見出し画像

ツクモリ屋は今日も忙しい(13-後編)

【side:芹野さん】

 うーん。なかなか妙なことになったな。
 思わず協力を申し出ちゃったけれど、うまくいくかな。私、あの人とあまり話したことがないし……。

 ……いや! 弱気になっちゃいけない。
 荒木先輩は何も悪くないんだし、困ってるんだから助けないと! この前、助けてもらった恩もあるんだし。

 今度は私が先輩をすくうの!
レテルノ?》
 違うの、るんじゃなくてすくう……あれ?
《日本語ッテ難シイノ……》


(13)「迷子の行方」ナノ! -後編-


 申し訳なさそうに退社する荒木先輩を見送り、私はボールペンを手にしたままオフィス内を移動した。

 足早に、私の部署からは最も遠い位置にある経理部へ。その区切られた室内を、扉窓から覗いてみると、お目当ての人物はいた。お互いに就業時間は過ぎている。ひとまず無駄足にならなくて良かった……。

「失礼します……」

 中に入り、緊張しながら声を掛けた。経理部では2人が残業していたものの、いずれも小さく会釈するのみで電卓やキーボードを叩く手は止めない。ものすごい集中力だ。

 経費の請求にここへ訪れたことは何度もあるけれど、ここの空気感には馴染めない。なんだか……ヒンヤリするのだ。それが経理部社員の醸す雰囲気か、物理的に低めの気温設定の空調からくるのかは、よくわからない。

「何か御用ですか?」

 手際よく領収書と書類をまとめ上げ、くるりと私に向いた1人が手短に尋ねた。谷村さんだ。薄い化粧に黒髪を一つにまとめ、いつもシンプルなスーツで出勤しているが、整った顔立ちとクールな物腰で評判の美人だ。

 正直、緊張する。何を隠そう、谷村さんが、ボールペンを贈ったらしき人物なのだ。……万が一、事実無根の噂だったらどうしよう。でも、頑張らなきゃ。荒木先輩のピンチだから!!

「すいませ、実はお話がっ、谷村さんに」
「何を──あぁ、そうなの」
 ぐるぐる考えながら言葉を紡ぐと、彼女は訝しげな顔をした。しかし、急に納得したように頷く。その視線を辿ると、私がしっかり握りしめている、ボールペンに辿り着いた。

 ……緊張のあまり、胸元に抱えていた。

「あなた、名前は?」「あ……芹野です」
「そう。芹野さん、ちょうど仕事が終わるところだから、良かったら外で話さない? それともまだ残業?」
「いえ、私も帰るところで……」
 てきぱきと畳みかける谷村さんの采配に、すっかり私は流されていた。

「それじゃあ、入り口で待ち合わせね」
「はい」

 にっこり微笑む美女の残像を背に、私は経理部室の外にぽつねんと立っていた。ほんの少し前の記憶がない、かも?

 あれ。これ、一緒に帰るパターンの流れですか?

「まさか……誤解されてない?」
 ぼんやりと背筋を凍らせながら呟く。

 もしも谷村さんに、私が村谷さんを想っていると誤解されていたら。それで喧嘩で湧いていた怒りの矛先が、私に向いたのなら、とんでもない話だ。村谷さんはイケメンだけれど、全っ然タイプじゃないのに。

《惚レテルノ?》
 違うの。先輩を救うの!
《……ヤッパリ難シイノ》


   ***


 私と谷村さんは駅前まで歩き、全国チェーンの居酒屋に入った。リーズナブルな値段で幅広い料理とお酒を提供していて、女性にも入りやすい店だ。

「高い店でなくてごめんね。その代わり、好きなものを頼んで」
「はぁ……」

 予想に反して谷村さんは楽しそうだった。会社のイメージとは違い、気さくですらある。もしも私が経理部の新人だったら、ギャップ萌えで咲かせるかもしれない。百合の花を。

 いや、でも状況はやはり不自然だ。
 恋人に渡したはずのボールペンを持って現れた私に、なぜ訳も訊かずに、ご飯を奢ろうとするの?
 毒でも盛られるとか。料理か、言葉の端々に……。

「芹野さん、乾杯」
 いつの間にかオーダーしたお酒が配膳され、谷村さんがグラスを傾けようとする。慌ててそれに倣った。

 生ビールと赤ワインが、カチンと鳴る。黒髪の美女と赤ワインのコントラストに、くらくらする。私はビールをごくりと飲んだ。

「ね、さっきの見せて」
「……もしかして、ボールペンですか?」

 谷村さんが笑顔で頷くので、私はおずおずと鞄を探る。《苦シュウナクテヨ…》と言っているモガミさんに堪えながら、差し出すと、谷村さんは柔らかく受け取った。

「……あんまり使ってないようね」
《ヨクッテヨー》

 どうして使い込みがわかるのか、理由は不明だった。しかし、谷村さんは溜息を吐き、うんざりした表情をしている。よく見るとワイングラスは空だった。まだ空きっ腹とはいえ、酔いやすい方なのかもしれない……?

