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[10000字超]不登校の将来設計、とくにフリーランス・アルバイトのすすめ

結論から言えば、不登校の生徒は孤独の限りで、人生の道を見失い、五里霧中となっていることが多いのが現実です。

私自身、当事者として小学5年生から中学生まで不登校であり、高校は通信制高校でしたが、その間は生きることが辛くて仕方がありませんでした。今は元気に立ち直っていますが、それまでには大変な苦労を強いられたものです。

しかし、今では不登校の生徒が何をすれば良いか、おおよその辿るべき道がはっきりと見えてきました。何が有意義で何が無駄なのかも分かりました。以下にその教訓を共有したいと考えます。

とくに、高校時代の過去の私に向けて、もしこのようなメッセージがあればどんなに助かったことだろうと思えるような事柄を語ります。それゆえ、以下の説明は、フリーランスやアルバイトを推奨するなど、とくに高校生・大学生向けになっていることをお断りしておきます。とはいえ、小学生・中学生であっても、まったく手の届かないことではないはずです。
当事者はもちろんのことですが、親御さんがこのnoteを購入する場合は、これをプリントアウトして手渡して下されば幸いです。

つまるところ、学校の意味を因数分解して考えれば、不登校は格別悪いことではありません。積極的に不登校になることはいくらでも可能なのです。具体的には、勉強については、スタディサプリなど、映像授業を見ればよいだけのことです。YouTubeで無料の授業もいくらでも落ちています。それでも分からない点があれば、塾に行って聞けばよいでしょう。Yahoo知恵袋で聞くこともできます。学校は、第一義的に勉強をしに行く場所です。その機能が他でも果たされるなら、なぜ学校が必要な理由があるでしょうか。

学校のもう一つの機能は、コミュニティです。要するに、そこに帰属し、友人関係を作る場所として機能するわけです。この点では、たしかに不登校の生徒は不利な点が多いかもしれません。しかし、現代ではSNSという便利な道具があり、同じ趣味の人とも集まりやすくなっています。それゆえ、そのような道具を駆使すれば、友人関係を補うことはかなりの程度、可能になっていると考えます。単に近所に住んでいるというだけのリアルな友人より、バーチャルであっても趣味が合う全国の友人の方がどれほど良いか分かりません。

わが子が不登校になった時は、まず親がそれを受容しなさいと一般に言われています。それは間違いではありません。親の不安は子供に伝染し、無意識のうちに刷り込まれるものです。それゆえ、親が元気一杯で前向きでないと、子供も立つ瀬がなくなってしまうのです。

しかし、たんに「そのままで良い」というメッセージを発するだけでは、十分とは言えません。なぜなら、実際のところ、皆は学校に行っているのに、なぜ自分だけは「そのままで良い」のか、一向に不可解であるからです。

たしかに、不登校の初期にはそのようなメッセージが適切でしょう。しかし、不登校が一段落した頃には、今度は将来のキャリア設計を考えなければなりません。大切なことは、それを詳細に調べ上げ、言語化することです。言語化によって夢は現実化へのスタートラインに立ちます。単に漠然と「こうであったら良い」というレベルの夢は、吹けば飛ぶように頼りない代物です。

まずワークとして、親子ともども「私の将来の夢」という題で、出来るだけ長い文章を書きましょう。最低2000文字、1万文字以上あると理想的です。そして、それを共有し合うことにより、不登校の孤独はかなり癒されると思います。なぜなら、学校に行っている生徒のほとんど誰も、詳細に自分自身の夢を把握している人などいないからです。ここに不登校の生徒の優位性があります。

既存の学校教育は、そのような固有の夢の細部を詰め、それを行動に移すことに消極的でした。なぜなら、数学や英語の勉強は生徒それぞれの夢よりも大切だからというわけです。しかし、いかなる学問の勉強も、元を正せば、個人的な夢を叶えるために必要とされる道具であり、自己目的ではありません。それゆえ、夢を言語化し、それを叶えるために一歩ずつ行動できているかぎり、学校の勉強が苦手であることは何事でもないと言うべきです。

