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性を知る🟰己を知る

性のお話会を開催した。

私たち大人は
ロクに性教育を教えてもらっていない。
性は恥ずかしいもの。
性器は、きたない触ってはいけない。
そんな信条が蔓延り
また、寝た子は起こすな思想が根強くある
それが、性。

子どもたちは、真っ直ぐな眼差しで
話を聴く子や
隣の友達とボソボソ話しながら聴いたり
だるーな態度で聞きつつも関心はある様子だったり、保護者の人の足の間にちょこんと座る子もいたり…
それぞれの姿勢で聴くことができた。

ソワソワしたけれど
寝る子もその場を離れる子もいなくて
最後までみんなで聴くことができた。
その子どもたちの在り方に
まずはありがとうの気持ち。

同意の話、体の境界線の話は
こそばしあいも同意がいるよに
これから繋げていけそう。
身体に境界線があるなら
所有物にもあるよね〜人のものを勝手に
触らない。家族でも触らない。
境界線を引くことの大切さ
それが自分を守る事になる。

こどもたちはよく
どっちでもいいーと話す時がある。
どっちでもいいーって同意した事になるの?と講師のあかりはんに聞いた。
あかりはんが、子どもたちに
どう思うー?と聴くと
バツ!と顔の前でバツを描く子がいた。

なーんだ、わかっとんやー!と思う、わたし。
なら、どっちかにして欲しいなとも😆

どっちでもいいーの便利さに
かまけると、コミュニケーションが
思わぬ方向に行くかもしれない。
同意をしたかしていないか。
はっきり相手に伝えることが
相手との信頼関係を結んでいく中で
必要なことなのかも。

ちょうど、非言語暴力という言葉に
出会ったタイミングだった。
コミュニケーションを一方的に断ち切ってしまったり、不機嫌さで返したりすることは
暴力になる。
その行為が、自分を守る癖になっていた私にとっては、なかなかそこを突破できなくてもどかしくて困っている。

素直に気持ちを伝える事が
相手を信頼している事になるのなら
身構えず、委ねてみたらいい事もあるかもしれない。誰にでも…ってわけには行かないけれど
大切にしたい相手とは
大切にしていきたい。
思いやり、優しさ。
それをまずは、自分にしていくことで
相手にもできるようになりそう。

性を知る。ことは
自分を大切な存在だと思えることだし
相手任せにしないことにもなる。

耳が痛いなーと思いながら
また私にはやり直しの課題を見つけられて
取り組んでいくか!と思えたのである。

子どもたちと過ごす日々には
そんなやり直しがたくさんある。
尊い人たちとの日々の積み重ねが
社会を創ることにつながる。

今日は、松蔭先生に学校をつくります!と宣言した日。まさか、公務員教員をやめて、NPO法人として民間の学校をはじめるとは…!

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