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第3回講座「協同の思想と地域」3/3

第3回講座「協同の思想と地域」2/3のつづきです

質疑応答

(問い)
つぶやき拾いは北芝の活動の要だと感じたけれども、どのような頻度、どんな進行でやっているのか、住民の意見をどのように吸い上げているのか。コレクティブタウンの(たとえば、ゆるゆる玄関ドア)では、支援される人が支援する人に回ったりするが、そういうありかたはどこから出てきたのか、北芝ではそういう心構えがどうして成り立ったのか、失敗が多かったのにどうして活動が継続できたのか。

(答え)
中村 つぶやき拾いのために、みんなで集まる場面は、90年代、2000年代の頭がピークだった。今は、ワークショップだけでないつぶやきの拾い方をしている。生活支援で家に入ったとき、食事を囲んでいるときに、ぼそっと出たつぶやきを拾ってくれる人がいる。また、実態調査と称して、5年に一度ほど、NPOのスタッフがどういう経緯で団地に入ってきたのか、どういう風な人生を送っててきたか、どういう風に生きてきたかを伺って、そうやってニーズを拾ってきた。

どうやって折れずに活動を継続しているのか。悩みながらやってきた。団体が大きくなって、会社法人も作り、収入の額も大きくなってきたが、新しいメンバーにどう価値を共有するのかが課題。組織的にも過渡期。一般社団法人はアソシエーションとして切り出してみた。カリスマで絶対的な指導者はいないが、目上の世代は、僕たちの世代の話も聞いてくれるし、僕たちの世代に引き継ぐという意識もある

(問い)
資本主義や市場原理主義への対抗はたいてい失敗してしまう。社会的連帯経済が模索されているが、どうしたら失敗を防げるのか。

(答え)
平山 初期の協同組合運動のコミュニティづくりが失敗し、社会主義運動も大方失敗した。資本主義は非常によくできたシステムで、経済成長によって不満がある人を一体化していく。オーウェンも柄谷行人も、共同体を作ろうとして失敗した。この二つの失敗は似ている。参加したい人が、どっと来た。人間の持っている業を乗り越えられなかった。
 では、どうしたらいいのか 柄谷さんが、言っているのは、資本=ネーション=国家と、資本と国家をつないでいるのは、ネーション。ネーションとは、簡単に言えばナショナリズム。道理とナショナリズムが喧嘩すると、ナショナリズムに多数の人が行ってしまう。そこで、道理の持っている人が、資本主義とは別につくるにはどうしたらいいか。それはアソシエーションをつくること、もう一つはアソシエーションを国境を越えて繋いでいくこと。この2点である。 

 柄谷行人は「資本=ネーション=国家」という三位一体の構造の内部からの変革は難しいとする。ネーションとは、資本主義が共同体を解体するのと同時に人々を統合するため生み出した「想像の共同体」であって、資本主義体制のイデオロギーではない。そのため、イデオロギー批判としての資本主義批判は、ナショナリズムを掲げるファシズムに負ける。

『ニュー・アソシエーショニスト宣言』で、柄谷行人は、「共同体を回復しようとするならば、何よりも〈想像の共同体〉を斥けなければならない。その場合、二つの道があり、しかも、そのいずれもが不可欠なのです。その一つは、ネーションなどよりも小さな〈地域〉のコミュニティを目指すことであり、もう一つは、ネーションを超えた〈インターナショナル〉なコミュニティを目指すことです」という。柄谷は、資本と国家に対抗する運動として、内在的闘争と超出的闘争を区別し、前者は、資本主義国家の内部で闘う政党や労働組合、後者は、非資本主義的な経済圏を自分たちで作り出すもので、協同組合とか地域通貨であるという。柄谷自身も、生活クラブ生協に通ったり、私塾をやったりして、試行錯誤している。

 今は、初期資本主義と同じような貧困化が進んでいる。初期資本主義は経済成長で解決したが、今は、新たな開発する余地がなく、本当に行き詰っている。

(問い) 
地域の人に何をしているのかわからないと言われることがある。被災地のお手伝いをしているが、立ち上がった人たちと、自治会や町内会の役員さんがうまくいかないことがある。やる気がある人と、自治会や町内会のネットワークをどうしたらいいか。軋轢や熱量の違いをどうしているのか。

