見出し画像

食べたい記憶の味を巡るvol.1

時折ふと思い出しては、食べたくて堪らない気持ちになってしまう食べ物がいくつかある。その殆どは旅先で食べたものであり、何の気もなしに口にしたものばかりなのだけど、そのどれもが強烈に私の胃袋を叩いて、離さない。
食べた当時の思い出と合わさって、記憶している食べ物の味は、実際に食した味よりも優っていることもあるのかもしれない。しかし思い出の味といっても、舌の記憶は鮮明にその食べ物の味を覚えていると思う。記憶に関していえば、私は結構いいのだ。食べ物を食べたその時の体の状態、疲れていたとかお腹が空いていたとかいうことも食べ物の味に大きく影響してくるんだろうけれど、その点を差し引いたとしても「ああ、あれはおいしかったなあ」と思う味たちだ。そして食べ物の味を思い出すとともに、食べた場所や空気に温度、昼だったか夜だったかとか、細かで豊かな当時の景色が頭の中に浮かんでくる。その景色というのも、思い返してみれば、絶対にその場所を再訪したいと思わされる。自分の記憶の中の味と、その思い出。それはほろ苦くて甘く、少し切ない気持ちになってしまうものだけれど、その記憶の味を、ここに並べてみたい。

・奈良、吉野の柿の葉寿司(日本)
・ソウル、狎鴎亭駅近くの焼肉(韓国)
・アヌシー、フレッティのラクレット(フランス)
・パリ、ラデュレのサンオノレ(フランス)
・チューリッヒ、スプロンギのビーフタルタル(スイス)
・ファズ、市場のホットドッグ(モロッコ)
・ジャイプール、駅前の屋台のチャイ(インド)

以上、7つの食べ物である。それぞれの地名と大雑把な場所を、同じく明記した。ぱっと見ただけでも、場所も食べ物の種類も全く違うものだ。しかしどの食べ物も、私の体の中にしっかりと染みついていて、私を魅了し続けている。これらの食べ物を思い出す度に、胃袋と心臓がきゅうと締めつけられる。これから、この食べ物を一つずつ、説明していきたいと思う。

奈良、吉野の柿の葉寿司
幼稚園からの友人(以後、Eとする)と、奈良の吉野に遊びに出かけた。幼稚園からといっても、園を卒業後の小学校では一度も同じクラスになったことはなく、その上、幼稚園では些細なこと(たぶん共通の友人の取り合いだったと記憶している)で喧嘩別れをして以来、小学校では一度も言葉を交わさなかった。喧嘩をする前は、私たちは結構仲がよかったように思う。それが中学校に上がって3年生になった時、私たちは漸く同じクラスとなり、顔を合わせることになった。喧嘩した思い出は互いにすっかりさっぱりと流れたようで、私たちは簡単に仲を取り戻した。それ以来、細々ながら長く、今に至るまで彼女との交流は続いている。地元や梅田の居酒屋に、よく飲みに出かけたものだった。その幼馴染のEと、20代前半(定かではないが、恐らく)の時に訪れたのが、奈良の吉野だ。金峯山寺蔵王堂の秘仏、蔵王権現蔵が開帳するとのことで、吉野散策を含めて、Eを誘って出かけたのだった。近鉄吉野駅を降りてすぐの場所に、吉野山の入り口、参道へと上る吉野ロープウェイがある。私たちはロープウェイに乗り込み、千本口駅から吉野山駅へと移動した。吉野山駅を降りると、そこからは参道がずーっと続いている。その山道沿いには、土産物店や茶店等が、びっしりと軒を連ねている。私とEはぶらぶらと参道を歩いて金峯寺を参り、来た道を引き返した。その帰り道の途中だった。遅い昼食を取るために、適当に一軒の食事処に入った。そしてその店で、最高の柿の葉寿司に出会うのだった。店内は窓から吉野山を見渡せるようになっていて、私たちはその窓際のテーブルに着いた。私はざる蕎麦だかうどんだかの、定食セットを注文したと思う。その定食セットのざる蕎麦の横に、ちんまりと添えられていたのが、柿の葉寿司。まずはざる蕎麦をひとしきりに啜ってから、柿の葉寿司に手を伸ばした。柿の葉寿司を包んでいる葉を開くと、その包み方がふんわりとしていることに気がついた。私が見知っている柿の葉寿司は、びしっと四角くくて葉が寿司にぴったりとくっついているものなのである。それがまず、これまでの寿司とは違う。次にその寿司を持ち上げた瞬間、すし飯がとても軽い感触であることに驚いた。すし飯の形は角がない小判形で、僅かに空気を含んでいる。ぎゅっと押し固められていないから、すし飯の上に乗せたネタが簡単に剥がせそうだ。駅やデパートで売られているものとは、違う。食べると、やはり寿司はやわらかくて、柿の葉の匂いがほんのりと口の中に広がった。すし飯の酢はきつくなく、ネタの魚の切り身の塩加減とちょうどよく合っている。おいしい。2個の柿の葉寿司を、一瞬で平らげてしまった。これはとても優しい、柿の葉寿司だ。これまで私が食べてきた柿の葉寿司は、一体何だったのだろうと考えてしまう。同じような見た目でも、同じではない。店を出た後、参道の露店で鮎の塩焼きも食べたのだけど、その鮎の味は全然覚えていない。柿の葉寿司の衝撃が大きかったのだ。全く、本当においしい柿の葉寿司だった。

