読まなければいけない本なんてない

守らなければいけないルールも、やらなければいけない仕事も、読まなければいけない本もない。つまりは罪もなければ罰もなく、したがって救いもない、ということだ。

細かい話が知りたければ、「罪と罰」を読んでください。漫画じゃなくて、新潮文庫か岩波文庫とかで。望ましいのは原書なんだろうけど、すいません、私はロシア語読めません。日本語だって読めてるのかどうか。

久しぶりにお酒を飲んでいる。ああ、良い心持ちだ。もちろん、飲まなければならない酒もない。

酒を飲むと、個人としての身体は毀損される。脳ももちろんだ。これを集団で何度も繰り返すと、その集団はなぜか他の集団より優位に立つ。この事の深刻さを真剣に考えられた論考を読んだことは無い。

個人の力なんてその程度のものだ、ということかしらん。例えば、ニュートンは2度発見される必要があった。1つはまず彼が書くようにする必要があり、2つ目は彼の業績を認める権威が必要だったのだ。天才の物語にいつもかけているのは、発見者の慧眼、名伯楽の存在だ。

それにしても、酒の宣伝文句はホントになんつうのか、しんどいなあ。「進化した、伝統のうまさ。」って書いてある。酒なんか旨くねえよ。不二家ネクターが一番旨いに決まってんじゃねえか、何言ってんだ(笑)。

私も仕事やってるけど、酒を薦めることが仕事でなくてよかった。アル中を肯定しなけりゃいけないような仕事でなくてよかった。原爆を肯定しなけりゃいけないような仕事でなくてよかった。戦争を肯定しなけりゃいけないような仕事でなくてよかった。

今日は、長崎。中学生くらいのガキが、世界平和を訴えるのも痛々しい。俺はあの年の頃、世界が滅ぶことしか願ってなかった。頼まれて生んでもらったわけじゃねえやってね。今、そんなのやだなって思うのは、子供が生まれたからだけだ。それも身勝手な話でしかない。

身勝手だけど、そんな風に思うし、そんな風に思ってる人の気持ちも分かる。世界を呪詛する中学生や高校生、大学生や社会人の気持ちも分かる。

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