(答え)
中村 二つのアプローチがある。一つは、古いコミュニティにどう近寄れるかが一つ。権威主義的なこともあって近寄りがたいところもあるけれども、理解してもらえるように近づいていく。もう一つは、地域には間にはいってくれる人たちもいるので、その人たちをどう取り込んでいくか。代わりに行ってもらえるような関係性を作る。僕らと協力していて自治会の人とか、僕らと関係していて自治会の役職になりそうな人が絶妙に間に入ってくれる。僕らも怒られるが僕らのことも説明してくれる。そこを使い分ける。

直接的な対話を働きかけることはあるが、伝わり切れないこともある。中間支援、「僕らが誰かを応援して地域に還元される」というのは伝わりにくい。直接的結果が求められることも多いので、そこの難しさはある。そんな時は、間に入る人に、若い人がこんなことをしようとしていると伝えてもらう。

(問い) 
アソシエーションについて話してもらい、理解と共感ができたが、日本でこの取り組みが広がらない理由を知りたい。

(答え)
平山 日本に全然なかったわけではない。羅須地人協会は、まさにアソシエーション。宮沢賢治も、時代が戦争に向かっていく中で、花巻警察署に呼び出されたり、尾行されたりしながらつくった。

君主制を共和制にする共和主義がある。韓国には多いが、木下尚江は共和主義だが、挫折してしまった。その背景には、日本における天皇制の問題がある。外国人労働者の問題、夫婦別姓の問題、入管問題から、背景には明治憲法体制がいまだに民法上でも続いている。そこに戻したい人たちが改選議席に近いところまで来ている。

小さなアソシエーションをつくって、それを日本を超えてつないでいくしかない。個別でやると疲れてしまうので、つないでいく。

(問い) 
コモンとして、マルシェや子ども食堂が挙げられていたが、若いお母さんが行くマルシェはコモンじゃないと思う。オーガニックだったらコモンだと思うけど。

(答え)
平山 江東区に住んでいるが、高層住宅に住んでいる若い人がマルシェをやっている。江東区には子ども食堂が13ある。マルシェと子ども食堂はやっている層は違う。5,6人の女性がカンパで、集会所などを借りてやっている。いつまでやるかわからないというけど、コモンは遠い先にあるものではない。アソシエーションを立ち上げれば、コモンなんだと自称していい。コモンの最低単位は、5人か10人。マルシェをやっている若い人たちは、所得の高い層が夫婦共稼ぎで仲間を集めてやっている。これも、仲間集めてやっているからアソシエーション。この人たちと連帯できないと、この人たちが維新に行ってしまう。地域で共有の場を模索したほうがいい。


感想

気候変動解決に向けた市民活動をしている。気候変動の会話を日常会話にということを合言葉にしているが、運動をしていると、忌避感を持たれたり、怖いなと思われたりする。社会課題を切り口にしなくていい、楽しい入口があればいいと気づけた。マルシェ・食はすべての人間にとっての入り口なんだと思った。活動にヒントをいただけた。

コメント

今日は、アソシエーションが一つテーマになったが、アソシエーションの論理と官僚制の論理がぶつかる。近代合理主義の鉄の檻=官僚制だが、アソシエーションは官僚制に転化していく瞬間がありうる。アソシエーションをしっかりやっていこうとすると、能力主義とコンシューマリズムが出てくる。これにどう立ち向かうかが課題。能力差も意欲の差も出てくる。責任を取りたくない人もいる。放っておくと経営と労働の分離が生じ、出資ができる人とできない人の分離が生じて、株式会社と同じになっていく。また、合理的に運営しようとすると分業化・文書主義になり、明確な役割分担をしなければならなくなる。それをどう乗り越えるのかを考える必要がある。

労働者の教育や、人のエンパワメントが大事。一人一票あるからといって協同組合が民主的になるかというとそんな単純なものではない。意思決定が対等にできるためには、同じ情報を持つ、ある程度同質の方向を持っていなければならない。どうやってそこを補完するか。小規模がいいのは間違いないが、規模の経済にどう対抗するかには、事業委託の入札制度も必要。コンソーシアムでちゃんとアプライできるといった、制度環境も必要。アソシエーションが生き残れる生態系、制度や文化が必要。それが可能になるような運動をつくっていかなければならない。

担当者の所感

グローバリズムを乗り越えるために、アソシエーションがカギになるということは明らかになりつつも、それを成り立たせるための要件こそが重要であり、沼津では、北芝に学び、過去の歴史や思想に学び、そのための生態系をつくらなければならないと感じた。

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