ツクモリ屋は今日も忙しい(17-前編)
【side:荒木拓真】
「本当にごめんなさい!」
深々と頭を下げて僕は謝った。
目を吊り上げ、仁王立ちしている相手の怒りのオーラが、つむじ辺りからバンバンと伝わってくる。今にも頭をはたかれそうな気がして、嫌だし怖い。でもここで逃げると事態が悪化することは、目に見えていた。耐えるんだ、僕!
「ごめんで済んだら、警察はいらないのよ」
それ呪詛ですかってくらい低い声で──母さんは言い放った。ここは実家の玄関。靴も脱いでいない状態で僕は叱られているのだった。
いや、あの。企業イベントのメンバーとして出張をしたときに、お土産を買うの忘れたのだった。事前に電話で「そこに行くなら、あれ買ってよ」と言われていたのに、うっかり忘れたのだ。そして、忘れたままノコノコ実家に帰ってしまったわけで。
思い出していたら来なかったのに……。
別案件で用事があったから、普通に来ちゃったよ。
「警察に行く? それとも実家に二度と来ない?」
「ぇえっ、その2択なの!?」
一人暮らしをしているから、実家出禁になったところで路頭に迷わないが、さすがに避けたい。かと言って、警察にも行きたくない。
ていうか、警察は民事不介入だから!
ていうか、なんでこんなに激怒してるの!?
(17)「拓真はアイドル」ナノ! -前編-
「いい? 押し入れの印の付いた箱を片付けないと、本当に出禁にしてやるからね!」
すっかり御機嫌斜めなお母様──いや母上か?──は、そう仰ってから部屋を出て行った。怖すぎてドン引きして、なんか丁寧に申し上げないといけない感覚に、僕は打ちひしがれている。
承った怒りの文言から察するに、僕が叱責を受けた原因は、お土産の件だけではなかった。
母上は先日、とことん家中の掃除をしようと、僕がかつて自室にしていた(この)部屋の押し入れを開けたらしい。
僕は自分の大抵の物を、今の住居に移している。ただ、普段は使用することもない、いわゆる思い出の品々は、まとめて段ボール箱にまとめて、押し入れにしまっていた。
お母様が、その箱を持ち上げたとき。
テラフォーマーが……イニシャルGが……僕も嫌いなあの虫が、飛び出してきたのだそうだ。
箱の材質が段ボールというのがまずかったようだ。
段ボールがあの虫のエサになってしまう、というのはネットで読んだこともある。そして、僕以上に母上は虫嫌いなのだ。相当、阿鼻叫喚だったのだろう。
それを一旦は言わずに、穏便に済ませようとしたのだ。ただ、ひとまず僕を呼び出した。ヒステリックにならないよう、親らしく振舞ったからかもしれない。僕がタイミング良く電話して、お土産の算段が付いたことも、もしかしたら要因なのかもしれない。
何にせよ、お土産がなかったので、溜まった怒りが一気に増幅したんだろな……。立場を自分に置き換えて、僕はぼぅっと考えた。
いや、同じ場面には、絶対に遭遇したくないが。
「あれ、通販販売してたらいいけれど……」
どうにかお土産の分を挽回できないか悩みながら、僕は押し入れの前に立ちはだかった。まずは目の前のことからだ。
……大丈夫だよな?
お母様が遭遇した虫は退治されたらしいが、その残党がまだ潜んでいるとか、ないよな?
遭遇しませんように遭遇しませんように。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ。イニシャルSに立ち向かう少年のように、僕は覚悟を決める。押し入れの取っ手に、手を掛ける。
開けた。
既に阿鼻叫喚したい心地だった。
***
目の前に引きずり出した箱は、2つだ。手前と奥に置かれていたことは覚えている。
あの虫は……いなかったはず。いや、記憶を失ってはいなければの話だけれど。不自然に時間が経っていたり、叫んで喉がカラカラなんて感覚もないから、大丈夫……よな?
ふと、ぴっちりと閉じられた押し入れを見遣り、箱に視線を移す。蓋はしっかりと閉まっているから中身は無事だろう。現状は問題ない。うん、きっと。
……開けなきゃな。溜息を抑えつつ、僕は手を動かした。ばっさーと鳴りながら、1つ目の箱は中身をあらわにした。
そこにあるのは、本当に見慣れた、懐かしい物ばかりだ。主に学校生活で使っていた・作った物がメインだ。他には、昔好きだったアニメのグッズとか、ゲームのカードとか。あと……アイドルの写真とか。
「…………この子、もう母親か」
僕が特に推していた子は、人気絶頂の中で電撃結婚を果たし、今は事実上の芸能界引退である。
かつて母は「まるで山口百恵ちゃんよね~♪」と心なしか褒めのコメントをしていた。が、僕からしたら、ちびまる子ちゃんの推しと同列にされた感覚しかない。あの頃はショックだったな。
いや、いいんだ。それは。
さらに溜息を抑えて、僕は2つ目の箱に目を向ける。先程の箱は、どちらかというと新しい私物がメインだった。問題は、これから開ける箱の方な気がする。もっと古い物があったような。
「……あ、そういえば」
既に見える物の中に、気を引かれる。それは、高校時代に使っていた下敷きだ。厳密には、1年の頃。
あの頃、僕の環境は、目まぐるしく変わっていったんだ。高校生になったというのもそうだが、それだけじゃない。僕には、学校よりも大きい出会いがあった。
「ごめん、忘れていた」
リーン。研ぎ澄ませ。
母さんの気迫に押され、チャンネルを合わせることを失念していた。思春期を迎えてからの、僕に芽生えた物心。
モガミさんと語らう精神を。
《タクマー》《コッチ向イテー》《キャッキャッ♪》
いつの間にか、騒がしい声援の中にいた。僕に声を掛けるたくさんのモガミさん。箱から、棚から、たぶん押し入れからも。まるでライブ会場だ。
「みんな、元気?」
ぽつりと呟く。家族が聞いているかもしれない状況なので、これでも独り言は控えめだ。モガミさん達も心得ていてくれるっぽい。
《元気ナノー》《拓真ハ、オ元気?》
「元気だよ……」
急に、ツクモリ屋の風景を思い出す。ここ最近は行けなかった。久々の実家で、モガミさんと触れ合うのが遅くなったのも、もしかしたらそれが要因なのかもしれない。
暖かな気持ちで、僕は2つ目の箱を開けようとする。その仕草に、モガミさん達はハッとしたように慌てた。
《拓真、気ヲツケテ!》
「え、何が?」
《ソコハ、暗黒ナノ!》
「……暗黒!?」
そういう色には見えないんだけれど?
いや、わざわざ忠告してくるくらいだから、やばいのかも。
僕は生唾を飲み込んで、暗黒色ではない箱を見つめた。これ、何が入っていたっけ?
僕は、震える指で、開梱するのだった……。
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