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「モモ」を読んで

こんにちは。看護師のフクシサトシです。


今日は、ミヒャエル・エンデさんの「モモ」という本についての記事です。

児童文学の記事は初めてになるので、暖かい目で見てください。お願いします。

「時間」について、改めて考えさせられる一冊でした。


あらすじ


この本のテーマは「時間」です。

「モモ」の副題は「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」。

主人公は小さな女の子であるモモ。時間に縛られず、自由に自分の時間を生きていたのに、ある日突然モモの周りの友達が皆、相手をしてくれなくなります。

時間泥棒の灰色の男たちに、時間を奪われるようになったのです。

時間泥棒から奪われた時間を取り戻すため、モモは奮闘し、灰色の男たちに立ち向かう。

そんなお話です。


客観的な時間・主観的な時間

時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか1時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えるようなこともあるからです。

時間って測定すると皆平等に同じ尺度なのに、自分の置かれてる状況や感情によって流れ方が違って感じますよね。

これは主観と客観の違いによるギャップなのかなと感じました。客観的には事実として同じ時間が流れるのに、同じ場を共有している人でも感じ方は全然違う。

なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。

答えはこの一文に集約されている気がします。生きるということは人それぞれですよね。生き方が違うのだから、時間の流れも人それぞれであると。

例えば、5歳の子の5年って人生の100%だけど、100歳の人の5年って5%でしかない。若いころの時間の過ごし方や、影響の受けやすさが、後の人生に大きな影響をもたらすのは当然なのかなと感じました。

ホリエモンも人生とはシンプルに時間ってよく言ってますよね。同感です。


主観ってその人の”心”が反映されると思うんです。本に登場する時間マスター「ホラ」は以下のように話します。

人間は自分の時間をどうするか、自分で決めなくてはならない。時間を盗まれないように守ることだって、自分でやらなくてはならない。
人間には時間を感じ取るために心がある。もしその心が時間を感じ取らないようなときには、時間はないも同じ。

自分の時間を守り、選択すること。そのために心を磨かないと。


別の考察としては、

ふろむださんの錯覚資産の本にも書かれていましたが、人間って「コントロールしたい」って欲求があるらしいんですね。

だから、本能的として、主観が感じる”時の流れ”をコントロールする能力を身につけたのではないかと思ったりもしました。

子供の頃って感情や状況をコントロールする術をあまり持ってないですよね。大人になると、コントロールできるようになっていく。純粋な感情の動きで過ごせる子供の時間と、そうでない大人の時間はギャップが生まれて当然なんですかね?

感情には素直に生きたいと思いました。


時間節約家と時間泥棒

時間節約家が増えれば増えるほど、本当はやりたくないが、そうするより仕方ないという人も、それに調子を合わせるようになった。
時間のかからない新しい文明の利器の良さを強調し、褒めたたえた。
時間節約家は余計に稼ぐし、余計に使う。
余暇の時間でさえ、少しの無駄もなく使わなくてはと考える。出来るだけたくさんの娯楽をつめこもうと、やたらせわしなく遊ぶ。
1番耐え難いのは静けさ。静かになると不安でたまらない。
仕事が楽しいとか、仕事への愛情を持って働いているかなどということは、問題ではなくなった。
人間が時間を節約すればするほど、生活は痩せ細っていく。

日本人の皆さん、時間節約家になってませんか?

この本は、外国の本ですが日本人っぽいなと感じました。周囲の状況に合わせるとか、余計に稼いで余計に使うとか、生活を豊かにするはずの時間や仕事に追われて、楽しさや愛情、豊かさは問題でなくなったとか。

僕はこの辺が刺さりまくった。僕は仕事が好きで楽しいけど、静けさには耐えられそうもないし、せわしなく遊んでいると思う。


僕は毎朝Voicyというラジオアプリで澤円さんの配信を聞いています。

澤さんがよく「Being」「穏やか」というワードを使われます。Beingとは、「自分のありたい姿」だと僕は解釈してます。

僕は最近、この「Being」と「穏やか」と感じる時間を大切にしていて、意識的に作るようにしています。あえて予定をいれないようにしたり。自分と向き合ったりすることで、自分の心のコップが満たされる気がするんですよね。(これがマインドフルネスなのか?)

澤さんが言ってたのですが、「穏やかだな~」って感情は、客観的に状況を見れているから感じられるものであると。せわしなく過ごしていると感じられない、豊かな時間だと思ってます。


で、時間泥棒って自分の中にいるのではないか?と考えました。時間泥棒は、考える時間を奪っている。普段はいいバランスで生きていても、自分が弱っているとき、自分に余裕のないときには、自分の中の時間泥棒が勝って、余裕と時間を盗んでいるのではないか?と。読書会の中では、SNSもその一種ではないか?という問いも出ました。

自分の人生を生きるためには、自分の中の時間泥棒と戦わなきゃですね。


時間節約家の家で育つ子供たち

教えられるのは、何か役に立つことを覚えさせるためのものばかりです。こうして子供たちは、楽しいと思うこと、夢中になること、夢見ることを忘れた。
好きなようにしていいと言われると、今度は何をしたらいいか全然わからない。
面白いかどうかは問題じゃない。将来役に立つことが大事。

効率化を追求した、時間節約家に育てられた子供たちも、モモとは遊んでくれなくなってしまします。モモのように時間にとらわれない遊び方をやらなくなった挙句、時間にとらわれない遊び方ができなくなってしまったのだと僕は感じました。

1973年に書かれた本とは思えぬ本質的な問いですよね。山口周さんが「NEW TYPEの時代」でいうように、昨今では「役に立つ」から「意味がある」へシフトしていますね。

やりたいことがない悩みを抱える人が多い現代の若者(我々)は、「好きなようにしていいと言われると、今度は何をしたらいいか全然わからない」子供たちなのではないかと考えてしまいました。


今も、昔も、海外も、日本も、好きなことを夢中になってやることを大人が子供に伝えたいのは変わらないのかもしれませんね。

登場人物の一人のセリフに、以下のような一説があります。

人生で1番危険な事は、叶えられるはずのない夢が、叶えられてしまうこと。僕には夢がもう残っていない。
これだって地獄に違いないけど、でも少なくとも居心地はいい。

夢中になることはいいけど、自分が本当に大切にしたいことや自分の軸とズレがないか、問い続けることが大切なのかなと感じました。自分の軸とズレがある夢だと、それが叶ってしまうと、成功の呪縛から逃げられない。

僕はまだ若いので!叶うかどうかわからない、デタラメで大きな夢を掲げてます!そっちの方が人生面白そうなので!


この本を手にしたきっかけ


メモ魔塾というオンラインサロンの読書ゼミの中で、「モモ」の読書会が企画されました。

もともとサロンメンバーのにしじーさんが紹介されていて、気になっていたので購入し、読書会に向けて読破しました。


本で繋がるコミュニティが本当に面白いです。メモ魔塾に入っていなければ、読むことはなかったであろう本によって、こうして人生が豊かになっていると実感しています。

ご興味持たれた方は是非、オンラインサロン「メモ魔塾」へ、そして読書ゼミへ参加してください!

メモ魔塾

モモ


澤さん #voicy


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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