現在どんな活動をしているのか 改めまして、中山知之(なかやまともゆき)と申します。 これまでの人生や社会人経歴などはこちら 今回は、私が個人事業主としてどのような活動をしているのかという点と、その活動の簡単な背景や想いなどについて書いていこうと思います。 私はこれまで、国内外を含め様々な自分なりの挑戦をしてきました。 私という存在を一言で表現するならば、「生きたいように、生きている人」かなと思います。 先に結論から書きますと、現在私は下記3つの活動を主にしています
ここで簡単に自己紹介*紆余曲折があり過ぎて文字にしたら長くなったので箇条書きにしました笑 プロへの切符を捨てて、目標のない人生を踏み出した 少し私の背景からお話しさせてください。 私は3歳から23歳まで約20年間サッカーを続けていました。 12歳の頃に大きな転機があり、日本サッカー協会が設立した「エリート人材育成機関」と呼ばれるチームに選抜され、親元を離れて中高6年間を過ごしました。 そこではプロサッカー選手になることが当然の環境下で、当たり前のように「世界」「夢
今回は、僕のお恥ずかしい過去を書くことになります。 変なプライドは無いので、全力で恥ずかしい過去をシェアして読者の皆様の少しでも役に立つ気づきを与えられればと思います。 最後まで読んでいただければ、下記の3点についてのヒントが期待できるかと思います。 まずは、僕が死を考えるに至った経緯から書いていきます。 当時の僕には苦しかった、というだけで、胃もたれするようなヘビーなものではないので安心して読んでいただければと思います。 人生の転機人生の大きな転機がありました。
あなたは、スポーツをしている学生に対して、社会がどのように評価しているのかを考えたことはあるだろうか。 学生であるみんなは、スポーツの持つ本来の価値は何なのかを今一度考え直す必要がある。 そもそも、スポーツ=体育という認識であるならば、今すぐに。 体育会系 私の経験を紹介したい。 大学4年になる頃、とある「体育会系向けの就職セミナー」に参加した。 私たちに向けられた言葉に、唖然とした。 「あなたたちは体育会系出身です!会社や企業が考えている体育会系出身とは、元気に大き
今回は、教育についての私見を綴りたい。 そもそも教育とは何だろうか。 教育とは「教え育てる」と書くのだが、 私が思う教育は、”教育”という字とはどうも合わない。 「教育」という字からは、”教える側”と”教わる側”の二つの立場が受けて取れる。 それは、一方が知らないことを知っている側が教えるということであり、 一般的に言うと、大人が子供に教えるということだ。 (大人の方が子供より知っているという前提がある) しかし、人に何かを教えることが教育だと言えるのだろうか。 大人
あなたの周りに、「あの人は何でもできる」と思うような人はいないだろうか。 私たちはそういう人に会うと、「すごいなあ」とか「羨ましいなあ」などと思う。 実は私も、「あなたは何でもできるね」と幾度か言われた経験がある。 それを言われることに対して何を思うわけではないが、同時に違和感を抱いていた。 ただの褒め言葉として使う分にはわかるのだが、「あなたは何でもできるね」の言葉の裏側に、「私にはできない」というニュアンスが含まれている場合が多々ある。 私にはできないこと
人の世である限り、人は常に他人からの評価を受ける。 その評価内容の大小はあれど、家族・友人・上司・同僚・先輩・後輩・先生・指導者など、 自分とあらゆる関係を持つ人間(現代ではSNSなどの普及により直接的関係を持たない不特定多数から受ける場合もある)から評価される。 時に、 「みんなから認められたい」 「周りから評価されると嬉しい」 という思いを持つ。 周りの人間(特に本人にとってメインとされる場での関係)から評価されている時は、それが自信に繋がり、事は順調に進んでいく。
これまで多くの方々と話をする機会がありました。 その度に 「私は〇〇がしたいです」 「私は〇〇をしようと考えています」 という話をしてきました。 ある大人は(少数) 「それ面白いね」 「やった方がいいと思う」 と言い、 またある大人は 「そんなこと出来るの?」 「そんなの無理でしょ」 と言います。 そして、お決まりのフレーズ… 「世の中そんなに甘くない」 結構言う方が多いです。 私自身言われたこともありますし、よく耳にする言葉でもあります。 では、「世
この言葉を耳にしたことのある方は少なくないと思います。 古代ギリシャ哲学者・ソクラテスの有名な言葉とされています。 私は大学時代に哲学の講義でこの言葉と出会いました。 この言葉の指す意味は というものです。 私は"知らないということを知っている"とソクラテスは言います。 ??? いかにも哲学っぽいですね。 少しピンとこない方のために補足を。 ソクラテスの見解は、 何が真理なのかについては私自身も周囲の人間も分かっていない。 分かっていない、という点においては皆同じで