし、大したことないと思う人を、大したことあると思う人がものを知らないと言うのもナンセンス。

知ることが面白いと訴え続ける

なんでそんなことを思ったのかというと。今日のおすすめ本は「古事記」(笑)
古事記読んだことあります?口語訳の古事記が流行ったときに読んで面白かったけど、原文だと読めないと思っていた。でもこの本は頭に書き下し分があり、現代語も載っていて、さらに原文も載ってるいい本なんです。
なぜ古事記を読んだかというと、古事記にある詩を研究する授業を取っているから。試しに受講したら学生3人、僕が4人目で、「では角田さん、また来週」なんて言われると、抜けるに抜けられずそのまま受講している(笑)

古文は意外に読める。そう思うことが大事だと思う。そう思うと森鴎外や福沢諭吉などの近代も読める。二十歳くらいに徒然草を原文で読んだらいいこと書いてあって、買って全部読めた。読めたという経験が「古文なんてちょろい」と思えちゃう自分、本当にちょろいかどうかは別として、古文が読めた、ちょろいじゃんと思えることで、コンプレックスを排除できる、根拠なく大丈夫と思える。
でも僕の中では、徒然草は鎌倉時代後期だから、鎌倉時代までなら読めるいう思いがあった。だから江戸時代なども何となく読めると思うけど、万葉集や平安時代とか古事記、日本書紀は無理だと思っていたら、結構面白い。

古事記は上中下巻で、上巻は天照大神や八岐大蛇、中巻は神武天皇、下巻は仁徳天皇のお話。
授業は下巻、仁徳天皇。先生が解説したり学生が発表したりするけど、4人なのですぐ自分の番に。僕の担当は、天皇が八田若郎女(やたのわかいらつめ)という女性に恋をして詩を贈るが、その詩をどう分析するのかといった内容。詩の分析なんて興味なかったけど、分析してみると古事記がどうやってできたのか分かって面白い。つまり古文が難しいと思っているから読めなくて、読めてしまうとそんなに難しくなくて、難しくないと面白い。そして詩の解釈なんて面白いの?と思ってたけど、解釈してみると面白い。

若いうちにそう思えればいいけど、いい年してても面白い。いい年だからこそ面白い。
一粒万倍日と天赦日の話じゃないけど、最新のものが良い、これはもう遅れてる、これは古からのもの、そんなものは関係ないと思う。古事記はいにしえ、700年ほど、8世紀の頃、雑に何年ごろと言ってるけど、そんな知識でも古事記を読むと知らないことがたくさんあって、僕の印象では以外に“読み物”だった。そこが面白いと感じたところ。
難しいというタガが一回外れると、読み物としても結構面白い。教科書だって教科書という読み物としてみると良くできている。歴史もそうだし、化学も知らないことだらけで面白い。
知らないことを、知らないからつまらないと思うか?知ることを面白いと思うか?はキャラクターなので、角田だから面白いんでしょと言われたらそうですとしか言えないけど、これは知的好奇心向上委員会なので、面白いと思うと訴え続けるしかない。

聞くだけの存在

古事記でなにが面白かったのか。
仁徳天皇の本名は大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)。女性は女鳥王(めどりのみこ)に恋心を抱き詩を贈るが、異母弟の隼別皇子(はやぶさわけのみこ)に仲人を頼んだところ、女鳥王と隼別皇子がくっついてしまい、かつ反乱を起こしそうだったので軍で制圧した逸話。

兄は日本で最小種の鷦鷯(ささぎ)で、弟は猛禽類の隼。武力より文知に長けていることが大事だというメタファーではないかと先生に持論を述べたが、やさしく「違いますね」との回答。先生が仰るには、「小鳥が猛禽類に勝ったことに価値があるということも考えられるが、神様の子孫である天皇陛下がただそこにいらっしゃるということが大事。天皇が優秀かどうかも関係なく、従える臣下の報告に対し指示を出すことすら重要ではなく、天皇に報告が出来たということだけでありがたい。“聞く天皇”という論文に書いてあるので読んでみてください。」とのこと。

