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スポーツの価値を1/3にするあなたへ

あなたは、スポーツをしている学生に対して、社会がどのように評価しているのかを考えたことはあるだろうか。

学生であるみんなは、スポーツの持つ本来の価値は何なのかを今一度考え直す必要がある。
そもそも、スポーツ=体育という認識であるならば、今すぐに。

体育会系

 私の経験を紹介したい。
大学4年になる頃、とある「体育会系向けの就職セミナー」に参加した。
私たちに向けられた言葉に、唖然とした。

 「あなたたちは体育会系出身です!会社や企業が考えている体育会系出身とは、元気に大きな声で挨拶をし、何でも言うことを聞き、先輩に声をかけられたら手を止め即座に立ち上がり、どんなに辛くても強い根性で仕事に臨むことです!」

私は、これが平気でセミナーとして成立していることに気持ち悪さを覚えた。
ただ驚くべきは、必死にメモを取る学生たちの姿があったことだ。
これが現状だとは思いたくなかったが、紛れもなく事実だった。

スポーツの本来の価値とは

 私のこの経験から、スポーツが持つ本来の価値について考察していきたい。

スポーツを通して学んできたことは、社会で十分に活かせる。
私は、このことを否定したいわけではない。

 まず、「体育会系」という表現は釈然としない。
この言葉はなにを意味するのか?
無意味な枠組みにスポーツ経験者が当てはめられ、歪曲されてはいないだろうか。
私には、「体育会系」という言葉の裏に、スポーツの本来の価値から程遠い捉え方が見え隠れする。

 これはなにも、このセミナーに限った話ではない。
例えば、スポーツ経験者自身が発する、
「私はサッカーしかしてきていない」
という表現だ。
実際、私の周りにも多くいる。
捉え方によっては、
「私はサッカー以外のことはできない」
とも受け取れる。
私はこの言葉から、スポーツに対する認識がいくつか欠けていると思う。

教育の"三要素"

そもそもスポーツは、三育の全てを養うのに有効である。
三育とは、「知育・徳育・体育」のことであり、わかりやすく言い換えると「頭・心・体」の三要素を育むことだ。
スポーツは頭を使いながら体を使い、フェアプレー精神を学ぶ。
まさに、三育全てに関わる要素を持っている。

 しかし、日本社会では「スポーツ=体育」としての認識が未だ根強く、
体育として身につけたもの(動ける、声が大きい、タフetc)に視点が置かれてしまうことが多い。
これでは、三育の内の体育だけ、つまり、スポーツの本来の価値を1/3にしていることになるのではないか。

「私はサッカーしかしてきていない」
という発言は、こうした認識のもと発せられた具体事例と言えないだろうか。
私は、こうした捉え方は個人として大きな損をしているし、社会としても大きな損失だと考える。

 体育会系向け就職セミナーなど、そもそもなくなってほしいというのが本音だ。
ただ、それが食い止められないのならば、せめてこれを読んでくれているあなたには届けたい。

・スポーツ=体育だという認識は、今ここで改善すべきだ

今まさにスポーツをしているあなたは、スポーツを通して「頭・心・体」を鍛えているということを認識してほしい。 

現在あなたがしているスポーツを通して、どの要素が社会で活かせそうかを考えてみてほしい。 

こうして培われた力は、社会に出ていく時に必ずあなたの助けとなるだろう。
少なくとも、私がそうであるように。

 私は、スポーツが"イエスマン製造機"とはなってほしくない。

#スポーツ  #教育 #体育 #部活動 #学校

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