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新年度になりました

春が来た

春である。
庭の花々がものすごい勢いで芽吹いている。もちろん雑草諸君もそれ以上に元気いっぱいである。
この真っ赤な花の名前を、私は知らない。奥には桜のような花も咲いている。百花繚乱、とまではいかないが、名も知らない花のおかげで我が家はわかりやすく春を迎えている。
春、それは新しい季節のはじまりである。

咲き乱れる花

人材育成

昨年5月、思いがけず山添村観光協会に入ることとなった。すぐに具体的な仕事が与えられるわけでもなく、しばらくは各方面へのあいさつ回りに追われていた。
そんな中、役場から「安達さん、これやりませんか?」とリンクが送られてきた。

見ても、何を言っているのかわからない。何も頭に入ってこない。日本語が書いてあるはずなのに、全く理解できない。
観光庁が何かやろうとしているらしい。その中の「持続可能な観光を実践する地域人材の育成・創出」に参加しないか、山添村役場は私にそう言うのである。
村に雇ってもらっている立場としては、断る選択肢はない。「持続可能な観光を実践する地域人材の育成・創出」というのが何を指すのか、私はどう育成されてしまうのか、ゴールは全く分からない。とりあえず「やります」とだけ伝えた。

そんな話があったことなど完全に忘れていたある日。役場から「以前に相談していた人材育成の件、通りましたよ」と連絡が入る。どうやら選考的なものがあったらしく、私は無事に選ばれたとのこと。詳細はわからないが(ゴールも見えていないが)、通ったことはありがたい。言われるがまま、そこから約半年間の講座に参加する。今流行りの"SDGs"の観点から観光を考え、観光客と地域の双方にとってよりよい環境作りを目指していく、そのための地域の先導役となる人物(サステナビリティー・コーディネーター)を育成する。講座内容は、大まかにはそんなところだろうか。
授業はすべてリモート。主に観光学部を持つ和歌山大学の教授陣が教鞭をとり、各地の事例を聞いたり、各地の観光協会やDMOの方々と意見交換したり。
ある日の授業。いつものように授業を聞いていると「山添村…」というワードが。その日のテーマは「星空観光」。星空が有名なスポットの一つとして、和歌山大学の教授が山添村を紹介してくれたのだ。
嬉しくなった私は、授業が終わる前にはネットで教授の連絡先を調べ(ちゃんと公表されています)、すぐにメールを送った。
「授業で山添村について触れてくださってありがとうございます。今度直接お話を伺いに行ってもいいですか?」

海あり県を訪ねる

こういった時の行動は早い。数少ない私の"自分が認める"いいところである。
メールを送ってから約2週間後の12月初旬、私は和歌山大学にいた。奈良から車を飛ばして約2時間弱。眼下には和歌山湾が広がり、淡路島も見える。

12月頭、和歌山大学より望む

お会いしたのは和歌山大学の尾久土先生。その日知るのだが、観光学部の学部長である。
「お話を伺いたい」と押し掛けたのはこちらだが、具体的に何というよりも、山添村にとって観光はどう在るべきか、どういう方法論があるか、そんなこと等々を話した。予想以上に盛り上がり、学部内の施設・ドームシアターまで見学させていただいた。ありがとうございます。

さすがに長居しすぎた。ボチボチ帰ろうかと思っていると、先生がおもむろにパンフレットを渡してきた。
「安達さん、うちの大学院受けてみたら?」
一体何の話だ。
よくよく話を聞いてみると、和歌山大学観光学部は2023年度に大学院を新設するとのこと。こちらは"専門職大学院"で、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とする…らしい。観光に特化した専門職大学院としては"国内初"だそうだ。

私は、"初"という言葉に弱い。
思い返せば高校時代、先生から「安達さんが生徒会長になったら、うちの高校"初"の女性生徒会長だよ」と言われ、まんまと生徒会長になった。フェミニストだとかそういうことではない。ただ単に「おいしい」と思った。(しかし後に、私は2人目の女性生徒会長だったと知る。卒業して数年後に判明した真実である。)