また、不登校の生徒にとって、読書は死活的な意義を持ちます。そもそも、学校で行っている勉強自体、指定の教科書・参考書を読解するということに他ならないからです。そのカリキュラムは固定されていますが、もちろん不登校の生徒の側は、好きな本を好きなように読めばよいわけです。書籍は、1冊2000円の本を100冊買って20万円と考えれば、一見高そうに思えますが、教育費と考えれば破格に安いものです。本はコストパフォーマンスがもっとも高い自己投資です。読書は万人の大学なのです。

かくいう私は、先にも述べたように、小学5年生から中学校まで不登校、高校は通信制です。したがって、私の頭脳の中にある知識や論理のほとんどが、先生や学校に負わない、独学の産物によるものです。そうであっても、かなりの部分まで、高額な学費を払わなくとも学び通すことは出来るし、それは誰もがやるべきことであることと思います。

私は言い切りますが、学歴は頭脳の良し悪しとは関係ありません。
たとえば東大の大学院生であるか、それとも高卒であるかは、何らリテラシーや稼ぐ力と相関しません。しかし、読書の量と質、つまり学習の能力は、頭脳の内実や経済力と密接な関係を持ちます。大切なのは、外から見える肩書や記号ではなく、自学自習の習慣です。

たとえば高卒から成り上がった資産家など、世の中にはいくらもいるものです。一方、名門大学を出ているが、その後、中途半端なキャリア設計しか出来なかった人間も山ほどいます。要するに、学歴とは外から与えられた記号であり、環境にすぎません。それを生かすも殺すもその人次第であり、自己研鑽を重ねる人にとっては、あっても無くてもどちらでも良いものです。それゆえ、不登校の生徒が、学歴コンプレックスを持つ必要は一ミリもないと、責任をもって断言できます。

仮に学歴が大切であるとするならば、まず志望校のキャンパスを見学し、合格体験記を読み、動機づけを行ったのちに、赤本を熟読すれば良いだけの話です。徹頭徹尾、受験勉強は赤本のゲームです。赤本を入手しない・入手しても積読になっている受験勉強は、まず成果を挙げられません。逆に、赤本を一生懸命に読むだけで、他の受験生に対して優位に立つことが可能です。

最初は全く内容が理解できないかもしれませんが、それでも問題と解答・解説を何日でも掛けて読みながら、そこから逆算して何をすれば良いかを判断するのが、もっとも効率の良い勉強法なのです。つまり、スタートからではなく、ゴールから先にスタートすることが、目標達成の鍵なのです。

話を戻せば、不登校の生徒には自由な時間がいくらでもあります。そのありあまる時間を使って「私の将来の夢」にかぎらず、定期的に文章を執筆することで、自分自身の内発的な欲望を見つめ直して見るのが良いでしょう。また、そのようなライティングスキルを身につけることで、将来的にフリーランスという働き方で、Webライターやブログに結びつけることも可能です。

基本的に、日本社会においては学校=会社という位置付けです。もちろん、小学校・中学校・高校に不登校になった生徒が、大学に無事通い、色々な会社に就職するという可能性は十分にあり得ます。それは幸せなことでしょう。会社勤めが性に合っている人を、無理に他の道へと扇動する理由もありません。しかし、不登校の生徒の中には、そもそも組織の中で仕事を行うことが性格に合わない人も、少なからず存在するのではないでしょうか。そういう人に対しては、フリーランスの働き方が勧められます。そのメリットの一つは、自宅で自分自身のペースで働くことができることです。

フリーランスの仕事の種類は、次のとおりです。Webライター、ブログアフィリエイト、Webデザイナー、動画編集、プログラミング、YouTube配信などです。それぞれの仕事の詳細については下記を参照してください。

いずれも、高校生から始めることの出来るネットビジネスです。もちろん、アルバイトが悪いわけではありません。しかし、仮に仕事をするのであれば、スキルが蓄積する種類の仕事をする方が、経済的独立の道が近くなると考えます

