言葉が言葉であったときから

「酔っ払いの戯言」という言がある。酔っ払いの言うことなど聞かずとも良い、ということのようだ。だが、あえていえば、誰の言も聞かずとも良いし、誰かの言を聞こうというのであれば、酔っ払いの言であっても聞けば良いのだ。
コスパ、という。コスパ。なんと吝嗇な言葉だ。それを発するあなた自身の生のコスパを勘案しないが故に言える言葉ではないのか。あえて言おう、「コスパ」などと恥ずべき言葉を発するあなたの言を聞く暇などない。
長い歴史の中、お前のくだらぬ言葉など聞くほど暇ではない、という言を飲み込んで、多くの諸先輩方が、話を聞き、支えてくれた。そのことに思い至らぬ人間の言など、聞く価値があるのだろうか?と素朴に思う。

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