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名曲As Time Goes By「時が過ぎゆくまま?/につれ?/けれど?] キーワード"as"の解釈 (後編)...「カサブランカ」の主題歌としてストーリーのキーワード

「"As Time Goes By" の"as"の解釈」 (前編)の続きです。まずそちらをお読みください。

“As Time Goes By”の“as”の用法を~につれて(according as)とする場合、従属節(“as time goes by”)に続く主節が何かしらの変化(change)を叙述しなければ論理的整合性が保たれません。“インターネットから拾った以下の例文のように、

As time goes by, things change, people change. Those you knew become strangers, those you did not know becomeyour trusted ones. But as long as your love and care remains, you will be ready for when they return.(Isaac Muinde Mbiti氏:時間が経つにつれて、物事は変わり、人も変わる。知人は見知らぬ他人に、知人ではなかった人が信頼できる人になる。しかし愛と気遣いがあれば、彼らが戻ってきた時に迎える準備ができていよう。筆者訳)

従属節“according as time goes by”「時が経つにつれて」に続く主節は、“things change, people change” (物事は変わり、人々は変わる)のように変わりゆく事象をしなければ論理的整合性が取れません。しかし、この曲の歌詞:

You must remember this 
A kiss is still a kiss
A sigh is just a sigh
The fundamental things apply

では、"as time goes by"に続く主節における“still”と“just”の解釈次第で整合性の有無が変わります。もし、 “still”を “even now”「今なお/依然として」という意味での副詞とし、“just”を”exactly”「まさに]とか「それ以外の何ものでもない」という意味の副詞とすると、基本的な物は全く変わらないことになり、 “as”をaccording as” (〜につれて)の用法とする場合、 “According as time goes by, a kiss is still a kiss, a sigh is just a sigh. The fundamental things apply”(時が経つにつれ、キスはいまだにキス、ため息はまさにため息、その基本は通用する)ということにになり論理的整合性が保たれません。保つには “According as time goes by, a kiss is not a kiss anymore, a sigh is not just a sigh anymore. The fundamental things do not apply anymore.” (時が経つにつれ、キスはいもうキスではなく、ため息はため息ではなく、基本は通用しない)のように、その基本が過去のものになって変わってしまったと言い換える必要があります。それではこの曲の歌詞とは別物になってしまい、却下です。

要は、「〜につれて」を「〜につれても(なお)」にしなければ辻褄が合いません。すなわち“Even though time goes by, a kiss is still a kiss... the fundamental things apply a sigh isjust a sigh(時が経っても、キスは依然キス、ため息はまさにため息、こうした基本的な物事は今も当てはまる)にすれば整合性は保たれます。

それには次の2つの方法が考えられます。一つは、(前編)で挙げた用法以外の接続詞”as”の文語的用法の譲歩 (concession〜けれども)を引っ張り出すことです。第二次対戦後の受験生に愛読された「山貞」こと山崎貞『新自修英文典』(1951年、研究社. P. 513)には次のような例があります。“Brave as he was(=Though he was brave), he turned pale.” “Hero as he was (= Though he was a hero), he turned pale.” “Gallantly as they stormed the position (= Though they stormed the position gallantly), they were at last repulsed.” これらの文では“as”は“though”「〜(である)けれども」という譲歩的意味合いを表します。ただし、 “as he was brave”では“because he was brave”(勇敢なので)になってしまうので、“brave as he was”(名詞の場合冠詞を省く)のように倒置しなければなりません。ちなみにこれらの文の“as” を“though”に替え“Hero though he was”とすることができますが、“though”の場合“though he was brave”も“brave as he was”も同じ意味であるところが違います。

これに関連し、A Comprehensive Grammar of the English Language’(R. Quirk 他、1985、Longman P.1098)でも、“as”や“though”が導く条件・譲歩節(conditional/concessive clauses)のややフォーマルな用法として、“Fail though I did(=Though I failed), I would not abandon my goal” “Naked as I was, I braved storm (= Even though I was naked..)” “Change your mind as you will(= Even though you change your mind), you will gain no additional support.”などの例を紹介しています。それにならい、”As time goes by”を“Go by as time does”にすれば「時が経っても」になり、論理的整合性が保たれます。しかし、“as time goes by”のままでは、(前編)で述べた(1)~(4)「時が経つにつれて」「時が経つように」「時が経つまま」「時が経つ時」のいずれかになり整合性は保たれません。

