連載小説 逃避行
文=青西04 (N高7期生・ネットコース)
最終話 過去から逃げたい男
その日の車はラパンで、横浜港まで運べばいいということだった。
平日の真昼間だからか、高速道路は比較的空いていて、SAを利用する人も少ない。
ガラガラでとめやすいSAの駐車場に車を入れる。
この分だと今日はおけらかな。
そう思ってラパンのドアを開けたそのとき、前から二人の男がこちらにまっすぐ向かってくるのが見えた。
お、来るかな。
二人連れはめずらしいな。
「こんにちは。神奈川県警の森谷と、こちらは警部補の小谷です。」
年かさの男の方がそういって警察手帳をこちらに示す。
そしてこう言った。
「野中 礼二さんで間違いないですよね。
お話伺いたいので、署までご同行をお願いします。」
そう言って二人して僕を囲む。
こうして僕は人生で初めて、パトカーに乗ることになった。
「これはあくまでも私の作り話だと思って聞いてください。」
神奈川県警の取り調べ室で森谷警部(警部さんらしい。エリートだ。)はこう語り出した。
「十数年前、とある地域で、二台の車が衝突した交通事故がありました。
その事故自体は、そんなに大きなものでもなかったのです。
しかし、片方の車の運転手は打ちどころが悪かったのか、不幸にも亡くなってしまいます。
そこで困ったのが、もう一方の車の運転手です。
昨日の今日まで善良な一庶民だった彼は慌てたのでしょう。
事故とはいえ人を一人殺めた人間としてこの先を生きていくにしては、彼はまだ若すぎました。
そして、その青年は警察に通報することなく、その場から逃げてしまいます。
これが、彼が犯した数ある過ちの始まりでした。
その日、帰宅した青年は一睡もできずにあくる朝を迎えました。
もうどこぞの発見者が通報しているだろうか、警察の捜査はどのくらい進んでいるだろうか、自分は今にも見つけ出され逮捕されるのではないか、そんな思いに駆られる青年。
しかしそんなことはお構いなしに、ポストに入れられた朝刊はいつも通り朝を告げます。
青年は投げ込まれた朝刊に交通事故の文字がないか必死で探しました。
そして自分の目を疑ったのです。
その朝刊には、夕べの交通事故のことなど一言も書いてありませんでした。
青年は新聞の隅から隅まで、何度も見返しました。
しかしまるで事故自体がなかったかのように、事故に関するどんな情報も見つけられませんでした。
新聞は情報が遅いのかもしれない。
そう思った青年はテレビをつけてニュースを見ます。
しかしいくら見てもキャスターは事故など報じません。
ラジオニュースを聞いてみても、事故には一言も触れません。
ひょっとしてまだ通報されていないのではないか、そう思った彼は事故現場を見にいくことにしました。
もしかしたらまだやり直せるのかもしれない、そんな淡い希望を抱いて。
しかし現実はそう上手くいきません。
人生は不思議なものです。
誰も予想しなかった方向に転がっていく。
なんと驚いたことに、そこには昨日の事故の痕跡など何もなかったのです。
壊れた車も、死体もない。
いつものように車と通行人が往来している道路が、そこにはありました。
自分は悪い夢を見ているのかもしれない。
怖くなってきた青年は、自分の車を売ってしまうことにしました。
幸い青年の車の被害は小さく、少し修理をすればまだまだ現役で動けそうでした。
そこで青年は買取会社に車を持ち込みます。
そうして無事に車を手放すことができたのです。
その後、何日経っても事故のことは報道されませんでした。
青年は、普通の日々に戻ることを許されたかのように思われました。
しかし事態は青年の予想よりもっと悪い方向に進んでいたのです。
ちょうど同じ頃、同じ地域で、違法な薬物を輸出して金を稼ぐ組織が活動していました。
組織は薬物を乗せた車を海外に輸出する中古車にまぎれさせ、貿易港から船に乗せて輸出していました。
ある日、いつものように薬を積み、港へと向かって運転していた車からの連絡が途絶えました。
そしてそのあとを追った組織の人間が、事故現場で死んでいる運転手を見つけます。
組織はすぐに車と死体を秘密裏に処理。
こうして、この事故は誰に知られることもなく、闇に葬られたのです。
しかしそれが、青年にとっていいことだったのかはわかりません。
不幸にも青年が車を持ち込んだ買取会社は、その組織が、薬の隠れ蓑である中古車を調達する場所として稼働していました。
事故と同時期に、車を持ち込んできた不審な青年。
その情報はすぐに上層部にも伝えられます。
しかし、考えてみればたまたま事故と同時期に車を売るような人間なんていくらでもいます。
青年とコンタクトを試みることを決めた上層部の人間だって、鎌をかけて乗ってきたらもうけものだという軽い気持ちだったのでしょう。
ほんの遊び心だったに違いありません。
そして、青年には一本の電話がかかってきます。
『お前のしたことは全て知っている。バラされたくなければ、指定の日時、指定の場所に用意された車を指定された港に運べ。』
こうして青年はその組織と関わることになりました。
もうお分かりでしょう。
あの日、自分の罪から逃げたばっかりに、さらに罪を重ねてしまった青年、それは若かりし日のあなたですよね?」
「......ずいぶんたくましい創造力をお持ちですね。そんな馬鹿みたいなこと現実にないでしょう。」
「私も証拠がないとこんなこと思いつきません。」
「......あるんですか?」
