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推しは「会社員」になった|中日ドラゴンズ

岡野祐一郎さん、現役を引退して中日スカウトに転身。

中日戦力外の岡野祐一郎、スカウト転身へ 「ドラゴンズの優勝、日本一に貢献してくれる選手を獲得できるように」:中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp)

プレーヤー岡野祐一郎は、10月1日筑後での先発が最後になってしまったけど、彼が選んだ第2の人生を、心から応援できそうです。今この瞬間に、とても感謝しています。

中学の時は補欠で、公式戦に出られなかった野球少年は、甲子園の常連校 聖光学院高校、東都Ⅰ部リーグの青山学院大学、社会人野球の強豪 東芝へと歩みを進めて、プロ野球選手の夢を叶えました。

プロ4年目29歳で自身のキャリアハイを更新し、ドラゴンズのために腕を振る姿を何度も見せてくれました。

ドラゴンズが負けている試合で登板する、防御率のいい選手を温存するために登板する、それを敗戦処理なんて表現する人もいたけれど、どんな時も堂々とマウンドに現れて、タフに腕を振る姿は、最高にかっこよかったです。

組織の中には様々な役割が存在します。100人以上の女性が一同に会するフロアで働いていますが、そこには、物静かにコツコツ事務処理する人、課題を見つけて解決する人、困っている人を放っておけない人。それはもう色んな人がいます。

その「色んな人」がいるから、今日も会社は回っています。きっと、組織ってそういうものだと思うのです。

どんな役割を担っていようと、必要だからそこに居ます。期待されてそこに居るんです。「誇れるシーンはあまり無いけど」と言っていたけど、決して卑屈にならず、等身大の前向きさで照らし導き歩み続けた彼の人生に、たくさんの感動を貰いました。

改めて、岡野祐一郎さん、ありがとう。そして、本当にお疲れ様でした。

プロ4年目での戦力外通告、本当はもっとマウンドに立つ姿を見ていたかった。ただ、戦力外通告を受けて2カ月が経過した頃から「現役続行は無いのかもしれない」という思いが巡ったのも事実です。現役を希望する選手は、続々と次の球団が決まり始めていたから。

それでも、東芝に復帰するだろうと淡い期待を持ちながら、不安になったり前を向いたりを繰り返して迎えた昨日。球団スカウトとして、未来ある若者と球団との懸け橋になる。彼が第2の人生に選んだ道を知りました。

いつどこにいても、岡野さんは賢明な判断を下すだろうと思っていました。プロ野球選手としてのキャリアに終止符を打つこと、それに何の迷いもないとは言い難かったのではないかと想像します。近すぎると見えないだけで、離れてみると、恋しいものです。

社会人野球からの誘いを断ってまで選んだ、現役引退。岡野さんはつくづく、ご自身をよく知ると思えてなりません。優しくて穏やかで後輩に慕われる岡野さん、紡ぐ一つひとつの言葉が、彼の人柄を物語っています。

「担当スカウトとして、ユニフォームを脱ぐその時まで寄り添ってあげたい」これ以上無い、岡野さんらしい選択をされたと思います。

社会には「順番」があります。自分よりも年長者が果たしてきた責任や役割。気付けば、同世代が役職者になっていったり、果たすべき責任が増えたり、誰かを教え導く立場になっていきます。それは「順番」にやってきます。

現役を引退して、球団に残りスカウトに転身する。未来ある若者の人生に関わりながら、球団の未来を創っていく。実績を積んで、選手やフロント、ファンに認められるスカウトに成長する。彼が望むように、1日でも長く野球に携わる。岡野さんが、球団スカウトに転身したこと自体が、色んな縁とタイミングが繋いだ「順番」だったように思えてなりません。

岡野さんがドラゴンズを離れたら、ドラゴンズを心から応援できないかも…と思っていましたが、取り越し苦労だったようです。

岡野さんがスカウトした原石が、彼のように光り輝いて、バンテリンドームのマウンドに上がるその日まで、応援しようと思います。

彼の引退を受け入れられる自信はありませんでしたが、不思議と今は、第2の人生を歩み始める彼に対して、嬉しい気持ちが強いです。だって、岡野祐一郎さん 来年から、わたしと同じ「会社員」だから。

役職の「順番」が回ってきてもおかしくない年齢になりました。岡野さんに負けず、わたしも頑張ろう、そう素直に思えます。

来年のドラフト会議で、素敵なスーツ姿の元気な岡野祐一郎さんが見れますように。

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