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ハンドメイドに走ることに意味はあるのか?④

こんにちは、あーちゃん事akiです。
今日は派遣会社の登録(電話)をしました。
そこから、今から応募しましょうか?!という企業にあたり、そのまま身分証明書のため、


「5分後にWeb面接を行いたいのですが大丈夫でしょうか?」

5分!?!!?!!?
大丈夫です、「3分で準備しな!」が社会人だと思っているので大丈夫です、すみません、2分も多めに頂いてしまって、ホントすみませ。

いくら派遣会社相手だとはいえども、原因不明のシミがついた部屋着はダメだろうとそれっぽいものに即着替え、さっと化粧、髪の毛さっとブラシ、ゴミ、さっと端。

こうや。こうなりたいんや。
と1人で言いながら全てさっと終わらせWeb面接開始。
ファーウェイさんが余計な仕事したせいで画面にうつる私の薄づきのリップが「めっちゃ発色いい!!」となり、まずファーウェイにムカつく。
「今使ってるこのリップ!めっちゃオススメ!ちふれの○○○番です!」 やりたかったな。すげーやりたかった。

それはともあれ、終わった。
まぁ全部適当です。
適当、これ大事だって知ってます???
仕事なんて手抜いていいんですよ。
今回は引きこもりについては話しません。
なんでかっていうとタイトルとマッチしていないからです(何事今更)

そうですね、

では、
前回言いました、

人は変わらない。

と言うことについて話しましょう。
人は変わらない。

だってそうじゃないですか?

「あれっ!わたし…変わってる…昔の私なら…こんなこと出来なかった!痩せて、自信がモテた!(YouTube広告動画より)(もしくは進研ゼミについてくる結構楽しいラブコメ漫画)」

外見はどうとでも変わりますが、
昔のわたしなら!ということは、
ぜーんぶ、昔の昔から積み重なって今があるということですね。
変わるなんてことはない。

私はひきこもって良かっただなんて一言も言いたくありません。
普通に学校に行けたなら、普通に大学を楽しめたのならばそれ以上はない。
よく「あの頃があったから、あの頃がなかったら、きっと今の私(僕)はないんですよね!」という人もいますが、私はそうは思いません。

あの頃がなかったらあの頃がなかった私や僕がいて、あの頃がなかったとしても幸せです!と言える私や僕がいるかもしれない。

今日Web面接した派遣会社より、
タイピング能力を知るため、パソコンはありますか、と言われましたが、

「ボロボロで…あるはあるんですが…本領発揮出来ないと思います…」

ボタン各種どこいったか??????

正直今日は5分で準備しな!のWeb面接でだいぶやられ、書き綴る文章が浮かんできません。
ひきこもってた時期があったからこそ今の自分が居ると思えるのならばそれはそれでいいんじゃないですか。
昔から自分という軸はあるんだってさ(某カウンセラーは言う)
そこから変わった変わらないはあったとしても、昔っから自分はそこにいたってことよ。(棒ポエマー)

こんなパソコンのようにところどころ抜けているけど、それがあっての今の私。
昔の私は嫌いだったけど今考えれば悪くない、今の私も嫌いだけどいつか悪くないと思える。

では、NEXTnoteでお会いしましょう。

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