ツクモリ屋は今日も忙しい(2-前編)
【side:室井玄】
ツクモリ屋の玄関口には、目立たない場所にチャイムが設けられている。営業中に客が押すのではなく、主に俺・室井玄が、出勤をした合図に使っている。
オーナーの菜恵さんが室内にいるかもしれないからだ。自宅は別のにあるらしいが、彼女はたまに店に泊まり込むことがある。いつだったか、寝ぼけ眼の姿に遭遇したことがあって……すっごく可愛かった。
……とにかく! お互いに驚かすことがないよう、俺はチャイムを鳴らしてから入ることにしている。
〈ピンポーン〉〈ガチャリ〉
「あっ、おはよう! クロくん♪」
商品をチェックしていたらしい菜恵さんが、振り返って笑いかける。……朝からラッキーだな。今日、俺は死ぬのか?
(2)「アイツハ今日モ不機嫌」ナノ! -前編-
「おはようございます。今日は早いですね?」
「菜恵さん可愛い」が飽和している頭の中で、理性の打ち出した台詞を呟くと、菜恵さんは笑みを深くした。ほんと罪深い人だな。
「そうかな? 実はちょっと、気にしていることがあって」
彼女がこう切り出すときは、問題児な商品があるのが常だった。俺は気を引き締めて、次の言葉を待つ。
「あのね、このハンカチちゃんなんだけど……なかなかの曲者みたいなの」
彼女が言いながら差し出したのは、入荷したてのハンカチ。確か昨日、荒木が検品してくれた物だ。
意識を研ぎ澄まし、ハンカチの付喪神・モガミさんにコンタクトする。モガミさんは、俺を睨みながら、いや少し視線は逸らしつつ、口を尖らせていた。新品のわりに、ひどく御機嫌斜めだ。
「本当ですね。どうしますか?」
「しばらく、試しに置いておこうと思うの。気分転換したら、何かが変わるかもしれないし」
菜恵さんの言葉に俺は納得した。実際そうして、態度を変えるモガミさんはいる。幸いにも、件のモガミさんからは不穏を感じるほどの気配は感じないし、うまくいく可能性はある。
「わかりました。俺も見守ります」
「うん、ごめんね。任せるね!」
菜恵さんは最もにっこりして、俺にハンカチを渡した。今日はこれからも用事があるらしい。軽やかな足取りで去って行く。
ぐっと堪える。舞い上がってはいけない。浮かれてはいけない。菜恵さんは、オーナーとして従業員に言っているだけだ。男として頼られたなんて、考えてはいけない。
惚れた弱みが、治りかけの傷のように、ジクジクと疼いて俺をあしらう。こんな状態が何年も続いて、通常の生き方になろうとしている。
菜恵さんに出会って、ツクモリ屋で働くようになって。好意をアピールしたことは何度もあるが(少なくともそのつもりだ)、その都度あっさりとかわされてしまう。なんだかなぁ、と自分で思わなくもない。
ふと手元を見遣ると、モガミさんがじろじろと俺を観察していた。反射的に俺は睨んでしまった。モガミさんは《ぴゃっ》と叫んでハンカチに引っ込む。
……そんなにビビるかよ。
溜息を吐きながら、俺は開店準備を始めた。
***
開店してからしばらくは、順調に営業できた。
昨日が稀にみる大盛況だったので心配していたのだが、最初の1時間ほどで訪れた客は、5人だった。この調子なら、今日は落ち着いて作業をこなせるだろう。
「モガミさん達も……落ち着いているな」
客の退店したタイミングで、ちらりとコンタクトを取る。店内に陳列されている彼らは、概ね気分よさそうに体を揺らしたり、隣り合ったもの同士で戯れていた。先程のハンカチだけは、口元をへの字にしていたが、大人しくしているので良しとしよう。
こうして定期的にモガミさんをチェックすることも、この店では大事な業務の1つだ。
モガミさんを見るには、チャンネルを合わせるというか、感覚を研ぎ澄ませる必要があるが、俺はすっかり慣れてしまった。1日に何回もこなしているし、店内ではコンタクトしやすい空間作りが施されているらしい。仕組みはよく知らないが、菜恵さんが言っていたので間違いない。
うんうんと頷いて、検品作業でもしようかと考えていると、客が1人入ってきた。手提げ袋を持ったおばさんだ。
「いらっしゃいませ!」
声掛けをし、レジの付近に留まる。
基本的に、客にはモガミさんは見えないが、モガミさんは、相性の良い客の潜在意識に働きかけることができるのだという。
これもツクモリ屋の不思議な仕組みの1つで、おかげで客はダラダラ商品に迷わず、すぐに会計に進むことが多い。だから時間がもったいなく感じられても、レジに待機する方が効率が良いのだ。
しかし、今回はなぜか予想を裏切られた。
おばさんは俺に背を向けて、商品に手を出しては引っ込める動きをフラフラ繰り返している。しかも、時折キョロキョロ辺りを見ているようだ。
いやちょっと待て。
まさかこれは……万引きしようとしている?!
思わず前のめりで、俺はおばさんを観察した。
正直、この店に不届き者が現われるなんて、考えたこともない。ツクモリ屋は、ただでさえ店だと認識されづらい外観をしている。特殊な場所だから、なんとなく大丈夫だろうと高を括っていた節も否めなかった。
でも、あの客が本当に万引き犯なら、阻止してやる!
おばさんはキョロキョロしてはいるが、俺の方へなかなか向かない。俺はどっかに去ったと思っているのか。それにしては、決定的な行動には移らない。手提げに入りにくい代物を狙っているのか……うん?
手を伸ばしているその先が見えた俺は、あっと声を上げそうになった。おばさんが選ぼうとしているのは、例の不機嫌なハンカチだ。
客は、また手を引っ込めてキョロッと横を向く。
はっきり言って、嫌な予感しかしない。俺は静かに、もう少し様子を見やすい位置に歩みずれ、モガミさんのチャンネルに意識を合わせた。
そっと手を出すおばさん。のけぞる不機嫌モガミさん。まるで気を遣うように、手を引っ込めるおばさん。次の瞬間、モガミさんは言い放った。
《アッチ向イテ、ホイ!!》
つられるように、横を向くおばさん。
「……ええええぇえ!」
予想の斜め上をいく展開に、気づけば叫んでいた。
なにやってんだ、アイツ!!
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