「あの……」「あの男はバカ!」
 出し抜けに吐かれた暴言に、私は固まった。忌々し気な表情に、2度目のギャップを食らう。彼女は続ける。

「手帳を使うのが苦手だっていうからお勧めのペンをあげたのに、デートを忘れるのよ。前日に言ったって寝たら忘れるし、なんなら手帳もスマホも忘れるのよ。鳥頭!!」

 いつの間にか谷村さんの目尻には涙が浮かんでいる。店員さんが運ぶ料理を受け取りながら、必死に私は聞く。
「そうなんですか? 最低ですね!」
「本当よ! しかもそれを指摘したら逆ギレ。すぐに物に当たるし人に当たるの。あなたも、その被害者の1人なんでしょ?」

 はいそうです。厳密には、私の先輩が。
 とは言えず、ただ頷く。ただ、村谷さんは私のタイプではないので、気軽ではある。谷村さんの怒りもわかるし。

「しかもね、あいつはマザコンで……」
 谷村さんのヒートは収まらない。相槌を打ったり、一緒にぴえんしたりで時間は過ぎっていった。


   ***


「ごめんね、すっかり付き合わせて」
 店を出るなり、耳元で囁かれてドキッとする。

 谷村さんはすっかり意気消沈していた。元々、お酒は弱いため、少ししか飲まないらしい。実際に飲んだのも最初のワインのみだった。その一杯で酔ってしまったのは、余程疲れていたのか、酔わずにいられなかったかの、どちらかだろう。

「そんなの全然、気にしないでください。私も話しやすかったです!」

 事実をただ口にした。谷村さんは私に対して誤解はしていなかったし、むしろ巻き込まれたと見抜いていた。美しい瞳は慧眼ってやつだ。このコトワザは、たった今、作った。

 最初は戸惑ったけれど、今は谷村さんともっと話したいくらいだ。でも、疑問はまだ残っている。私はそっと尋ねた。

「谷村さんはどうして、私のことを信用してくれるんですか?」

 キレイなお姉さんは、目を丸くして私を見た。そして、ふっと微笑む。赤味のかかった蓮華のような笑みだった。
「それはね……」


   ***


【side:荒木拓真】

 翌日。眠る前と同じく憂鬱な気持ちで目覚め、出勤した僕は、早々に度肝を抜かれることになった。まず、村谷さんの態度だ。

「よう、荒木。昨日は悪かったな」
「……え?」

 村谷さんはかなり感情が顔に出るタイプだ。そして、そんなに自然と態度を変える人ではないので、何かあったとしか思えない。それだけではない。
「ハチ公に感謝しろよな」
「ハチ公?」

 ハチ公って忠犬……あ。もしかして、昨日仲介を頼んだ芹野さんを揶揄しているのか?

 村谷さんの言い様にモヤモヤしながら、出勤してきた芹野さんを迎える。様子がおかしくないか、心配しながら様子を見ていると、使っている文具におかしな物を発見した。

「芹野さん、それ……」
「……あ、これ、実は貰いまして」
 それは例のボールペンだった。なぜだ?

「もしかして、押し付けられた、とか?」
「いえ。実は、いろいろあって、譲られることに」
 いや、なんで?

 悩ましく芹野さんを見つめていると、彼女はふっと目を逸らした。そしてポツリと告げる。

「私、話に行った方と打ち解けて、好きになったんです」

 ……。あー、そういうこと。
 驚きで声は出なかったが、脳みそは一つの答えを導き出した。ボールペンのモガミさんを見ると、何やらよくある絵文字のような顔で、僕を憐れんでいた。

《ぴえん……》
「モガミさん、どこでそんな表情を覚えたのっ!」
《マタ1ツ賢クナッタノ~♪》
 つい小声で突っ込むが、芹野さんは特に反応しない。

 僕は、良くないことをした気がする。というか、何か良くない扉を開けたような。モヤモヤする。曖昧に頷いて、僕はその場を離れた。

『それはね、実は彼から、あなたのことを聞いてたからよ。同じ部署で、自分の先輩をひた向きに大好きな、セリノって女の子がいるんだって』

「気づいたから……好きになったんです」
 繰り返し呟いた彼女の様子は、見れずにいた。



(ツクモリ屋は今日も忙しい・14‐前編へ)

『ツクモリ屋は今日も忙しい』シリーズ一覧へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?