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無駄な食糧備蓄はやめよう

ただし、災害対策としては重要

食糧危機対策として食糧備蓄をするのは無理がある

 食糧危機を理由とした食糧備蓄をするように煽る記事や動画が目立つが、実際のところ、日本に住む場合、災害対策として食糧も含めてある程度の備蓄を持つことは、必要だろうと考えられる。
 しかしながら、国家レベルで食糧危機に陥った場合、それを凌ぐだけの食糧備蓄を個人で行うことは、事実上不可能だと考えられる。国家レベルの食糧危機というのは、例えば数日から数週間で解決するようなことではなく、年単位で食糧が不足する状態を指す。しかもその不足の程度は、多くの国民が栄養不良に陥るほどのレベルということである。
 そうした事態が起こるとしたら、それは、日本の国土が戦場になってしまった場合等に限られるであろう。地上戦でなくても、海上封鎖にあって、半年とか1年といったかなり長い期間、食糧の輸入がストップしたような場合も想定はされる。
 問題は、そのような事態に至った場合、日本が国家として存続できるのかどうかという危機だと考えられ、多少の食糧備蓄等では、到底対処しきれないものであろう。日本が孤立無援な状態で、戦争に巻き込まれることが、絶対にないかといえば、完全否定はできない。ただ、それは、世の中には、なんでも起こり得るという意味で、否定できないわけで、現実的なリスクとして、今すぐに対処すべきものではない。そこまでの危機であれば、対処のしようもない。
 地上戦になっていれば、食べるものだけがあったところで、安全ということではないだろう。むしろ、何とかして、安全な国に逃げるといったことを考えるべき状況だと言える。とはいえ、日本は、海に囲まれた島国で、どこに逃げたら良いのかもわからない。食糧さえ輸入できない状況では、人間が安全に国外に脱出する方法などないのかもしれない。
 要するに、日本としてすべきことは、そのような事態(侵略されるような事態)に陥らないように、できることを普段からしておくということに尽きる。それには、外交だけでなく、自衛力、抑止力を高めておくことも含まれる。抑止力がなければ、外部から侵攻される可能性が高まるのは事実である。ロシアにしても、ウクライナの防衛力を過少評価していた面はあるにせよ、軍事的勝利を短期間で得られるという判断で侵攻したはずである。
 日本の取るべき道は、独自の防衛力の増進だけでなく、アメリカという同盟国との関係性を強化し、他国からの侵攻に対する抑止力を保つことであろう。食糧安全保障についても、同様の考え方が取れる。同盟国、友好国からの食糧供給を確保しつつ、安全に輸入できる体制を維持していかないと、国民の健康や安全は保てない。そうした意味では、それが最優先事項であり、現実的対処法でもある。
 個人として、長期(1年以上)に対応できる量の食糧を備蓄するというのは、物理的にも難しいし、経済的にも大きな負担になるだろう。従って、現在の状況下において、日本に居住する者が、個人的に独自の食糧備蓄を行うということは、決して勧められない。

