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D. デネット意識の「多文書モデル」... 意識科学イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?(その3)


はじめに

「意識科学会イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?」(その1)(その2)の続く(その3)です。今回はD.チャルマーズ(David J. Chalmers)の指摘するハード・プロブレムの存在を全面否定するD.C.デネット(D.C. Dennett)の見解を覗いてみます。代表著書の一つConsciousness Explained  『意識は説明された』(1991 Back Bay Books) の5章Multiple Drafts Versus The Cartesian Theater「多文書 vsデカルトの劇場」(pp.101-138)で説くMultiple Drafts Model of Consciousness「意識の多文書モデル」が彼の主たる見解です。

デネットは、オックスフォード大学でギルバート・ライルGilbert Ryleに師事し、その著書The Concept of Mindの影響を多分に受け、哲学者であり、神経学者であり、AI学者であり、はたまた、プロのバリトン歌手でもあるらしく、その幅広い知識と才能に圧倒されてしまいます。

筆者が慶應義塾大学SFCの研究会で必ず取り上げた一冊がConsciousness Explainedです。500ページにおよぶ大作でとにかく難解です。それで『心と意識のハードプロブレムー最新脳科学』(1997、学習研究社)のインタビュー記事「現代のスーパースター・ダニエル・デネット教授に聞く、意識の多文書理論」(pp.52-71)「難解・複雑多文書理論のエッセンス」(pp.65-71)もサブ・リーディンとして推奨しました。矢沢サイエンス特派員Peter Catalano氏が問題点を手際よく整理した上でデネットに質しており「多文書モデル」の分かりやすい解説であると思います。

意識の多文書モデル

デネットの多重文書モデルは、近代科学では主流とされてきたデカルトの心身二元論 (Cartesian dualism)を否定する物質論的、唯物論的一元論モデルです。脳brainと心mindは分離しているというデカルトの主張に対し脳こそ心そのものであることを証明しようとしたモデルです。デネットにとって、物質論者の多くは実のところ二元論に迎合しているとしか思えません。感覚(脳)をイージー・プロブレム、意識(心)をハード・プロブレムに分けたD. チャルマーズなどはその最たる例ということになります。

そうした風潮に対し、意識(心)が感覚(脳)から生ずることを説く「多文書モデル」をもって、心身二元論に陥ることなく「意識を説明できた」
”consciousness explaind”と声高に宣言するわけです。意識をハード・プロブレム、物質的感覚をイージー・プロブレムとして2項対立させ両者は異次元と主張するD. チャルマーズに対しては、意識の問題は感覚の問題の延長として説明しうるものよってハード・プロブレムは存在しないと断言します。

いかに「デカルトの劇場」The Cartesian Theaterを避け「結びつけ問題」The binding problemを説明するか


Denett's Consciousness ExplainedのChapter 5 Multiple Drafts vs The Cartesian Theater (pp.101-138)

デカルトは脳の中には感覚器官から入ってくる物質的な感覚情報をすべて集める司令部のような場所(松果体とされる)があり、そこには小人 a little
man  homunlulus のような観察者がいて集められた情報を見て解釈し外部世界を再生してくれると想像しました。要するに、デカルトの二元論dualismでは、脳=物質=感覚と心=非物質=思考を分けた結果、脳の中に送られてくる感覚情報と思考を結び付け再現する場所と何者かが必要になるということです。

もちろん、感覚情報同士が結び付けられ統合されるといういわゆる「結びつけ問題the binding problemは物質論者デネットにとっても究明すべき重要問題です。しかし、その結びつきが一か所で起きると考えたら、結局デカルトの二元論から脱し切れていないことになると批判します。しかし、神経学者の多くが物質論を唱えながらも結びつきが一か所で起きると思い込みその場所の特定に関心を寄せているのが現状だと嘆きます。デネットは、まだ「デカルトの劇場」The Cartesian Theaterを探し求めているともじるのです。

多文書モデルMultiple Drafts Modelとは

Section 2 Introducing the Multiple Drafts Model in Denett's Chapter 5 (pp.111-115)

それでは雑多な感覚情報を脳内のどこでどう「結びつけ」bindingされるのでしょうか。デネットは一か所ではなくいくつもの場所で同期に並行しておきる同時多発的活動でありそこに意識が生じると主張します。当時発表された次の研究成果に呼応したようです。

まず、1986年の、脳の各所に散在する神経細胞(ニューロン/neuron)が刺激により発火し毎秒40回(40ヘルツ)同期振動し、1990年にはこれが脳内に共通する同期振動数であるという研究です。そして、極めつけは、視床の髄版内核intralaminar thalamic nucleiが脳全体をスキャンしメッセージを送ると皮質領域が返答メッセージを送り「結び付け」bindingが起きているとの報告です。