働き方としては、まずどの分野にも初心者向けの解説や無料・有料講座があるので、それを参照しながら、一つ一つ手を動かしてみて下さい。また、大型の書店へと行き、その分野の代表的な書物を読んでみてください。そうすれば、次にやるべきことは自ずと見えてきます。ただし、オンラインには詐欺的な高額な講座もありますので、それだけには注意して下さい。まずは、廉価な情報から摂取・実践するのです。

フリーランスの一つの重要なメリットは、純然たる実力社会であり、経済的報酬が高いことです。たしかに低スキルのフリーランスは低賃金の下請けに甘んじていますが、自学自習を怠らず、スキル獲得に務めたフリーランスの場合は、会社員の平均年収よりも高い報酬を得ることができます。はっきりと言って、年収1000万を超えることは、むろん年単位の努力と集中は必要ですが、会社員の場合よりもはるかに容易です。というよりも、会社員の立場が、会社の看板を使える代わりに、株主や経営者から利益を搾取されているのです。たとえば東京で一人暮らしをしている場合、年収1000万もあれば余裕のある生活を送ることができるでしょう。その夢に向かって、不登校の高校生が、可能な範囲でフリーランスの糸口をつけることは有力な選択肢であると考えます。

不登校の生徒には、有り余るほどの自由な時間があることは既に述べました。恐らく、スマホを持っている生徒であれば、自由な時間の大半をスマホで何かすることに使っていることでしょう。
経営コンサルタントの大前研一は、次のような名言を述べています。

「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。 この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。」

この論法を応用するならば、スマホで人生を変えたければ、YouTubeで見るコンテンツを変える。Twitterのフォロワーを変える、インストールするアプリを変える、つまりスマホで行うこと全般を変えるべきであるということになります。

スマホは文明の利器です。限りない可能性がスマホの中には潜在しています。それを生かすも殺すも使い方次第です。

ここでデジタル・ゲームについてひとこと述べておきましょう。スマホゲームの場合、課金額を話し合って一定額に決めることが大切です。それができる限り、ゲームに熱中していることは、依存して寝食に影響の出るほどでなければ、とくに悪いことではありません。むしろ、将来の仕事や仲間作りに繋がる便利な趣味と言えます。

以下は有料部分となります。無料部分に私の意見を載せましたので、そこで買う価値があると感じたら購入して私の思考ごと学んで下さい。

ご購入ありがとうございます。不登校とゲームについて引き続き論じます。

たしかに、ゲームそのものを仕事にできるプロゲーマーは、いつの時代も少数であるかもしれません。しかし、ゲーム会社の各種の仕事に就く(クリエイティブ職にかきらず、経理や営業なども含む)など、ゲーム関係の仕事に広げれば、選択肢はさらに広がります。

また、ゲームを趣味とする同好の士を通じて、人間関係の構築能力が高まる可能性があります。人生の幸福感は、友人が存在するか否かにより、劇的に変わるものです。友人の数が0と1では大違いです。そのような仲間作りは、ゲームという趣味を通じて容易に出来るようになるのです。

以上に述べたことは、デジタルゲームにかぎらず、カードゲームやアナログゲーム全般についても同様です。
そのような将来性が期待できるゆえ、ゲームは不登校の生徒にとって、時間の浪費ではなく、人生の役に立つことなのです。

また、可能であればパソコンを持つことも大切です。もしパソコンを持っていない子供がいるならば、ぜひとも買い与えるべきであると考えます。なぜなら、将来の仕事に繋がるプログラミングは、パソコンを使わなければ出来ないからです。また、スマホのさまざまな機能は、パソコンによってさらに強力に発揮されるからです。

ところで、時間は、過去・現在・未来に分解できます。もっとも大切なのは、言うまでもなく未来です。これに対して、過去は必ずしも囚われる必要はありません。

例えば、不登校の原因探しは、しばしば親子ともども行ってしまいがちですが、仮にその原因を突き止めたところで、不登校が不登校でなくなるわけではありません。それは過去志向のアプローチです。他方、未来志向のアプローチは、不登校という現在の地点から、いかなる夢に向かって歩み出そうかと考え、かつ行動することです。たしかに過去の事実は変えられません。しかし、未来の夢の実現に応じて、その事実の解釈は変えられるのです。このことからも、未来志向が先決する問題であると分かります。