もう一つは主節の”still”の解釈です。“A kiss is still a kiss.” および、”It’s still the same old story.”の“still”の見直しです。上述したように、副詞としての“still”は、“I‘m still angry.”(私はまだ/依然怒っています)のように、行動や状態が続いていることを示す副詞として使われます。ここから、これら2つの文は、「キスは依然としてキスである」「それは依然昔馴染みの話だ」と言うことになりますがこのままだとしっくりきません。それ以外に”still”には、“He is an excellent short stop and still he fumbles.”や(彼は最高のショートであるけれどもヘマをする)のように、“in spite of that/ despite that” “nevertheless” (~にも関わらず)という”譲歩的(concessive)用法があります。したがって、これらの2つの文はそれぞれ「それにも関わらずキスはキスだ」「それにも関わらずそれは昔馴染みの話だ」になります。

ただし、これら2つの副詞的用法は互いを排除せず想定し合い、「それにも関わらず依然として」という強い意味合いが生じ、ここでは「それにもかかわらずキスは依然としてキスだ」のようになります。また“ A sigh is just a sigh.”の“just”ですが、Quirkらが言うように(P. 583) “certainly”とか“indeed”と同じく「まさに」という意味の強勢詞( emphasizer)です。“A sigh is still a sigh”と言っても良いところ直前の文と同じ言葉を繰り返すことを避けるという英語スタイル論が作用し強勢“just”を使ったと推察します。

では、「それにも関わらず」の「それ」とはなんでしょうか。字面を見ても分かりません。言外に何が想定されている(presupposed)ものが何か推論すれば分かります。英語で言うと“As time goes by, a kiss won’t be a kiss anymore. A sigh won’t be a sigh anymore. it won’t be the same old story anymore.”(時が過ぎゆくままにキスはキスではなくなり、ため息はため息ではなくなり、昔馴染みの話はなくなる)という社会全般にある通念があります。この通念が想定されているそれなのです。すなわち、そうした通念にも関わらず、キスは依然キスであり、ため息は、依然ため息以外の何ものではなく、昔馴染みの話は依然と続くわけです。こうした想定を言語化して歌詞を書き直すと以下のようになります:

要は、この歌詞(lyrics)は、“as time goes by”が時が過ぎゆくにつれ物事が変わる(“Things change.”)という想定を匂わせる一方、“nevertheless” という意味での“still”がその想定を覆し、にも関わらず恋愛の基本(fundamentals)は依然変わらず機能すると訴えます。強勢詞“just”、“always”、“never out of date”がそれに共振、共鳴し変わらぬことを強調しています。

想定(presupposition)は日常のコミュニケーションでよく見られます。言語学では語用論(pragmatics)が扱います。この歌詞で言えば、“A kiss is a kiss.”(キスはキス)は、“a beginner who has just started”(始めたばかりの初心者)のように同じ意味の言葉とか概念を繰り返すだけのトートロジー(tautology)であまり意味がありません。キスがキスであるのは当然ですが、それでも敢えてそう言うのには言葉を超えた何らかの事情が想定されていると感じなければなりません。状況を鑑み判断せざるを得ません。この恋愛讃歌(love song)は、時が経つにつれ物事の意味は変わる(軽くなる)という一般的状況であるのに、キスは変わることなくキスであるように恋の基本は変わらないという状況を伝えます。それが事実でないとしてもそうありたいとの願望を伝えているのです。

そのことを踏まえて例の対話シーンを振り返ってみましょう。

Ilsa: You used to be a much better liar. 
Sam: Leave him alone, Miss Ilsa. You’re a bad luck to him. 
Ilsa: Play it, Sam, for old times’ sake.
Sam: I don’t know what you mean, Miss Ilsa.
Ilasa: Play it. Play “As Time Goes By.” I will hum it for you. Talailalala..Sam: (plays the intro)
Ilasa: Sing it, Sam.
Sam: (sing) No matter what the future brings, as time goes by.
 (Rick walks in)
Rick: Sam, I thought I told you never to play..