「あなたのボスやそのお仲間、ボスと呼んでいたかどうかわかりませんが......。
組織に関わっていた人間の大部分は、今日の未明に捕まりました。
取り調べが進んでいましてね、その中の一人がこう白状したのですよ。」
「そんな違法な組織の人間が言ってることを信じるんですか。」
「いや我々としてもね、そこの真偽を確かめたくてあなたにこうしてお聞きしている状況でして。あなたはどこまで知っていましたか? 」
「いやどこまで知っていたかも何も、僕は今も何が何だかわかりません。
普通に自分の車を運転してただけなのにあなたたちに連れて来られました。
僕が今言えることはそれぐらいしかありません。」
こうなることはわかっていたとばかりに森谷警部は無言で、写真を並べはじめた。
その写真には牛の青年を乗せているレヴォーグ、ミニスカートの女性を乗せているヴィッツ、先生を乗せているセレナの様子が映し出されている。
「レヴォーグ、ヴィッツ、セレナ。
全て我々が、輸出された先で押収し車内に違法な薬物が仕込まれていることを確認した車と、車体の色もナンバーも一致します。
そして全ての車にあなたが乗っている。
これにはどういった説明を?」
「......それは......。」
「まだ証拠が足りませんか? じゃあ、小谷くん、あれを。」
小谷警部補は、白い粉が入った小さな袋を森谷警部に手渡す。
「これはあなたが先ほどまで乗っていた車から押収されたものの一部です。
先ほどの検査で、違法な薬物であるという結果が出ました。
……これでもまだ私は想像力が豊かだと思いますか? 」
「......僕にもありますよね? 黙秘権っていうやつ。」
「もちろん。」
「じゃあ行使します。」
「どうぞご自由に。
……そうか困ったなあ。」
そういって森谷警部はおもむろに机の上に並べられた写真を手にとった。
そして隣の小谷警部補にわざとらしく話しかける。
「ここで黙られちゃうと、この写真に映ってる人たちにも話を聞かなきゃいけなくなるか、ねえ小谷くん。
この人たちの身元って割れてるんだよね?
……片っ端から捕まえていっちゃうってことも、今回の件だったらできなくはないよね。」
「その人たちは、その人たちは関係ありません! 」
森谷警部の目が鋭く光る。
「その人たち”は”? 」
あーあ、言っちゃった。
2時間後、僕はあっさりと釈放された。
「では組織に関わっていたことを認めるし、関わることになったあらましも大体さっき私が言った通りだと。承知しました。じゃあもう帰ってもらってOKです。」
「......え? 僕、逮捕されないんですか? 」
「何の容疑で逮捕したらいいんですか?
事故の件だったら事故があったこと自体警察が把握できていません。まだ時効じゃないでしょうけど。」
「......え、でもさっきの薬は? 所持してたら即逮捕じゃないんですか? 」
「あ、これ? これ、お砂糖です。お家から持ってきました。
あなたが今日乗っていた車からは何も発見されてません。
組織も我々がガサ入れてることに若干気づいていたんでしょう。
舐めてみます? 甘いですよ。」
「......そんな、そんなことってあります? そういう聴取の仕方って犯罪じゃないんですか。」
森谷警部の目が、今度は怒りを帯びたように鋭く光った。
「本物の犯罪者が、グレーな取り調べくらいでごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ。
あんたの行動はな、ずっと前から把握されてたんだよ。
わざわざヒッチハイカーを捕まえて乗せようとしてんのだってずっと前から見られてんだって。
本当はその時にいつでも現行犯でパクれたの。
あんたはただ泳がされてただけ。
あんたみたいな雑魚にかまって、組織本体にうまいこと逃げられでもしたらやってられないっていう上の方針で、泳がすように言われてただけなんだよ。
そもそも、今回の車に薬が仕込まれてないことを知らなかった時点であんたは組織と深く関わってる人間じゃない、ただ利用されてただけ。
薬物所持容疑で逮捕しようとしても、現行犯じゃないから、あんたが車に薬を乗せてることを知ってたっていう客観的確証が得られない限りできない。
社会じゃな、立証できる犯罪が犯罪になるんだよ。
……今警察官が一番言っちゃいけないこと言っちゃったな。」
そういって森谷警部は自嘲気味に笑った。
そしてまた、口を開く。
「......最後に、個人的に気になること聞いてもいいですか。
なんでわざわざヒッチハイカーなんて乗せたの?
まさか運転してもらってる間、自分は罪から逃れられるからとか、そういう幼稚な考えじゃないよね? 」
「......。」
その時、それまで一言も話さなかった小谷警部補が慎重に口を開いた。
「......見つけてほしかったからですよね? 足を、洗わせてほしかったんですよね? 」
「......みなさんのご想像にお任せします。
……ヒッチハイクするような人って、みんな面白いんですよ。」
「せいぜいもう逃げないように頑張ってください。」
森谷警部はそう言って僕を警察署の外に送り出した。
もう、逃げるものなくなっちゃったよ。
そう思って思わず上を仰ぐ。
魚の鱗みたいな雲を浮かべる空が、人生何度目かになる秋を告げていた。
逃避行 完
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