ツクモリ屋は今日も忙しい(2-後編)
「……ええええぇえ!」
不用意に出してしまった大声に、客のおばさんはビクッとして、俺の方へ振り返った。おばさんにちょっかいを掛けていたモガミさんも気づいたようで、ばつの悪い表情でぷいっと明後日の方に向く。あいつ、しばく。
「あ……あの、何か?」
心なしか怯えながら尋ねる客を前に、後追いの焦りが俺に襲いかかる。非常にまずい。叫んだのには事情があるとはいえ、肝心の内容を説明するわけにはいかない。
言えるか? 「今、あなたのことをモガミさんが『あっち向いてホイ』してました」と? ……言えるかぁ!!
(2)「アイツハ今日モ不機嫌」ナノ! -後編-
「す、すいません、いきなり声を出してっ!」
しどろもどろに、言葉を絞り出す。視界にちらちらと、周囲のモガミさんがワクワクと見守るのが映って、集中できない。あいつら、しばく。
「実は……家のゴミ出し、忘れてたの思い出して……」
あれ、口から出まかせだったけれど、本当にそうかもしれない。……いや大丈夫、今日はゴミの日じゃない! 落ち着け、俺。
目まぐるしく思考したせいで疲弊感を禁じ得なかったが、幸いなことに客は納得してくれたようだ。表情を柔らかくして小さく笑う。
「ふふ、そうだったの。一度はやっちゃうわよね!」
よかった超いい人だ! 万引きを疑って、すいませんでした!
場を取り繕えたことにほっとして、自然と俺も微笑んだ。ただ、俺は店員で相手は客だ。驚かせたのに、このまま会話を終えるのは申し訳ない。
「失礼いたしました。そういえばお客様は、何か悩んでいらっしゃいませんでしたか?」
俺の問いかけに、おばさんは「あぁ」と呟いてハンカチに視線を戻す。視線につられた振りをしてモガミさんを見ると、奴はまだ尖った顔で横を向いている。反抗期かよ。
「あのぅこれって、どこから仕入れられた物なの?」
「え……?」
躊躇いがちに質問を返され、俺は返答に困った。ツクモリ屋の商品は、すべて菜恵さんが品定めをし、仕入れている。普段は商品についての問い合わせもあまり受けないため、一から調べる必要があった。
「すみません。時間を頂ければ調べます!」
「あっいえ! すぐに分からないならいいのよ」
資料のある部屋に行くために俺が踵を返そうとすると、おばさんは慌てて手を振った。そして、流れるように喋りだす。
「実は、うちの娘が作っていたハンカチと、これが似ているのよね」
「えっ?」《むっ?》
微かに声が重なり、不機嫌モガミさんがおばさんを見遣る気配を感じた。
「フリーマーケットに出品するんだって、たくさん作ってたのよ。でも、今どき手作りの物なんて、よほど上手じゃないと売れないでしょ? だからつい『やめときなさい』って口出ししちゃって。それで大ゲンカ!」
やれやれと言わんばかりの溜息を吐きながら、おばさんはケラケラと笑う。母娘の大ゲンカか……俺に女兄弟はいないから想像でしかないが……相当キレたんだろうな、その娘。
「結局、フリーマーケットでは、あまり人気は無かったみたいね。でも、終盤で一人だけ褒めてくれた人がいて、なんと全部引き取ってくれたらしいの。お代もくれてよ? 信じられる?」
「えぇっ、そうなんですか? すごいですね!」
素直に驚いた。まるで四面楚歌からの起死回生ホームランが飛び出たって感じの逆転劇だ。びっくりし過ぎて自分で何言っているかわからないな。
というか、その引き取った人物のイメージ……菜恵さんがぴったりなんだが。あの人なら本当にあり得る。
「良かったですね。それならその、お嬢さんも喜んでいたのでは?」
「うーんどうかしらね。相手に感謝はしてたけど、複雑な心境みたい。なんか真面目に考え込んでいたし。次はもっと完璧にしなきゃ、とかなんとか。ふふ」
おばさんの娘は、間違いないく負けず嫌いな性格だな。メンタルも強そうだ。もしも学校の同級生だったら、仲良くできそうな気がする。はは。
ふと、ハンカチのモガミさんが、おばさんのことをポカーンとした風情で見つめているのに気づいた。……どういう感情だ?
「なんだか話していたら、本当に欲しくなっちゃったわ。これ、頂ける?」
おばさんは、なぜかスッキリした表情でハンカチをひょいと持ち上げた。あまりにも不意の動作で、モガミさんが《ぴゃっ?》と叫んだ。
「えっでも……その品は、お嬢さんが作ったかは……」
「いいのよ! これを持っていたら、もう娘に余計な口出しをしないようになれる気がするから。お守りみたいなものね」
再びケラケラと笑うおばさんに調子を合わせながら、俺は止めるべきか悩んだ。(お前、いいのか?)こっそりとモガミさんに目配せすると、モガミさんは何やらもじもじしていた。
《…イイヨォ》本当に小さく、呟くのが聞こえた。
いいのかよ。俺は内心突っ込んだ。
***
『へぇ~ハンカチ、そんなに手強かったんですね』
夜になり、帰宅して飯を食った俺は、荒木に電話を掛けた。暇つぶしも兼ねて、ハンカチの末路を話してやろうと考えたのだ。検品者本人だし。
「新手のパターンだったな。何とかなったから良かったが」
『あっはは、ホントに! モガミさん相手とはいえ、室井さんがそんなに手こずるなんて、ふふっ』
「なんだ? やけにゴキゲンだな、今日は」
『いや、実はさっきビール飲んで。ちょっと気分がいいんです』
スマホ越しの声は、テレビ音声が混じっている。もしかしたら、バラエティ番組でも観ているのかもしれない。
『でも良かったですね。最後はしおらしくなったんでしょ? 改心したって感じで』
「改心か……。そうだといいんだが」
あることを思い出し、俺はしばし口を噤む。荒木はしばらくして、怪訝そうに促した。
『室井さん? どうしましたっ?』
「いや……それが、おばさんが退店しようとした頃なんだが」
会計を済ませ、おばさんがハンカチを握ったままニコニコと出口に向かっているとき、あのモガミは確かにこう言ったのだ。
《クローっ! 菜恵トかっぷるニナレヨー!》
余計なお世話だ。
「ったく、生意気な根性は変わりそうにないな。本当に売って良かったのか、心配……」
『あっははははははははは!!』
急に爆音で笑い出した後輩に、本気でビビった。
笑いのツボにはまったのか、荒木はしばらく腹を抱えていた。途切れ途切れ、苦しそうに言葉が挟まれる。
『すっ……すいませ……くっ、だって。あー出会ったばっかのっ、モガミさんに……恋路を、応援されるって……くく。……世も末ですよぉ。はははっ!』
笑い過ぎだ!
言うんじゃなかった。今度こいつ、しばこう。
密かに決意を固めて、俺はソファから立ち上がった。こんなときこそ酒を飲まなければ、やってはいられないからだ。
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