これにより「結びつけ」bindingはある特定の場所ではなく、脳の多数の神経回路が同期に反応して起きていると見方が成立すると考えます。髄版内核はあくまでもスキャンしてメッセージを送るだけで、「結び付け」は脳の複数個所の神経回路が同期並行反応して起きることになるので、情報を一か所に集め「結び付け」て統合する中央指令所的場所である「デカルトの劇場」は存在しないということになります。

意識は中央からコントロールされた明確な一つの流れではなく、並列した多数の神経経路が種々雑多な回路を形成し種々雑多な行動を起こそうとする草案draftsのようなも、これを比喩的に「多文書」multiple draftsと呼んでいるわけです。当然、横並びの神経経路の特定回路が一斉に反応してdraftsを出すからには乱立は避けられず、このままでは意識は定まることなく、脳の中はいくつものdrafts王国が割拠する戦国時代のような混とんとした状況に陥ってしまいます。

しかし実際には私たちの意識は通常整然としているのでは何故か。デネットは、B.F.Skinner(新)行動主義心理学  behaviorismの刺激と反応による学習とダーウインの自然選択を引き合いに、前頭葉を中心に多文書が乱立した混とん状態に一つの方向性を示唆し連合させる作用が働いて整然な状態を保つと説きます。

このほか現象学phenomennology(異現象学heterophenomenology)など、意識consciousnessにまつわる重要な諸要素について多角的に議論していますが、今回は「多文書」の要点に留めました。

「多文書モデル」に基づきヒューマノイド・ロボットを作るCog Projectを始めるも

デカルトの劇場に代わる「多文書モデル」には、彼の著書を見る限り確たる実証データがなく、哲学書ならまだしも科学的論文としては信ぴょう性を欠くという印象は拭えません。筆者の言語学、言語哲学分野でも次回(その4)で取り上げるChinese Roomを考案したジョン・サールが批判しています。

それでデネットはすぐさま大胆な実験に挑みます。MITのCog(Project)への参加です。意識の「多文書モデル」を現実に再現できれば動かぬデータになるります。外観から内部までヒトにそっくりで意識を持つヒューマノイド・ロボットhumanoid robotを作る実験に着手しました。その目的、趣旨、進捗状況の詳細はDennett: Making a Conscious RobotThe Cog Project: Building a Humanoid Robotなどにあります。ただ、Cog(Project)を覗いてみると、

”As of 2003, all development of the project had ceased.Today Cog is retired to the Massachusetts Institute of Technology museum."

と、プロジェクトは2003年に終了し、ロボットはMITテクノロジー博物館に飾られていると記されています。あまり芳しい結果ではなかったようです。

The Socity of  Mind の著書M.ミンスキーは、AIはソフトウエアの開発であり、ロボットを作ることではないと批判したようですがその真偽はともかく、次回(4)で取り上げるStrong AIかWeak AI かと問われれば、デネットの挑戦は前者であったと言えます。いみじくもOpenAIなどが普及しその是非が問われる現在、失敗?に終わったとしても、この実験は無視できません。AIに関する議論のきっかけになっていることは確かです。

大変残念ですが、デネット博士は本年4月に逝去されました。82才の生涯でした。賛否両論の議論に動じることなく絶えずその交差点に立ち続けた巨星です。恐らく自らの議論も含めすべての議論を全社会の脳にthe mind of the society に同期並列に乱立する「多文書」multiple draftsとみなし、どれが適応し自然選択されていくか見極めたかったのではないでしょうか。関心をもたれた読者はTEDレクチャーなどお勧めします。

(4)に続きます。

参考文献

・Chalmers, David J. The Conscious Mind. (1996, Oxford University Press)
・Dennett, Daniel. Consciousness Explained. (1991, Back Bay Book)
・「現代のスーパースター・ダニエル・デネット教授に聞く、意識の多文書理論」『心と意識のハードプロブレムー最新脳科学』(1997, 学習研究社)に収録(pp. 52-64) 原文出版の有無について問い合わせたところないとのこと。
・「難解・複雑多文書理論のエッセンス」『心と意識のハードプロブレムー最新脳科学』(1997, 学習研究社)に収録(pp. 65-71) 
Behaviourism | Classical & Operant Conditioning, Reinforcement & Shaping | Britannica
Heterophenomenology, A limited Critique
Cog(Project)https://www.britannica.com/science/behaviourism-psychology
Dennett: Making a Conscious Robot
The Cog Project: Building a Humanoid Robot
















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