それを聞いて今も同じだと思った。昭和天皇も「あ、そう。」と聞いてらっしゃったし、被災地で国民の声を聞いてらっしゃるし、聞いてもらった人はとても喜んでいる。それでいいんだと思った。

仮に偉い人は何なのかと考えると、そこにいることが重要で、古事記の時代からそうだったということ。しきたりは実は最近の話というのも、そうは言いつつ実は古事記で書かれているような雰囲気は日本にはずーっと続いている。明治維新の錦の御旗があればとか。
天皇陛下がなぜ万世一系ずっと続いているのかというと、その地位を壊す必要がなかった。フランス革命では16世が断頭台に遭ったけど、王を処刑して政府を転覆する意味がこの国にはないんだなといことを古事記で言われている。織田信長や徳川家康が政権を握ったときも、天皇を滅ぼして天皇に代ろうとしていない。むしろ天皇に右大臣だとか征夷大将軍だとか任命されて幕府を開いている。天皇が天皇の位置にいることに価値がある。

これが古事記から続いていると知れたことが勉強になったなと言いたかった。
そしてそれが日本だけのことかと思っていたら、ラテンアメリカの宗教という授業では、アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣言することが政教分離じゃないと思っていたけど、先生が仰るには「神とは言うがキリストとは言っていない」とのこと。ただ神において自分は大統領だと宣誓する。つまり神とはキリスト教の神ではなく、それぞれが思う神でよく、ただこの世界は神が作ったのは事実であり、その神という絶対的なものに大統領だと宣言するために聖書に手を置く。
日本でも西洋でも神を絶対的なものにしてるのは同じで、そのうえで何を信じるか、どう行動するを動かす存在ということ。


私のメモという名の感想

Tropic of Cancer:北回帰線、夏至線
Wikipedia:回帰線

Wikipedia:大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)

面白さは時間で区切れない。最新のものも、いにしえのものも、面白い。同じように知らないからつまらないという線引きもできなくて、面白くないなら自分にどういった線引きがあるか考えた方がいい。

私がICUCで「つまらない」の線引きを1つ動かした話
中学のとき「国語の成績が悪いとどの教科の成績も悪い。なぜならどの教化も国語で書いてある。それを理解できないんだから。」と言った先生がいた。国語=日本語が分からないので当然英語も、ということ。
私はこれに120%納得した。今でも文字を読むこと自体が苦手だし、(太っている今からは想像できないけど)体育と音楽の成績だけは手を抜いても良かったから。

今、こうしてたくさん文字を並べ、区切りごとに何度も読み返し、それができたら全体も何度も読み返す。読むこと自体はやっぱり大変。だけど、先に頭にあること、聞いたり思ったりしたことを書いたり読んだりするのは、割と何とかなることが分かった。全く初めてのことを読むと聞くでは、聞く方が断然頭に入りやすいと分かったし、あれほど読むことが苦痛だと思ったけど、頭にあることなら何とかなる。

だから、読むこと以外に手がないものに対応するために、「篭って角田陽一郎と」スタイルになってから、日曜は丸々一日この作業に充てるために予定を空けてるのかも知れない。ICUCに来て「知らないことはつまらないとは限らない。読めない、理解できないなら、知る方法、自分に合う方法を選べばいい。」と分かった。

私が思う神様の話
世界を作った凄い・・・人、ではない、人間には計り知れない何かを神と呼び、人の理解の限界として(例えば夢に出たときとか)人型となって神様なのかな。人の敬称としての”様”でも、様子の意味での”様”でも。
偶像崇拝を禁止する宗教って、神とは何であるかが多くの人に分かりにくかろうとも、人間に分かるような簡単なもんじゃない、遜って噛み砕いて伝えたりしないぞ!という意気込み?だったら面白い。
最初は自然現象や強い動物、飛べる動物(だから小鳥でも名前なるんだろうな)を神格化して、何となく人型が出来上がると神様にも人格・個性というかイメージが付き、多神教から一神教が派生し、最近は科学技術という、また形のないものを崇拝するように。形は人間の都合でしょっちゅう変わるけど、いつだって世界には神様がいて聞いてくれる。
AIのディープラーニングは人の報告、結果はご神託みたい(笑)

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(by 角田さん)

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