noteを綴るのを辞めてから久々の投稿
とにかく1年間は継続していこうと決めて連続投稿365日を達成し終えたあと、さほどフォロワーも増えず、記事を通しての交流も少なかったので自己満足の内にnoteを綴るのを辞めた。
365日継続して毎日noteを綴ったことはなかなかの自信になった。
1年間のnoteの中の内容はほとんど自己啓発系の内容。
きっかけは体調を壊して痔になったことがきっかけ。
「う〇こ」は小学生が大好きなワードであるわけだが、それつながりのせいなのか「痔」というワードはなかなか笑える。
まだ笑えてた頃は自身がその「痔」にかかったことがなかったからというのもあるが、他人が「痔」であったりテレビドラマなんかで「痔」の人が痛がってたりするのを見るとバカにして笑っていた。
その痛さ、辛さが理解できないからというのもあったが…実際その立場に立ってみると冗談じゃないくらいの辛さだった。
他の部分は全く問題なくそれまで全くの健康体だったからこそそのケツの穴だけ炎症を起こしてることが目立ち、痛みを感じたことも要因としてあるだろうが、日常を過ごす上での外的ストレスがすべて底上げされるのだ。
あの頃は最悪だったが、それであったがお陰で今がある。
真剣に健康について考えるようになったからだ。
痔になる前の食生活もそれほど悪い物ではない…と当時は思っていた。
基本は自炊で、肉は多めだったが毎食キャベツの千切りや、ピーマン、人参などなど副菜も添えていた。
それなのに痔になってしまったものだから、(ちなみに運動もたまにしていた)思い切って極端な健康法を試すことにした。
それが一日一食法だ。
朝、昼は食べず、晩御飯だけ食べる。
理由として元来、朝の時間帯というのは身体から必要のない物を排泄する時間であるということ+昼間すきっ腹に食事をして胃腸を働かせると脳に回すべき血流が消化器官にとられてしまって眠くなったり、集中力が落ちてしまうことがあげられるからだ。
もう約2年ほど経過するが、月日が経過するごとに体調が良くなっているし、エネルギーが身体の芯から湧いてくる。
晩御飯の一食は基本的に野菜中心。
トマト、レタス、アボカド、大根、ニンジン、ほうれん草、小松菜、ブロッコリー、タマネギ。これらをあえたサラダ。
あとは玄米と、タマネギの味噌汁。食後のデザートにミックスナッツ。
エネルギーがあり余っていることと、脳を日頃から有効に働かせるために約4キロのジョギングを日課にしている。
ただ、上記の食事だけでも1年間は良かったものの2年目あたり(ランニングシューズを替えたのもあるかもしれないが)から右膝が痛み出した。
これは小学生の頃に負った古傷が疼きだしたわけでもあるのだが、動物性たんぱく質も多少摂取した方がいいのかもとの思いから、今ではサバ缶を食卓に加えている。
こんな食生活は、毎日「今日の晩御飯は何にしよう~♪」と食事を考えること、自ら選択し作ったものを楽しむことが趣味である人には常軌を逸した所業のように思えるかもしれない。
むしろ以前の私がそうであったからそんな考えの方からは変態だと思われても仕方ない。
「そもそも毎日そんな食事で飽きないの~?」と思う方もいるかもしれないが、そこにはカラクリがある。
日頃、一般的な栄養学に影響をうけて1日3食真面目に食べている人の中には「3食食べるのが大事だって言われてるから」との理由で、中には特にお腹も空いてるわけではないのに食べてる人もいると思うが、そんな状態で食べたても食べ物の本来のおいしさを感じられる訳がないのだ。
TVのインタビューなんかでも耳にされたことがあるかもしれないが、人間は瀕死や餓死寸前に口にしたものほどその対象を美味しく感じることはない。
「これは確かに美味しいけど、あのツライ時に飲んだ水の方が数倍美味しい」などというコメントは良くある。
一般的な例で言えば1日中仕事を頑張って飲むビールの一口目みたいなものだ。その証拠にビールだってずっと飲んでいれば一口目の美味さも薄まっていく。
なぜ一日一食なのに毎日同じ食事内容で飽きないかと言われれば、前述したとおり空腹状態で食べることによって毎回美味いからとしか言いようがない。
それに毎回同じ食事内容にするということは、パターン化にもつながっている。
人間は自身は気付いてなくとも、無意識に一日に信じられないほどの思考を巡らせているらしい。
「それならもっと毎日悩んでる私は何なのよ!もっと悩みが解決できてもいいんじゃないの?!」との声も聞こえてきそうだが勘違いしてはいけないのは、思考を巡らせているだけであって脳が解決策を勝手に探してくれる訳ではない。
誰でもわかることだが、行動に移さないと物事は解決しない。
行動できないと、解決できない問題に対しても解決するまで思考を巡らせることになる。
分かりやすくいうと、「もっと痩せたい」「あの子に好かれるためには」「借金返さなきゃ」「あの上司嫌いだな」「会社行きたくない」人の世の悩みは色々とあるものだが、
痩せたいと思ってもすぐに痩せれるわけではないし、すぐには自分を替えられないから思考が停止する。解決策が分かってもその行動をとれないと「どうして私はダメなんだ」との考えからまた新たに余計な(考えてもどうにもならないことの為に)脳のメモリを喰われていく。
このようにして悩みに対して解決策はわかっているのに(解決策でなくても解決できる可能性がある行動がわかっているのに)その行動に移せないと脳のメモリは喰われ、どんどん考えることが億劫になっていき、しまいには鬱になる。
よく自己肯定感は大事だといわれるが、「太ってるのが私らしさ」などと自分を肯定することでポジティブになれるのは、その時点でそれに関するあらゆる悩みが解消されて、その分の脳のメモリを別途活用できるようになるからだ…と私は思っている。(※この点はあらゆる本を読んでいて私の中でつながった結論)