一般に、教育の秘訣は、長所を徹底的に伸ばすことです。苦手を克服する必要は必ずしもありません。一点突破で貫くことは可能です。一度、自分自身の長所をメモしてみて下さい。そして、それを成長させるためにできる行動をリストアップし、実行してください。ここでのコツは、中途半端にではなく、徹底的に実行することです。

たとえば、音楽が好きであるならば、睡眠時間を削れとは言いませんが、睡眠時間以外のすべての時間を音楽に当てて下さい。24時間365日、音楽のことだけで頭を一杯にして下さい。そうすれば、必ず仕事になるとは言い切れませんが、少なくともそこから尊い学びを得ることが出来るはずです。

学校に行っているどんな生徒も、そのレベルで熱中・没頭している人はきわめて稀です。学校のカリキュラムは、総花的であり、一点集中に欠けています。それゆえ、不登校の生徒が長所を徹底的に伸ばすことが出来れば、学校の教育水準を越えることなど、かくべつ難しいことではないのです。まして学歴など些細な問題であることがよく分かることでしょう。熱中・没頭を知らない人だけが、学歴とか就職とかいう問題で騒いでいるのです。

先に、読書が不登校にとって大切であると述べましたが、ここで読書の方法についても述べておきましょう。まず、不登校、ひいては教育に関する本を10冊読みましょう。2冊や3冊では足りません。なぜ10冊かと言えば、一つのテーマについてそれくらいの数を読めば、自ずと初心者レベルから脱却できるからです。買ってきた本は、本棚に入れるのではなく、机の上に置いておき、読まなければならないと思えるようにしておきましょう。

本を読むのが速い人もいれば遅い人もいます。1日1冊読む人もいれば、1週間で1冊読む人もいます。内容が難しく、分厚い本であれば時間がかかるでしょうし、そうでないものであれば直ぐに片付くことでしょう。学者が研究し、専門的な論文を執筆する場合は、半年から1年にかけて1冊というペースかもしれません。しかし、別に速く読めても遅く読めても自慢にはなりません。大切なのは、本の内容を理解して楽しむことです。楽しむという境地が教育に一番近いのです。

そして、10冊読めたとします。もちろん、このまま何冊も読み進めても構わないのですが、今度は読み終えた感想を文章にまとめておくと、なお効果的です。そうすることで、いわば本の内容を教えるのと同じ効果が発生します。つまり、記憶に深く残るのです。そうすると、本の内容を具体的に行動に落とし込みやすくなります。それにより、不登校の人生は変革されるのです。

今、私は読書を例に挙げましたが、大切なことは「成功体験を積む」ことであって、どうしても読書に興味を持てないか、他にやりたいことがあるならば、それをやれば良いと思います。音楽、カードゲーム、漫画、イラスト、料理など、学校のカリキュラムに囚われず、何でも良いのです。同好の士を得られればなお良いでしょう。そのような形で成功体験を積み重ねると、自己肯定感が高まります。自己肯定感は死守すべきものです。なぜなら、それが幸福の源泉だからです。これに比べれば、学校に行く行かないなど、所詮は小さな問題にすぎません。

それゆえ「石の上にも三年」はもはや当てはまらない格言です。石が石であると分かったら、3ヶ月くらいで、我慢するか撤退するかどうかを決めても差し支えありません。繰り返し強調しておきますが、学校はいつでも辞めることができます。すでに払った授業料が高価であっても、生命や生活に対しては、その重みは比較になりません。既に挙げたように、本を読む、ゲームに興ずる、フリーランスとして働き始めるなど、家の中で出来る活動はいくらでもあるものです。それゆえ、学校から切り離されているからといって、あるいは友だちがそのせいで一人もいないからといって、気に止むことはないのです。

とはいえ、友達作りができるか否かは人生の楽しさを実感する上で要となる部分です。この点では、不登校時代の私は、残念ながら、友達が0人という時が長く、あまり私の生き方は参考にはならないと思います。そこで、今流行りのChatGPTに答えさせてみたいと考えます。以下に挙げるのはその一例です。