「もし入学したら一期生だよ」
"一"という言葉にも弱い。
安達という名字のおかげで、出席番号は(高校時代に"青木さん"に負けるまで)ずっと一番。擦り込み効果なのか、"一"という数字が好きである。
そうかぁ、国内"初"で"一"期生かぁ。

年が明けた

ドキドキの受験会場

2023年2月11日、私は数十年ぶりの受験に臨んでいた。
尾久土先生を訪ねたのが12月頭、そこから受験まで2ヶ月。受験といっても数学や英語などの筆記テストがあるわけではなく、アドミッションエッセーと呼ばれる小論文2つと面接だった。久しぶりの筆記で書く論文にはタイピングとは違った独自の難しさを感じたが、面接では「奈良の観光を変えたいんです!」と熱く語り、帰りがけに面接官から「もっと話を聞いていたかった」と言われた。全然もっと語れる、たぶん90分はいける。(面接時間は20分でした。)

浜松といえばやっぱりうなぎ

2023年3月6日、私は地元浜松で両親と共に鰻屋に来ていた。この日は合格発表の日。合否は大学のサイト上で見られるのだが、あいにく受験番号を自宅に忘れてきてしまった。サイトを見にいってみるものの、売る覚えの受験番号では確信が持てない。なんだこの生殺し感。
鰻重を注文し、御手洗に立つ。たまたまそのタイミングでメール受信。誰かと思ったら尾久土先生だ。
「すでにご存じかと思いますが、無事に合格です」
そうだったのか!存じ上げなかったが合格か!
(注:学部長から直にメールましたが、決して裏口入学ではありません。)
これで思う存分鰻重を食べれるというものである。
さっそく両親に報告。運ばれてきた鰻重は見事合格祝いへと変わり、スッキリとした気持ちで腹いっぱい頬張った。

春から大学院生

合格通知

何がきっかけになるかわからない。
今回は、役場からの人材育成講座の勧めから始まり、興味のなかったSDGsを学ぶ中から自分との関連を見出し、人に会い、そして受験を決意した。
今考えても完全に"ノリ"で受験を決めている。自分的に言えば"波"である。波が向こうからやってきたのだから、それはもう乗るしかない。乗って乗って、乗りこなすしかない。

更に言えば、他の選択肢も考えなかった。
受験ということであれば、他の学校、学部も見るべきで、奈良にだって大学院はある。自分の仕事から考えたら、歴史や仏像、宗教についての学びなおしでもよかったはずである。
それなのに、私が選んだのは「観光」だった。
結果的に、私らしいなと思った。合格発表をもらい、振り返り、そう思う。
私が今学ぶべきは、歴史や仏像、宗教ではない。そこにはすでに数々のスペシャリストがいる。全国だけでなく、奈良にもたくさんいる。その人たちには敵わないし、私がするべきことは他にある。
私は奈良の観光を変えたい。やみくもに「もっとたくさんの人に…」ではなく、地域とそこに住む人・携わる人を、訪れる人にきちんとした形でつなぎたい。
そのためには、観光とは何か、地域にとって何が幸せなのか、奈良の進むべき未来は何なのか、そんなことを語れる人間にならなければいけないし、感情だけではなく論理的に話せる知識や能力が必要になってくる。観光の、地域のスペシャリストになることが、奈良への恩返しになるかもしれない、そんなことを考えた。

春から大学院生。
まだ実感はない。そもそも仕事との両立ができるのかもわからない。
それでも奈良に来て初めてやることが見えた。今まで、声のかかるものにはすべて乗っかっていっていたが、そろそろ選ぶ時期に来たようだ。私ができることは何なのか、学業と仕事を両立しつつ、改めてそのことについて考える2年間にしたい。

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