話が逸れたが、毎晩の食事に対する「美味しさ」を報酬とするからこそ考える楽しみがあるのだろうが、中には作って食べてみたときに「不味い。失敗した」と感じる事もあるだろう。
そうなったらそれまでの過程が丸々ストレスに変わる。
要するにリスクがあるということだ。
それに、新しい料理に挑戦するとき準備すべき食材、調味料、下準備など考えるためにその分脳のメモリを消費してしまう。
そういった手間を苦労としないほど日々の生活にストレスが少なく、心に余裕があるのなら全く関係のない話だが。
「じゃあ外食すればいいじゃん」
との考えもあるが…これも一日一食(化学調味料含まない食事)になって気付いたことだが、久しぶりにそれまで美味しいと感じていた飲食店のメニューを口にしたとき、それまでに感じていた美味しさは人工的なものだったり、食材そのものの味を生かしたものではなかったんだなと痛感した。
美味しいには美味しいが味に違和感を感じた。
実は、私も生きてきた中で飲食店(有名店)に務めてきたことがあるが、その店では化学調味料をドッサリ入れていた。
そのとき、その道一筋の同僚から聞いた話ではどこの店でもやってるらしい。
全ての飲食店がそうとは限らないが、安くて美味い飲食店がなぜその価格で提供できてるのか。
砂糖もそうだが化学調味料は少量で人間が舌で感じる味覚を狂わせて脳に刺激を与える。
まあ即効性からみれば身体に害はないものなのかもしれないが、原始の頃から人間の身体にしみついている糖分(甘味)の重要性や美味いものへの渇望は恐ろしいもので(そもそも私も含めて人間は欲深い生き物だが)、異常に美味い物を目の前にしたとき、人間は「もっとほしい!もっとほしい!」との欲望からついつい食べすぎに至る。
出来上がるのが肥満からくる成人病だ。
この資本主義の世の中、世の法律は資本家に優しく作られている。
スーパーなどで売られているお菓子や長期保存可能な食品などの裏をみれば何なのか万人には理解できないカタカナ文字がよく並んでいる。
表記の必要のない化学調味料?もあるというのだから、表記されている物だけしか添加されてないと考えるのはやめた方がいい。
資本主義なのだから、資本家にとっては沢山売れたほうがいい。それが国にとっても利潤につながる…となると、食べ物に中毒性を持たせた方が良い。
すると化学調味料でもなんでも使ってコストを安く、味をキープさせるた方が良いに決まってる。
外食が美味いのは当たり前。
とことん「美味さ」にこだわっているのだから。
家庭の味では再現ができないからこそ、あこがれてしまう。
そうなると外食の味に近づけるために、砂糖を多用し、化学調味料の入った調味料を多用し、自炊をしていたとしても外食してるような食事内容になってしまう。
まさにそうなってしまっていたのが当時の私だった。
noteへの継続投稿は辞めてしまったが、辞めたあとも継続してジョギングは続けている。
お陰で毎日気分も良く、健康で仕事をしていても疲れにくい。
(体重は当時から13㎏も減った)
なんなら走らないと身体が疼くくらいに毎日スタミナがあり余っている。
今の悩みは「興味本位に色んなことに手を出しすぎて優先順位が間違ってしまってたこと」だ。
今回上げたような内容を無料ブログにあげたとしても、(ここでもそうだが)オススメ記事になるとは思えない。
何故なら世の中のほとんどの人が望まない真実だから。
もしくは文が稚拙で読みにくいか、私が特殊な変態で一般人の考え方にそぐわないから。
他、例外として不健康な食事をしていても長生きでいつも元気な人もいるから万人に当てはまらないってのもあるな。
それに私のような考えが広まったら世の中にお金は回らなくなる。
資本家には美味しい話ではない。
実際皆が皆私のような食生活になったなら、飲食店はほとんど潰れるだろうしね。
話は変わるがnoteの継続を辞めたあと、ブログサイトを立ち上げるが先決だったのに、英語の勉強やら、ピアノやらマラソンに力を注いで、日々楽しく暮らせていたから、「別に自分を知ってもらわなくともいいかなぁ」とサイト作成は後回しにしていたが、
ひょんなきっかけで自宅のDIYで作った家具を見た知人から「報酬は払うから君のセンスで別荘に家具を作ってほしい」と言われた。
(まあこちらから若干営業まがいのことをやってのも効果あってのことだと思うが…)
それで電気工事士の資格勉強をしたり、インテリアデザイン案を作成したりで最近また更に忙しくなってる。
これは嬉しい忙しさだ。
ブログサイトが必要なのは、DIY(素敵な家具造り)を仕事にしようと思っていることと、ピアノもそうだが色んなことをなるべく第3者からの選別なく自由に発信できるようになりたいから。
食事を変えて、身体が軽くなり、思考も軽くなり、生活パターンが変わってストレスも減り、日常の幸福度が底上げされる。
フットワークが軽くなると色んなことに手を出せるようになって、子供のように好奇心から何にでも手を出してしまってるのが今の私。
久しぶりの記事はnoteを始めたきっかけから食事の話ばかりになってしまったが、こんな感じで気が向いたときに吐き出したいことを吐き出せる場があるのはやはり良い。
でも資産価値にはならないだろうからやはり自分のサイトを作りたい。
サイトを作ったとして、勝手に書き散らかしたこんな感じの記事を見に誰が来てくれるか分からないが、立ち上げた暁にはnoteでも紹介させて頂こうと思う。
少し長くなった。
とりあえず今のところは電気工事士の資格取得と、クライアントのお眼鏡にかなう部屋、インテリアづくりに専念します。
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