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  • 四十過ぎ純ジャパリーマンが多読で英語の本を読めることを目指す

最近の記事

まるで昔見た映画みたいに

「あなたのいない世界で」の歌詞を不意に思い出したので、書き出してみる。美しい詩だ。 あなたのいない世界で私は/週末の朝一人手紙を書いた/ブルーのインクで小さな文字で/季節の移ろいをあなたに伝えたくて/書き終えて私は少し泣いた/その後で引き出しに鍵をかけた/あなたのいないこの世界で あなたのいない世界で私は/週末の午後一人で映画を観た/若くて美しい顔の娘と不幸せそうな男の物語を/二人は恋に落ちてそして死ぬ/観終わると私は少し泣いた/あなたのいないこの世界で あなたのいない

    • おさるのジョージを読んでみる

      「Curious George」を読んでみる。文章はさらさら読める。内容は少々不愉快。アニメ同様、ジョージはさまざま失敗するが、ラッキーによって事態は好転し、ハッピーエンド。子どもの教育によくなさそう。でもこれが無根拠な楽天的発想を支え、リスクテイクを容易にする土壌をつくっているのだろうか。 二つの話にcommotionという単語があり、意味がわからなかったが文脈で「騒ぎ」と推測、辞書をひいて確認。なるほど~、これは忘れないわ。 次はこれに挑戦予定。 https://w

      • 英語を多読で学んでみる

        サラリーマンは気楽な家業、だったのは今は昔のこと。なかなかにシビアな昨今、子育てもあって時間もない中、息抜きとともに英語の勉強をできないかと思い、考えたのは、多読による学習。苦もなく出来ると言うではないか。 とりあえず、これを買ってみる。 https://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E5%A4%9A%E8%AA%AD%E5%85%A5%E9%96%80-CD%E4%BB%98-%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%9

        • suddenly I found myself forty-five

          気がついたら四十五になっていた。おそらく、四十五になったことのある人にとっては、身に覚えのある嘆息だろう。 ホントに、気がついたらなっていたのだ。 もう少し、じわりじわりと何か気づきのようなものとともに歳をとるのかと思っていたが、全くそんなことはなく、突然自分が四十五のおっさんになっていることに気づく。 こう書いたからといっても、何も「四十五になった!」とか「おっさんだ!」などと嘆いているわけではない。ただ、そのあっけなさに軽いため息をついているだけだ。 そして、それはおそら

        まるで昔見た映画みたいに

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        • 四十過ぎ純ジャパリーマンが多読で英語の本を読めることを目指す
          1本

        記事

          夏の妹

          大島渚「夏の妹」を見る。沖縄の話。 見ていて思ったのは、実は大島渚はメインストリームの文化人だということ。親は農林水産官僚で、自身は猪木正道を師匠に持つ京大法学部の人だ、という。 こちとらそんな意識が全然無いから、そういうことで苦しみ悩む大島が滑稽でたまらない。まあ、本人にとっては深刻だったんだろうけど。 日本も背負ってなきゃ、エリートでもない人間が見ると、なんだろうな、という。ありていに言えば、不幸自慢勝負したって生産性はないよね、ってこと。

          顔で笑って腹で泣く

          「男はつらいよ おかえり寅さん」を見る。 以下ネタバレあり ーーーーーーーーー 過去の作品を使われるとやはり懐かしくて泣ける。 老いに関する悲しさを表現しているところは、かつての寅さんではあまりなかったように思うが、とても素晴らしい。 一方、泉との別れのシーンは、何だか良くわからない。奥さんが死んでたことを隠すことはそんなに悪いことなのか。それを教えてくれた元恋人にキスする理由になるのか。 ーーーーーーーー 「〈責任〉の生成」を読んでいる。とてもスリリングな推理小

          顔で笑って腹で泣く

          「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる

          なんとなく「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。 多分、4度目。 一番最初は中学2年生。読み終えたときにダイジェスト版だと気付いてガッカリしたことくらいしか覚えてない。アリョーシャとイヴァンが桜のジャムを食べたこととか。 二度目は、一浪が決まったその日、一年間あるから、と八重洲ブックセンターで4巻買った。一巻は一週間かかったが、2巻目からは一日ずつで読んだ。ドストエフスキーショック!イヴァンの無神論にしびれる。 三度目は、社会人になってからだろうか。イヴァンよりドミート

          「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる

          酒を飲む

          酒が好き、というのは私はナルシストで、あまり人から褒めてもらえてないので自分で自分を褒めるしかないのです、と告白しているようなもので、何とも恥ずかしい話だが、事実だから仕方がない。 開き直るという程羞恥心があるわけでもなく、さりとて飲まずに過ごせるほど退屈のやり場がないから、今、赤霧島をロックで飲んでいる。美味いわけでもない、が、不味くて飲めないほどでもない。 気が付けば齢四十を過ぎて五年、もう少し知恵がついたり老成したりすれば良いものの、生来の愚鈍故かなかなかに煮えきらぬ。

