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『パパラギ』エーリッヒ・ショイルマン(岡崎照男・訳)
約100年前に南国サモアに1年滞在したドイツ人の作家が、サモアの原住民になりきって「パパラギ(ヨーロッパ人の意)」の文化や価値観を痛烈に批判する。なんとも独特な一冊。
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お金なしで生きていけないなんて、なんて不自由なんだ
この本は、サモアのある部族の酋長がヨーロッパを見学してきたあとに帰ってきて部族の仲間に対して、旅のさまざまな経験を演説という形で語り聞かせるという形式で書かれている。
おまえたちのだれも、白人の国ではお金なしには生きてゆけない。日の出から日の入りまでほんの一日も。金がなければ、とても。お金がなければ、飢えも渇きもしずめることはできない。夜になってもむしろもない。お金がないというだけで、おまえはファーレ・プイプイ(刑務所・牢屋)に入れられてしまうし、束になった紙(新聞)にも名前を出されてしまう。
現代のサモアは、アメリカ資本による漁業開発の結果として、当然のように貨幣経済社会へ移行している。ただ、1年を通じて気候が温暖で壁のない柱と屋根だけの家に住み、海に行けば魚が豊富に採れる島国の生活からすると、なんでもお金を使わなければ行けない生活のほうがよっぽど不便に見えたに違いない。
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まるで病気みたいに時間に追われているじゃないか
この箇所が一番心に残った。するどい洞察にドキッとさせられる。
これはある種の病気かもしれぬ、と私は言う。なぜかというとこうなのだ。かりに白人が、何かやりたいという欲望を持つとする。その方に心が動くだろう。たとえば、日光の中へ出て行くとか、川でカヌーに乗るとか、娘を愛するとか。しかしそのとき彼は、「いや、楽しんでなどいられない。おれにはひまがないのだ」という考えにとり憑かれる。だからたいてい欲望はしぼんでしまう。時間はそこにある。あってもまったく見ようとはしない。彼は自分の時間をうばう無数のものの名前をあげ、楽しみも喜びも持てない仕事の前へ、ぶつくさ不平を言いながらしゃがんでしまう。だが、その仕事を強いたのは、ほかのだれでもない、彼自身なのである。
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まとめ
短い本で文章も難しくないのでサクッと読めます。SDGsやポスト資本主義など、「今のままじゃ、そろそろ限界だよね」ということが様々な文脈で語られるようになっている現代。100年前の古本から現代の課題を改めて考えてみてはいかがでしょうか?
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