できる人とできない人
あなたの周りに、「あの人は何でもできる」と思うような人はいないだろうか。
私たちはそういう人に会うと、「すごいなあ」とか「羨ましいなあ」などと思う。
実は私も、「あなたは何でもできるね」と幾度か言われた経験がある。
それを言われることに対して何を思うわけではないが、同時に違和感を抱いていた。
ただの褒め言葉として使う分にはわかるのだが、「あなたは何でもできるね」の言葉の裏側に、「私にはできない」というニュアンスが含まれている場合が多々ある。
私にはできないことをあなたはできるから良い、もしくは羨ましい、といった具合だ。
何故か、初めから"できない設定"で話を持ちかけてくるのだ。
私は恐らく、ここに違和感を抱いていたのだろう。
私は基本的に"できる設定 "の人間だ。
これは、自分に自信があるのとはまた微妙に違うと捉えている。
ここからは、
"できる設定"の人と
"できない設定"の人の
両者の違いを考察していきたい。
これらを紐解く鍵は、成功体験にあると考える。
一輪車
遡ること小学生時代。
私の小学校にはサッカーゴールが2つ設置されており、校舎に近い側が1~3年生用、その反対側が4~6年生用とされていた。
そのルールの下で、ゴールを使うためには基本的に早い者勝ちだった。
当時の私は大の運動好きで、毎日休み時間になると鬼ごっこだサッカーだドッヂボールだと忙しかった。
小学5年生の頃、反対側のゴールを確保すべく必死に走っていた時、ふと考えた。
「最も早く反対側のゴールに辿り着く方法は何か」
そして周りを見渡した時、ある物が目に飛び込んだ。
一輪車だ。
(これだ…!)と思った。
当時の私は、車輪が付いている物=人間より速いという認識があった。
(車、自転車など)
その日から毎日、全ての休み時間を利用して一輪車に乗る練習をした。
運動には自信があったのだが、これが想像以上にできない。
何かに捕まっている状態ですらその場にいることさえ難しい。
何度も試しては何度も派手に転び、その都度立ち上がった。
七転び八起きどころの騒ぎではない。
そして練習開始から2週目に入る頃、ようやく念願だった反対側のゴールまで辿り着いた。
あまりの嬉しさに、ゴールポストに掴まりながら「できたー!」と一人で叫んだ記憶は、今でも鮮明だ。
できる数=試した数➖諦めた数
私にとってこの一輪車の話はほんの一例に過ぎず、これまで大小含め幾つもの成功体験を積み重ねてきた。
その結果、"やればできる"ということが体に何となく染み付いている状態にあるようだ。
しかし振り返えると、もう1点に気がつく。
それは、
できないと諦めたこともたくさんある。
という点だ。
例えば今年、インターネットを通じでプログラミングの勉強を始めた。
根拠も無くできると思って始めたのだが、3ヶ月程が経過した頃、ある時点までいった後に「あ、これは向いてない」と思い、諦めた。
私はこれまでに、できると思って始めて、「あ、これは向いてない」と思って諦めたことも多々あるのだ。
所謂、"失敗した"と呼ぶものだろうか。
何かをするにあたり、生まれ持った才能やセンスといったものが反映するのは事実だと思う。
恐らく私には、プログラミングをする上でのセンスがなかったのだ。
考えていくと、"何でもできる"と言われる人は、
"何でもできる"(人より多くのことができる)のではなく、"人より多くのことを試した"結果、"当たった数が人より多い"のではないか、ということが見えてくる。
言い換えると、あなたが"何でもできる人"だと思う人は、
"何でもやってきた"結果、あなたの数倍失敗をし、それらを経て"できるようになった"のだ。
つまり、やらないのなら、できるようになるわけはないのだ。
そして、もう1つここで言いたいことは
"できない"ということを分かるのも学びである。
ということだ。
学びというのは、単に吸収することだけでなく、破壊の側面も持っており、省いていくことも同じ意味を持つ。
では、どうするか。
私は、結局人は自分が経験したことからしか本当の意味での理解はできない、と考えている。
だからこそ、自分の中での成功体験を積み重ねていく必要があると思う。
成功体験を積み重ねれば、あなたのマインドは自然と変わる。(自信があるというより、やればできると認識している)
"できない設定"の自分から
"できる設定"の自分に変えたければ、
日々小さな成功体験を積み重ねていくだけだ。
そもそもあなたは、"できる人"なのだから。
P.S. 私も"できる人"になりたい内の1人です。
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