          酒を飲む

          他に話すことがなかったのよ

          折角だから備忘しておく。 久しぶりにあった後輩、と呼ぶには年の離れた人との会話を、とある先輩にしたところ、笑いながら「他に話すことがなかったのよ」と言われた。 正確に言うには、「他に話すことがないし、そうあしらっておけばいいくらいな鈍感なバカだと思われてんのよ」ということかと思うた。 事実そうなのだ。 おじさんはエヘラエヘラ笑いながら、意外と見てますよ。 でもまあ仕方あるまい。私もそのようなバカな若者だったし。

          他に話すことがなかったのよ

          いま、内田裕也は何を考えているのか

          内田裕也の政見放送を見る。 なんと言ったものやら。 ただ、なんだか泣けました。何に泣けたのか分からないけど。

          いま、内田裕也は何を考えているのか

          言葉が言葉であったときから

          「酔っ払いの戯言」という言がある。酔っ払いの言うことなど聞かずとも良い、ということのようだ。だが、あえていえば、誰の言も聞かずとも良いし、誰かの言を聞こうというのであれば、酔っ払いの言であっても聞けば良いのだ。 コスパ、という。コスパ。なんと吝嗇な言葉だ。それを発するあなた自身の生のコスパを勘案しないが故に言える言葉ではないのか。あえて言おう、「コスパ」などと恥ずべき言葉を発するあなたの言を聞く暇などない。 長い歴史の中、お前のくだらぬ言葉など聞くほど暇ではない、という言を飲

          言葉が言葉であったときから

          それぞれ二人忙しく汗かいて

          仕事。久しぶりに同期と会う。 ユニコーン「素晴らしい日々」が頭に浮かぶ。暗い話にばかりやたら詳しくなったもんだ。 上の人からは自覚が足りないと言われる。下の人からも自覚が足りないと言われる。

          それぞれ二人忙しく汗かいて

          読まなければいけない本なんてない

          守らなければいけないルールも、やらなければいけない仕事も、読まなければいけない本もない。つまりは罪もなければ罰もなく、したがって救いもない、ということだ。 細かい話が知りたければ、「罪と罰」を読んでください。漫画じゃなくて、新潮文庫か岩波文庫とかで。望ましいのは原書なんだろうけど、すいません、私はロシア語読めません。日本語だって読めてるのかどうか。 久しぶりにお酒を飲んでいる。ああ、良い心持ちだ。もちろん、飲まなければならない酒もない。 酒を飲むと、個人としての身体は毀

          読まなければいけない本なんてない

          問題は問題それ自体ではなく、問いの立て方にある

          〇〇のメリットは?という問い方がある。まあ、仕事でそういう問い方をするのは良いと思う。マナーとか文法の問題だからだ。トイレに行ったら手を洗う、ハンカチで手を拭く。スーツで出社する。人にあったら挨拶と名刺交換。 だが、それを人生に持ち込むのは、間違っていると思う。もちろん、投資の費用対効果を考えるのが悪いというつもりはない。だがあらゆることにそういう尺度を持ち込むのは間違っていると思う。なお、これは科学の話ではない。信仰の話なのだ。 スティーヴ・ジョブズがconnectin

          問題は問題それ自体ではなく、問いの立て方にある

          白隠の隻手の声を聞くよりも両手を打って商いをせよ

          西村恵信「白隠入門 地獄を悟る」読了。タイトルの「地獄を悟る」に惹かれて買ったのだが、後書きに言及があるのみで、それも特に解説めいたものでなく、南無地獄大菩薩という文句を晩年の白隠が好んで書き、それに筆者が共感を覚えた、とだけ。これも公案の一つでしょうか。 この文句を見たとき、やはり思い出したのは歎異抄「一定地獄はすみかぞかし」という文句。まあ、そこまで開き直れれば、悟るだの悟らぬだのどうでもいいのかもしれない。 ブルーハーツの言い方を真似れば、ここは天国であり、地獄でも

          白隠の隻手の声を聞くよりも両手を打って商いをせよ

          汝等らの中罪なき人は、先に石を彼に擲つべし

          デイヴィッド・ハルバースタム「ザ・フィフティーズ」を読んでいる。アメリカの50年代に何が起きていたか、のノンフィクション。これが面白い。元は坪内祐三が「『若者』が誕生したのは50年代。それまではそんな購買力がなく、マーケットでもないから無視されてた。」というような話で興味を持ったのだった。 フーコーによる人間の概念への言及を持ち出すまでもなく、あらゆる概念は歴史的である。あるいは、恣意的、あるいは、偶然的と言い換えても良いかもしれない。 実力主義や個人主義をあたかも論理的

          汝等らの中罪なき人は、先に石を彼に擲つべし