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箱の中に入れるもの。

自分のことを好きになりましょう。

たぶんこれは間違ってはいない。
肯定的でいられるほうが、生きやすいと思う。

だって、でも、自分なんて…で物事を捉えるよりも多分ぶつかる壁が少ないと感じる。

好きとは、心が惹かれること。
あと気にいること。じゃあ気にいるってどんなことかといえば、心にかなうこと。思ったまま、希望とかが満たされること。

でも正直満たされないから、不足している部分に目がいくんだよね。ぜーんぶ埋まってないと、完全でないと好きって言っちゃいけない雰囲気ってあるのかも?と学生時代から捻くれていた私は思っている。

自分を好きでいることと、自分勝手を履き違えている人も見てきたし、自分を好きでなくっちゃ!を押し付けてくるひともいた。

無意味で生きてる価値がなくて、私と息子の存在そのものが汚らわしいといった元夫。

そんなことない、と心の中で反発しながらも、言霊というのはすごいもので、そこから脱却するのに10年くらいかかったよ。

これではいけない、と思った12年前。場面ごとに分けて気持ちの整理を行うところから始めた。

わたしは何が食べたい?
私は何色が好き?
この素材の感触は好ましい?
季節は?
石の形は?
葉っぱの色はどう?

あと、今日できたことを数えること。
これは10年以上毎日ずっとやっている。

たとえば、今日はちゃんと寝られたこと。
息子を保育園に連れて行ったこと。
怪我した息子に付き添って病院にいったこと。
親だから当たり前なんだけど、当たり前のことも全部含めて「出来た」を重ねて行った。

ご飯が美味しく感じられる自分。
割と良いかもな。

絵は下手だけど、子供が喜ぶ工作を一緒にできる。料理も下手だけど一緒にクッキーを焼いた。
結構良い時間だったかも。

そんなふうに積み重ねて、土台が分厚くなってきてたものの、それでも自分のことが好きか、と聞かれると、どうかな?とまだ分からない。

でも認めることは出来るようになった。

空の色に気づける感性が取り戻せたこと。
好きな靴を履くとわくわくする気持ち。
その気持ちに気づけること。

変な柄の靴下を履くだけで愉快な気持ちになれること。そんな自分の一部は「気に入っている」。

色やお菓子の種類を選ぶように、自分の面白いところ、変だなーでも憎めないなぁというところをみつける。ぼろぼろだけど大事にしているものがあれば、そんな自分も大切。

自分のお気に入りを増やす。それは小さい頃おもちゃ箱が宝箱だったように、心を満たす時間をくれる。

大事なのはその宝箱にいれるものは自分が選ぶこと。たくさんのお気に入りを詰め込んでも良いし、やっと見つけたレアなものを大切に愛でるのもいい。自分を好きになるというより自分の「好き」を知るかんじ。

まずは箱へ何を入れよう、から考えてみる。

ここまでお読みいただきありがとうございました🐅

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