問い 「あなたは不登校の学生です。あなたには友達がいません。あなたはどうやって友達を作りますか?」

答え 「友達を作るためには以下のようなアプローチがあります:

  1. 共通の趣味や興味を持つグループに参加する:自分が関心を持つ活動や趣味に関連するグループやクラブに参加することで、同じ志を持つ人々と出会う機会が増えます。

  2. コミュニティやイベントに参加する:地域のコミュニティセンターやイベント、ワークショップなどに参加することで、新しい人と出会う機会を得ることができます。

  3. ソーシャルメディアやオンラインコミュニティを活用する:インターネット上のコミュニティやソーシャルメディアを活用して、共通の趣味や関心を持つ人々とつながることができます。

  4. 積極的に話しかける:新しい人と出会ったら、積極的にコミュニケーションを取ることが大切です。興味を持った話題や質問を通じて会話を進め、共通点を見つけることができます。

  5. 聞き手になる:人々の話に耳を傾け、興味を持って相手の話を聞くことが大切です。相手に対して理解や共感を示すことで、友情が深まる可能性があります。」

1、3については、先に述べた「ゲームは友達作りに役に立つ」と相通じる点があります。とくに、SNSの積極活用により、繋がれる範囲を全国(英語が分かるならば全世界)に拡大することができます。私自身、Twitterで知り合った友人が複数人います。仮にSNSがなければ、とても繋がりようがなかった人たちばかりです。
2については、昔からある方法です。4、5については、コミュニケーション面でのアドバイスです。要するに、話すにせよ聞くにせよ、積極的な構えを持つことが大切であることが分かります。

何を聞いても、至極もっともな答えが返ってくる点で、やはりChatGPTは優秀です。これがさらに発達を遂げると、Google検索を淘汰してしまうかもしれないと思わされるほどです。今まで使ったことのない人は、簡単な登録だけで済むので、ぜひとも使ってみることをおすすめします。

SNS関係でさらに述べるならば、不登校の生徒が、ネットの友人を作るならば、Twitterの使い方を変えるしかありません。いわゆるROM専(見ているだけ)では、情報収集ツールとしては使えますが、コミュニケーションが取れているとは言えません。守りではなく、攻めの運用をしなければならないのです。

具体的には、仲良くなりたいアカウントがいたなら、そのアカウントへとリプライやダイレクトメッセージを送ることです。もちろん、失礼があってはいけませんから、過去の投稿を読み、相手をよく理解し、丁寧な言葉づかいでメッセージを送りましょう。もちろん、コミュニケーションは相手のある事柄なので、自分自身の中では100点のメッセージを送っても、無視されるか、断りのメッセージが返ってくることは珍しくありません。相手には相手の都合があるので、それは仕方ないのです。とはいえ、仮に10人のアカウントにメッセージを送れば、1人くらい好感触な答えが返ってきてもおかしくありません。その時には、メッセージのやり取りの中で、共通の趣味や興味を深掘りしましょう。そして、Twitterにはスペース(通話)機能があるので、それを使って声でもやり取りをしましょう。そうすると、さらに交友関係を深めることができます。

以上に述べたTwitterの機能を駆使し、人と人との繋がりにコミットすることにより、最低でも3人以上の友人関係を作ることは、不登校の自由な時間があればさほど困難ではないと考えます。繰り返し述べるように、友人が0であるか、少数でも繋がりがあるかによって、人生は大きく変わるのです。
私はあまり詳しくないので説明はしませんでしたが、LINEを使っても同じことが恐らく出来ると思います。

大切なことなのでもう一度述べますが、「石の上にも三年」は間違っています。せいぜい我慢するならば、3ヶ月です。そして、一般論として、「我慢して、嫌なことでもやり続けるのが正しい」という価値観は、不適切なことが多いです。

たしかに、学校にせよ、自宅での自学自習にせよ、アルバイトやフリーランスの仕事にせよ、それらは刹那的に面白おかしい類いのものではありません。そういう意味で、我慢が必要とされる局面はたしかにあるでしょう。ここぞという時の粘りは必要です。