ソウル、狎鴎亭(アックジョン)の焼肉
最初にこの店を訪れたのは、姉と一緒に旅行した時だった。それがたぶん二回目の訪韓だったと思うけど、それが最初だったか二回目だったか、ちょっと記憶が定かではない。ともかく姉と一緒に、初めてこの焼肉店を訪れた。
地下鉄の狎鴎亭ロデオ駅を降りて、宣陵路(ソンルンロ)を挟んで西に入ると、小さな裏路地がたくさんある。その中でもとりわけてひっそりとした路地の通りに、その店はある。現代的で小洒落た百貨店が建ち、ルイヴィトンやセリーヌのようなブランドが出店している。いわゆる高級ショッピングの地域として、知られた場所なのだと思う。しかし大通りを外れて路地の方に入っていけば、小売店から食べ物屋、カフェが所狭しと立ち並んでもいる場所でもある。簡単には手を出せない高級店があるかと思えば、庶民的な飲食店がひしめき合う。感覚的にいって、大阪の心斎橋周辺に似ている。まあ、そんな感じなのだ。関西出身の人なら、何となくわかってもらえると思うのだけど、どうだろう。
店の外見はごく庶民的で、ハングルで書かれた看板やメニューが大きく掲げられており、外気を透明のビニールで仕切られたテラス席が見える。観光客が入るのには少し腰が引けてしまう店構えだったが、お腹が空いてひどく疲れていた私と姉は、早くご飯を食べたい一心でこの店を適当に選んで入ったのだった。
店内の手前はテーブル席、奥は座敷になっている。空いていたので、奥の座敷に通してもらった。店の人の表情は皆、柔らかい。私たち外国人にも親切で、寒々しく暗い路地とは打って変わって、あたたかくて心地がいい。適当に肉を注文したのだけれど、牛肉豚肉、どれを食べてもおいしい。そしてサービスで出てくる副菜、これがとてもおいしかった。各種キムチに、レタスのサラダ等々。韓国式の焼肉なので肉の焼き具合を確認しに、お店の人が頃合いを見て私たちの席にやってきては、肉を裏返してくれる。厨房の中では、パートらしいおばちゃん達が、のんびりと働いている。特に期待せずに入った店でのこの体験、宝物を見つけたような気分だった。
それからその後、友達との韓国旅行で、この店を2回訪れた。違う友達との旅行でそれぞれ行き、その時も、楽しく美味しい時間を過ごした。3回目に訪れた時は幼子と一緒で、子どもが飲み物の瓶を割ってしまったのだけど、店の人は嫌な顔一つせずに、にこにこと片付けてくれた。後から友達に店の場所を聞かれたので、Googleマップで店の場所にポイントを置いて、住所を送った。(当時のGoogleマップには、この店の情報は入っていなかった)こんなに素敵なお店なのに、24時間営業というのは、ちょっと信じ難い。

住所:
원조초가집
22 Apgujeong-ro 56-gil, 강남구 Gangnam-gu, Seoul, 韓国


サポートをする。