災害対策としての食糧備蓄

 日本は、災害大国であり、日本列島は、常に大震災等のリスクにさらされている。東日本大震災の記憶は、私自身も鮮明に持っており、大災害において、どのようなことが実際に起こるのかについては、ある程度認識している。もちろん、東北の最も厳しい被災地で実際に被災した方々に比べれば、認識の程度は、低いかもしれない。それでも、東日本大震災以前と以後では、意識が変わったのも事実である。
 常に備えを忘れないという意識を、持つようにはなった。具体的に言えば、本当に被災したときに持っていないと困るものをしっかりと準備しておこうというものだ。それは、食糧だけではなく、様々な分野の物品になるが、本論においては、議論の対象を食糧に絞り込んでおきたい。
 大震災等の大規模災害に遭った場合、水や食糧は、簡単に手に入らないこともあり得る。実際、水は、最優先であるため、自衛隊等の災害対応のプロが、給水車を出動させることになるが、それでも、激しい被害に遭った被災地には、給水車がタイムリーには、現場にたどり着けない事態も想定しなければならない。
例えば、東京首都直下型の大地震が起こった場合、そもそも、給水車のキャパシティでは、対応できないことも十分にあり得る。東京都だけでも夜間人口1400万人弱、昼間人口は1600万人程度と推定されるため、それだけの人々が必要とする水の量は、莫大なものとなる。生存のために必要な飲料水だけでも、一人当たり3リットルとされるので、昼間人口を前提とした場合、単純計算で5万トン近い飲料水を毎日必要とすることになる。もちろん、東京全域が断水になるというような事態は、おそらく起こらないだろうが、最悪の事態に備えるという意味では、そこまで想定しておく必要がある。
そうなると、給水車で対応するというのは非現実的で、やはり日頃から、個々人がある程度の期間に相当する量の飲料水を確保しておく必要があるだろう。せめて1週間は、耐えうるだけの飲料水は、用意しておきたい。
同様のことは、食糧についても言える。食糧の方が、輸送に係る時間や人的負担が大きくなるため、こちらも、自前である程度の量を準備しておかないと、間に合わないだろう。そうした最悪の事態における生存可能性を高めるために、個人として準備しておくべきリストをまとめてみた。色がついている部分が、災害用に別途備蓄しておく分で、約1週間分を想定している。それ以外のものは、普段から使っているものを、通常より多くストックしておくという発想である。通常使う分に加えて、少し先回りして買い置きをしておくということになる。その分だけ、普段の量よりも多くなるので、それを明確化してみるためにリストに入れた。
この表は、政府の公表している資料を基に、多少のアレンジを施したものである。成人一人当たりの標準的な必要量を計算してみたところ、このようなリストになった。もちろん、個人差はあるとしても、標準的には、災害対応といえども、これだけ大量の水と食糧の備蓄が必要になる。家族が多ければ、その分だけほぼ比例的に増えることにはなる。
意外と大量なので、自分でリストアップしてみて、少々驚いた。意識が変わったとは言いながらも、十分な準備ができていなかったことを痛感した。これ以外にも、飲料ではない水の確保(トイレ用等)もあるので、かなり大量のストックにはなってしまう。さらに言えば、車を持っている人であれば、ガソリン(あるいは軽油)を常に半分以上は入れておきたい。常時満タンというわけにはいかないが、半分以下になったら給油しておくべきであろう。EVは、充電インフラが回復するまでは、使用を諦めるしかないだろう。
私個人としては、完全な体制を即座に整えるのは簡単ではないが、今後、少し時間をかけてでも、自分自身と家族のための準備を進める方針である。災害大国日本で安心して過ごすためには、こうした自助努力が必須のことだろうと思っている。

食糧危機対策の備蓄は物理的に不可能

 こうして見てみると、災害時の一時的な(せいぜい数週間程度の)供給不足や供給途絶に備えるだけでも、大量の備蓄が必要になることがわかる。これを単純に10倍とか100倍とかいったスケールに 拡大することは、普通の人には不可能であろう。
 そもそも金銭的負担が大きすぎるし、物理的に置いておく場所すら確保できない。しかも、日持ちをするものだけで構成するとしたら、準備しつつ消費もしなければならないので、普段の食生活を基本的に非常食セットで済ませる覚悟まで必要になる。
 結論としては、個人で、世界的食糧危機に備えた食糧備蓄を行うことは不可能であり、仮にできたとしても、非常に不自由な生活を日常的に送ることになるということだ。
 何らかのビジネスを意図してなのか、食糧備蓄を勧めるような言説が、ネット上には流布しているが、鵜呑みにするのは、止めた方が良い。

食糧安全保障の観点

 個人としての対応が不可能である以上、国家レベルでの食糧安全保障体制の構築が求められる。日本にとっては、アメリカ、カナダ、オーストラリア等の食糧輸出大国と友好関係を維持し、常に最優先の輸出先として認識され続けるように努めるべきである。
 一方で、中国のような国を、食糧調達源とすることは、決して勧められない。仮に中国の農産物が低価格であったとしても、食糧安全保障の観点から、中国のような国への依存度は、極力低くなるようにすべきである。中国からの食糧輸入が、完全に止まったとしても、成り立つような食糧調達体制を、整えるべき時期になっていると判断される。

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