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"評価"に苦しむ人

人の世である限り、人は常に他人からの評価を受ける。
その評価内容の大小はあれど、家族・友人・上司・同僚・先輩・後輩・先生・指導者など、
自分とあらゆる関係を持つ人間(現代ではSNSなどの普及により直接的関係を持たない不特定多数から受ける場合もある)から評価される。

時に、
「みんなから認められたい」
「周りから評価されると嬉しい」
という思いを持つ。

周りの人間(特に本人にとってメインとされる場での関係)から評価されている時は、それが自信に繋がり、事は順調に進んでいく。
しかし、評価されていない時、人は"評価されていない"という部分に焦点を当てて苦しんでしまうことがある。

「今評価されていなくても、評価される時まで頑張ろう。」
と自ら奮起しながら物事に取り組める内は良いが、その気持ちには波があったり、
最悪の場合は、
「こんなに頑張っているのに評価されない」
と考え、評価している者への不満を抱いたり、自己嫌悪感に陥ってしまう。  

私自身、"周りから全く評価されない"ことと、"周りから大きく評価される"ことの両方の経験をしており、
"周りから全く評価されない"ということに、まんまと悩まされ苦しんだ内の一人である。

そこで、その両方の経験を振り返って考えていくと、ある点に気づく。

それは、
周りから全く評価されていなかった時も、周りから大きく評価されていた時も、それらを最後に評価するのは自分である。

ということだ。

つまり、その時周りから評価されていても、されていなくても、後に自分が当時を振り返った時に、"自分がやれることは全てやった"と思えるかどうかが重要なのだ。

このことを説明するにあたり、私の好きな言葉を1つ紹介すると共に、例を挙げて書いていく。

まず、

人事を尽くして天命を待つ
(じんじをつくしててんめいをまつ)

という言葉だ。
簡単に言うと、「やれるだけのことはやって、結果は運命に任せる」
ということだ。  

次に、例を挙げる。

A君が雪山で遭難したとする。

大吹雪で右も左も分からず、残された体力はほんのわずか。
今にも倒れてしまいそうで
どうにかしなければと焦る一方だ。
そこでA君は、
「こんなところで死んでたまるか」
と奮起し、少しでも誰かの目に止まるようにと必死に下山していく。
着々と体力を失い、意識も薄くなっていき、
最後にはその場に倒れこんでしまう。
しかし、その場だと人目に付きそうにないため、なんとか転がったりしながら、
少しでも広い場所へと必死に移動する。
そして、ついに限界がきて、体は完全に動かなくなる。
A君はもう、仰向けで空を眺めながら寝ることしかできない。
その時A君は、
「ああ、もうやれるだけのことはやった。」
と死を覚悟した。
その数時間後、A君は救急隊の目に奇跡的に留まり、一命を取り留めた。

この話の重要な点は、 A君の心境の変化だ。

ただ、A君は結果として"生き延びた"ため、つまるところそれは"評価されること"と同意義ではないか、とも言える。(頑張った結果生き延びれた点を評価できる)
しかし、もしそのままA君が誰の目にも留まることなく命を絶ってしまっていた場合(頑張った結果が現れず評価に繋がらない)、A君はその結果を嘆くだろうか。
私はそうは思えない。

A君は最後に、"やれるだけのことはやった "と自分で自分を評価した。
"死にたくない" から "もう死んでもいい" に変わったのだ。  

悔いはない という状態だ。


人生のオチは"死”である

この話を例として挙げたのは、私の生きていく上での一つの考え方にある。
それは、
「人生という物語の結末は死ぬことである」
という考えだ。

どれほど社会貢献した人でも、たとえ凶悪犯罪者でも、最後は皆必ず死ぬのだ。
"死"からは一人として逃れることはできない。  

では、オチが決まっているのなら、死ぬまでの間どう生きるのか。  

どう生きたいのか。  

私は、
「知りたいことを知ろうとした、見たいものを見に行った、やれることは全てやった。」
と思って、自分の人生の幕を閉じたい。

そこには、周りからの評価や意見は関係なく、行動した結果の良し悪しも関係ない。

最後に自分を評価するのは、他の誰でもなく自分で、その効果は最大である。

そうであるならば、現状のあなたに対する周りからの評価や、あなたの立ち位置について悩み、苦しむ必要はあるのだろうか。  

"周りからの評価"はそんなに価値のあるものだろうか。

大切な事は、その日自分が出来ることにどれだけ尽力できるかで、そこに自分の時間と労力を投資することである。

そして、ほんの小さな成長を毎日感じることだ。

終わりに、私の好きな言葉をもう1つ紹介したい。  

Don't worry when you are not recognized,
but strive to be worthy of recognition.
                            by Abraham Lincoln
(人から認められなくても心配するな。
しかし認められるに足る人物となる努力は怠るな。) 
   エイブラハム・リンカーン 米国第16代大統領

過去の私のように、周りからの評価に翻弄され
、苦しんでいる人のわずかでも助けとなれば幸いである。

#生き方  #悩み #評価 #人間関係 #考え方

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