見出し画像

【2-1】通称“アメリカ淵”檜原村の玄関口「中山の滝」[檜原村・北秋川]

みなさんこんばんは!バックスリーです。

今回は、檜原村・北秋川編の地域紹介第1弾ということで、”アメリカ淵(ぶち)”とも呼ばれる檜原村の自然が作り出した豪快な滝「中山(なかやま)の滝」を紹介します。

「滝の村」とも呼ばれる檜原村には村内におよそ50カ所の滝があり、滝めぐり観光が定番となっています。

今回紹介する「中山の滝」は知名度は低いですが、迫力があり大変魅力的な滝です!

それでは行きましょう!

※中山の滝の所在地は、正確には北秋川地区に入らないかもしれませんが、北秋川のスポットと一緒に回ったので、今回の記事で紹介します。

■中山の滝とは?

中山の滝は、あきる野市と檜原村のちょうど境界あたりにある渓流瀑(けいりゅうばく)で、檜原村の玄関口ともいえるスポットです!

滝の高さは約1メートル半と比較的低めですが、水量がとても多いため、豪快であり、周辺の岩場と相まって、迫力のある風景を作り出しています!

昔、村の特産物である木材を江戸に向けて搬出していた頃は、この中山の滝が”木材運搬の難所”とされていたみたいです。

昔の秋川周辺の林業について詳しく知りたい方は【1-5】江戸時代の秋川の産業を探る「星竹の土場」をご覧ください!

画像1

滝の降り口の探し方ですが、車道に目印として上記の看板が立っていて、観光用の公衆トイレもあったりします。

滝を見るには、少し急な階段や岩場を降りていきますが、岩場が滑りやすかったりと足元があまり良くないため、注意が必要です!

画像2

アクセスについては、中山の滝から歩いて10分ほどの場所に観光用の村営駐車場(無料)があります。

また、車がない方も、村営駐車場付近にバス停(和田向)があるため、JR武蔵五日市駅から出ているバスでアクセスすることができます。

■滝壺へダイブ 通称”アメリカ淵”

中山の滝の滝壺は古くから、子どもや若者の夏の遊び場としてにぎわっていたようで、福生にある横田基地の米軍兵士たちもよく訪れていたみたいです。

米軍兵士がよく訪れていたことから、中山の滝の滝壺は地元で通称”アメリカ淵”と呼ばれています!

画像3

ちなみに淵(ふち)とは"川の水がよどんで深くなった場所"を意味します。

ネットで調べると、岩場の上から滝壺に向かってダイブして遊ぶいわゆる”飛び込みスポット”的な情報も出てきますが、ちょっと危なそうなので、もし遊ぶ際は自己責任でお願いします(笑)

■砂泥互層の縞模様

中山の滝周辺の岩場では、きれいな砂泥互層(さでいごそう)を観察することができます。

画像4

砂泥互層とは上記の写真の様に、白色の砂岩(さがん)と黒色の泥岩(でいがん)の縞模様のことをいいます。

砂泥互層の成因についての専門的なことは省略しますが、中山の滝周辺で見られる砂泥互層は、大昔このあたりがまだ海の底だったころに、海中で起きた地滑りが原因で現在の様な模様が生成されたといわれています。

砂泥互層について気になる方はYouTubeなどで調べてみてください!

■風土記と鮎の滝登り

中山の滝は『風土記(ふどき)』に、鮎跳滝(あゆとびだき?)として登場し、滝を登る鮎やヤマメを人々がすくって捕っていたと記されています。

画像5

ちなみに『風土記』とは、地名の由来や伝承、特産品等を各国別にまとめた地誌のことを言います。

檜原村が当時所属していた武蔵の国の風土記は、江戸時代に幕府直轄の教育機関である昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)により、『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』として編纂が開始され、1830年(文政13年)に完成しています。

※昌平坂学問所の跡は、現在も神田の湯島聖堂内で見ることができます。

『風土記』にも登場する鮎は、昔から餌である苔がよく育つ秋川流域の特産品として有名であり、江戸時代には「江戸前鮎」として幕府にも献上されていたみたいです。

ちなみに秋川の鮎は現在も特産品として有名で、檜原村やあきる野市の飲食店では鮎を使った料理を味わうことができます。

■さいごに

今回は檜原村・北秋川編第1弾として、中山の滝を紹介しました。

滝と岩場が織りなす豪快な風景がとにかくかっこいいスポットです。

檜原村観光のルートの1つに入れてみてはいかがでしょうか?

画像7

画像6


【参考資料】

「檜原村滝めぐりマップ」檜原村

「檜原村観光マップ」檜原村

「秋川流域たのしるBOOK」秋川流域Eツーリズム推進検討会

「秋流ジオの不思議探検」檜原村・日の出町・あきる野市

文責:バックスリー


この記事が参加している募集

最近の学び

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?