IlsaがRick’s Caféに飛び込んできた時にSamは驚きます。最後に会ったのはドイツ軍の侵攻が迫るParis駅でのこと。列車の終発時間が迫る中、Rickと落ち合う約束をしたIlsaは来ませんでした。RickとSamは仕方なく列車に乗り込みます。これ以来、RickはParis滞在中のIlsaとのひと時を思い出させる“As Time Goes By”を歌わないよう封印します。Sam自身も1931年Herman Hupfeld が" ブロードウエイ・ミュージカル Everybody's Welcome の為に書かれたこの曲を歌う気にはなれなかったのでしょう。このミュージカルは今でいうラブ・コメディーでセールスマンから小説家に代わる夫とそれを心配し苛立つ妻が、ギクシャクしながらも変わらずに愛し合っていく様を描いているものと思えます。時は経ち物事は変わり(ここでは転職がもたらす変化)、もしかすると愛も崩れるかもしれなかったが、しかしそうならずに、二人の交わすキスは依然としてキスであることを謳歌しながら時は流れる(“as time goes by”)。このシーンでのSamにとって、Ilsaは戦況が悪化して心変わりしボスのRickを捨てた女性にしか思えません。

ご存知のように当時のフランスではナチス・ドイツの傀儡政権の下、フランス人の中にはナチ協力者(Nazi collaborators)がおり、同じ外国人であるIlsaが駅に現れなかったことはそうした憶測をよびます。フランス傀儡政権が統治するCasablancaにたどり着いたRickは、以来すっかり変わり、Sam以外の人々とはビジネス・ライクな接触を鉄則にニヒルで無情な生き方をします。SamはRickとIlsaの別れから、時が経つにつれ人心は変わることを目の当たりにし、その象徴であるIlsaは、かつては恋に生き明るかったRickを今のRickに変えてしまった元凶であると思っています。よってIlsaの依頼に答えて“A kiss is still a kiss.”(キスは依然キス)などとはとても歌えず、たまり兼ねて“Leave him alone, Miss Ilsa. You are a bad luck to him.”(彼をほっといたらどうですか、Ilsaさん。あなたは彼にとっては疫病神です)と激しく言うのです。

一方のIlsaは、チェコスロバキアのレジシタンス活動家Victor Laszloの妻でありながらも、そのことを隠してRickと過ごしたParisでの愛のひと時は忘れられません。その時交わしたキスは嘘偽りのキスではなく、どんなに時が経ち物事が変わり人心が変わろうとも、あのキスとため息今でも真のキス、ため息なのです。その思いを込めて“Play it (As Times Goes By) for old times’ sake.”と囁くように言います。私のRickに対するかつての(old time)愛、そして、Samあなたへの信頼はちっとも変わらないというメッセージを伝えるのです。

ミュージッシャンは曲の情景が描けないと上手く弾けません。そう言うIlsaの雰囲気から頭の良いSamはIlsaには何か事情が有ってあの日Parisの駅に来なかったことを瞬時に察したのでしょう。途端にParisでのRickとIlsaの愛のシーンが蘇り、まるで、そこに居ないRickに語りかけるように弾き語りを始めます。“Boss (Rick), you must remember this. That kiss is still a kiss.. “(ボス、あなたは間違っていた、やはり、あのキスは今でも偽りないキスですよ) とでも言いたいかのように。そこへ “I’ve got to forget that kiss, because it was not a kiss…”(あのキスは忘れよう、この歌のようにキスは本当のキスじゃないのだから、偽りだったのだから)と固く思い込んで、この曲の演奏を封じてきたRickが血相を変えて割って入り、“Sam, I thought I told you never to play..” と言うのです。

そう見てくると、“As Time Goes By”を「時の過ぎゆくままに」と訳してもあながち間違いではありません。時が経つにつれて、時が経つままに、物事は変わります。恋も変わります。これがRickそしてSamの心境だったのです。SamはここでIlsaの言葉から、いや変わっていないことを察知し、この歌の本来の意味、それでも恋の基本は変わらない、その鍵となる“still”をことさら強調しながら歌うのです。すなわち、このタイトルは正確には“As Time Goes By,Still..”なのです。これで「時が過ぎても」になります。この映画は接続詞“as”と副詞“still”を軸に回る映画です。これが私のたどり着いたこの曲の解釈で、ここから情景を描いて歌うことにしています。このシーンでのDooley Wilsonは素人の私などには想像できない情景を描いて歌っています。Samとしての役柄を超えた何かを伝えています。これについてはいまた別稿で書きたいと思います。





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