見出し画像

お正月、箱根駅伝に思うこと

今年のお正月も箱根駅伝を見た。
おせちをつまみにだらだら飲みながら、のんべんだらりと過ごす私の目の前で、真剣でリアルでライブな最高のドキュメンタリーが展開されている。

道具を使わず、己の体ひとつで未知の世界へと挑む若いランナーたち。冬休みモードで身も心もすっかり緩みきった私には、その存在自体がもう、まぶしすぎる。

レース自体ももちろんだが、今年は合間に流れたコマーシャルが素晴らしく良かった。サッポロビールの箱根駅伝用オリジナルCMは毎年、歴代選手や過去の名シーンへのリスペクトと、現役選手への心からのエールにあふれているのだが、今年はそれが特に極まっていたと思う。人選も演出もメッセージも本当に素晴らしくて、通年で流してほしいくらいのクオリティだった。
おかげで私と父は、「やっぱり、山の神はこの二人だよね」とか、「この組み合わせならあの選手も出てほしかった」とか、ほろ酔いトークで盛り上がることができた。

箱根駅伝といえば、忘れられないランナーがいる。東海大学の村澤選手だ。
駅伝の名門 佐久長聖高校から強豪 東海大へ進み、四年間すべての学年で箱根を走った。
一年生でいきなり10人抜きの鮮烈デビューを飾ると、二年生では17人抜きという驚異的な走りを見せ駅伝ファンの度肝をぬいた。三年生の年は、前年までの派手さはないものの揺るぎないエースの走りでチームを牽引した。
彫刻のように美しい筋肉、しなやかなフォーム、力強い走りとは対照的なクールな表情。華やかな記録を称えられても、メディアに注目されても、自分は一秒でも速く、一人でも多く抜くことを考えるだけだと淡々と語る。静かで熱くて、孤高でひたむきで。彼の走る姿を、私はとても好きだった。

そして、最終学年の四年目。村澤選手は不調やケガに悩まされ、それはチームの不振に直結し、東海大はこの年、箱根駅伝への出場を逃した。あの村澤が、あの東海大が、箱根に出ない。それは、毎年のように箱根駅伝を見ている人々にとって、かなり衝撃的なニュースだった。

でも、村澤くんは、四回目の箱根を走った。
過去三回と同じ花の2区を、箱根に出場できなかった大学の選手で編成される選抜チームの、給水係として。

ペットボトルを持ってランナーを待ちかまえる彼は、見慣れたユニホーム姿ではなかったけれど、でもテレビに映った瞬間にすぐに彼だとわかった。村澤くんが2区にいる。それだけで胸が熱くなった。

給水ゾーンにランナーたちが近づいてくる。村澤くんが水を渡す相手は、同じ東海大から選抜されたチームメイト。走ってきた仲間にあわせてスピードを上げ、隣に並んで走りながらペットボトルを渡す。
受け取った選手が一口飲む。
すぐには返さず、しばらく走ってもう一口飲む。ボトルはまだ返さない。
村澤くんは同じスピードで併走し続ける。あの、美しいフォームだ。
ボトルはまだ返されない。同級生の二人が、村澤が、走る。

ああ、これは、わざとだ。村澤くんを少しでも長く走らせるために、わざと水を返さないんだ。そう気づいた瞬間、私は泣いていた。村澤くんの最後の箱根を目に焼きつけたいのに、涙が止まらなかった。

この年、村澤くんが走った距離はほんの数十メートル。出場していれば走ったであろう全長23kmと比べると、あまりにも短すぎる、たった十数秒の、決して記録には残らない「2区」だった。
それでも、あの瞬間にわっと湧き上がった沿道の声援と熱気は、間違いなく彼に向けられていたと思う。日本中の駅伝ファンに見届けられて、村澤くんの箱根の四年間は終わった。

10年以上前の記憶と印象だけで書いてしまったので多少の間違いや認識違いがあるかもしれませんが、そのあたりはご容赦ください。それと、若きアスリートへの尊敬と親しみをこめての「くん呼び」なのも、お許しいただきたいと思います。


襷をつないで走る。ただそれだけの競技が、いくつものドラマを描き出す。だから人は毎年、箱根駅伝を見てしまうのだろう。
そこには、スポーツとは縁遠い私みたいな人間の感情さえも揺さぶる、スポーツ以上の何かがあるのだ。

新年早々、一本のCMに心を動かされ、さまざまな記憶や想いがめぐり、気がついたらこの記事を書いていた。思わぬかたちで書きたいことが見つかる、そんなきっかけに今年もたくさん出会えたらうれしい。

テレビの向こう側で、苦しさと闘いながら襷をつなぐために駆けている人がいる。
遠く離れた寒い地で、大変な思いをしている人がいる。
いつもと変わらないお正月を家族と過ごせている自分がいる。
そして私の横には、大手町のゴールを待てずに寝てしまった父がいる。
それぞれの2024年を、それぞれが大切に、どうか過ごしていけますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?