しかし、だからといって我慢に次ぐ我慢の連続では、率直に言って、心身に変調を来してしまいます。その結果、うつ病や解離性障害、また最悪の場合は自殺してしまう事例も往々にして見られます。
そういうことでは、どうして仕事の生産性が向上すると言えるでしょうか。

そもそも、仕事は意欲と適性がすべてです。そのような条件を満たした仕事であれば、時間や公私の区別など関係なく働き続けられるものです。そのような努力と進歩のループこそが、仕事の理想形なのです。そして、どのような不登校の生徒にも、一つくらい長所や得意なことがあるものです。あくまでも、それを深く深く掘り下げるべきなのであって、苦手なこと、不向きなことをわざわざ人並みに伸ばしたところで、さしたる差別化や市場価値を生み出すことは出来ないのです。

そういう意味では、一定の我慢が必要とされる局面はあるが、それも程度の問題であり、単に嫌でたまらない不向きなことをやり続けることは、正しくないということです。人は誰でもおのれの長所と資質を開花させなくてはなりません。自由な時間、オーダーメイドのカリキュラムが与えられた不登校の生徒にとっては、その立場が千載一遇のチャンスということです。

私はフリーランスを推しますが、それがハードルが高いならば、アルバイトでも構いません。要するに、何らかの形で働き、社会経験を積むということを覚えたほうが明らかに良いです。アルバイト自体をどれくらい続けるかにかかわらず、またそれを否定するにせよ肯定するにせよ、将来設計の多大な参考になると思います。

たしかに教科書や参考書で勉強をすることも大切ですが、他方、仕事の現場で覚え込む価値のある事柄もまた、膨大な量に及びます。アルバイトを通じて「働くとは何か」「社会の中でお金はどのように回っているか」「お金を稼ぐには何をしたらよいか」といったテーマを、暗黙のうちに職場の中で理解できるのです。

また、そもそも学校の先生は、大学で教員免許を取るなど、国語にせよ数学にせよ、勉強中心の社会生活を送ってきた人ばかりです。一般論として、お金を稼ぐことの専門家ではありません。それゆえ、学校の先生の話をよく聞き、その知識の内容を正確に記憶したところで、たしかに知識は使い方次第なので、それに意味がないとは言いません。しかし、お金そのものの学びからは遠回りになってしまいます。

アルバイトは将来的なフリーランスの独立の第一歩とみなすことができます。親から貰ったお小遣いは、何もしなくても懐に入ってくるものですが、アルバイトの作業で稼いだお金は、自分自身の手で稼ぎ出したものであり、重みが全然違います。

最後に、お金の使い方について一言しておきましょう。結論から言えば、自分のお金は浪費するのではなく、自己投資に回すのが正解です。自己投資と回収のループを回すことで、限りなく収入を高められます。それがお金の王道です。

では、自己投資とは何をすることなのでしょうか。一言で言えば、お金の勉強をすることです。たとえば書籍を買うことはおすすめです。とくに、ブックオフなど古本屋に行けば、100円〜200円の額から本を購入できます。中でも、お金にまつわる種類の本がまとめられているコーナーから購入して読むことで、マネーリテラシーを高めることができます。

また、フリーランスのノウハウについては、オンラインの教材で学ぶこともできます。ただし、それは一般的に、書籍に比べて高価であるので、書籍の形になっていない具体的なノウハウを補充するように学ぶと、損をしにくいと思います。

お金は貯金していざという時の軍資金にするのも不可欠ですが、実際には自己投資に使わなければ人生を変えることができません。つまり、今ここで使うか使わないかについての岐路に立たされているわけです。私は折衷案として、半分を貯金し、半分を使い尽くすことを勧めます。そうすることで、お金の力で、不登校の人生を効果的に変えられることでしょう。

以上、私は不登校の高校生へ向けて、学校の意味、勉強の方法、ゲームなどの趣味、SNSの活用、フリーランスとアルバイト、お金の正しい使い方などについて述べました。その最終的な目標は、行きたくない学校に無理に通うことでもなければ、一人で悩みを抱え込むことでもなく、経済的な独立であり、可能であれば裕福な生活を送ることです。読者の皆さんの幸福を願っています。

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