直嶋さいじ

1994年山梨生まれ/小説家/東大文学部2回目の4年生/人間の痛みに寄り添う小説を書く…

直嶋さいじ

1994年山梨生まれ/小説家/東大文学部2回目の4年生/人間の痛みに寄り添う小説を書く/新人賞取りたい/過去作を上げていきます

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  • 短編たち

    これまでに書いたものを小出しにしていきます。

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メトロ、オールバック、フルフェイス、ヘッドホン(4/16)

投稿者註)ずいぶんと日が開きました。  午後の収穫は、午前中よりも少なかった。寒さのせいだろうか。二年生の女の子の誰かは、学校のホームページに載っている新入生健康診断の時間割を見ながら、もっと人がいてもいいはずなんですけどね、と説明してくれた。  時折校門から警備員が出てきては、直嶋たちを校門のまわりから追い払った。  直嶋たち以外にも、大学から公認をもらっていない「悪質テニスサークル」で今日新歓(しんかん)しに来ているサークルがいて、彼らも校門の周りや駅から大学までの

    • メトロ、オールバック、フルフェイス、ヘッドホン(3/16)

      「いやー、なんかまじすみませんね~」直嶋の背後から、そう笑いながら言う大林の声が聞こえる。 「いえいえ! あれですよね、お友達なんですよね?」 「そうなのよ、中学とかが、一緒なんだけど」 「僕は頭悪くて……。直嶋くんに代わりに就活のテスト解いてもらっちゃおうって」 「なるほど……。確かに、先輩方みなさん頭いいですもんね」 「いやいや! 全然よ。受験から一年しか経ってない二年のみんなの方が、ずっと」直嶋がそう口を挟むと、ちょうど最後の問題が解き終わった。「よし、大林、

      • メトロ、オールバック、フルフェイス、ヘッドホン(2/16)

        「時間、半までだっけ」  スマホを使って、周囲に散らばっている新歓係(しんかんがかり)の二年生同期と連絡を取り合っていた彼は、弾かれたように顔を上げて、 「そうですね。それくらいからまた再開しようかなって。大丈夫そうですか? 時間は」後半はまぶしそうな顔をしながら訊ねてくる。 「たーぶん、大丈夫だと思う。もし万が一ちょっと遅れちゃったらほんとゴメンね。たぶん大丈夫だと思うんだけど」直嶋は話しながら自分のカバンからノートとペンを取り出す。 「いや、オーケーですオーケーで

        • メトロ、オールバック、フルフェイス、ヘッドホン(1/16)

          注)本文中の()内は、初出における、直前の語のルビ標記です。   意味があります。  これから大林(おおばやし)がここにやって来る。そのことを、直嶋はもう一度考えてみた。大林(おおばやし)をここに呼んでしまって、いいんだろうか。というか、大林(おおばやし)にここに来てほしいんだろうか。と、直嶋は考えただろうか。 「ごめんね! ほんとに」 「あ、はい! 大丈夫ですよ。それに、そんな時間かからないんですよね?」 「うん、十五分とちょっとくらい」  ともかく先に謝っておい

        メトロ、オールバック、フルフェイス、ヘッドホン(4/16)

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        • 短編たち
          14本

        記事

          「撮影」について

           前回、「遠景」掲載後にこのようなエッセーを上げたので、その慣例に従って。  写真は、写真自体の美しさはもちろんのこと、反射による写り込み(「二」性とでも言おうか)と、被写体の方が撮影者の方の愛する女性というところに惹かれて。  思いつくままに、この小説を書いているときに思っていた(と考えられる)いくつかの要素を書いていきたいと思う。所詮、自分のためのメモ。もっとわかりやすいようにしないとダメだろう。 ・この小説でやってみたかったこと  極限的な状況の中に登場人物たちを

          「撮影」について

          撮影(4/4)

           それでも、二人ともカメラのことを意識しているのがわかる。二人ともカメラの方は向かないにしているし、常に近藤が山崎さんの顔と身体を隠すように覆いかぶさっている。  しかし、普段よく目にしたりして馴染んでいるものでも、自分がいったんそこに当事者として加わると、途端に違った表情を見せられることがある。この撮影もまさにそれで、普段AVで見ているような画には到底ならないことが、やってみてよくわかる。演者の二人が撮影にあまり協力的でないというところを除いてもなお、スマホの画面に映る映

          撮影(4/4)

          撮影(3/4)

          「え、ちょっと、続けんの?」  ずっと息を殺して動いていたからだろう、そう言う近藤の声は喉に絡まって前半がうまく発音されなかった。僕と山崎さんは思わずまた笑って、視線を交わした。 「ちょっと待って、あんま見られると恥ずかしい」 そう言って彼女は脇にあったタオルケットの端で自分の胸を隠した。また視線を自分に覆いかぶさる近藤に戻す。そして「続けて?」と、いかにもそれっぽい表情で首をかしげて近藤にささやく。 「いや、AVかよ!」笑いながら近藤はそうツッコミを入れて山崎さんか

          撮影(3/4)

          撮影(2/4)

           そんな近藤・山崎カップルを前にして、僕は漠然と、ではなく、かなり明確に、畏敬、にも近い念を抱いている。つまり、自分には逆立ちしたって真似することはできないだろう、という思いである。もちろんそれの裏返しで、きっとあの二人には小説を(たとえこんなボロボロの小説であっても)完成させるなんてことはできないだろう、という僕自身の矜持もあったりするのだが、しかし書いていて不安になるのは、果たしてこの小説が本当にこのあと完成するのか、ということであったり、あの山崎さんには何かしら書けてし

          撮影(2/4)

          撮影(1/4)

          作者註)初出は、春の学園祭で販売された文芸同人誌『駒場文学』新歓号です。    似た者同士は仲良くなりやすいだろうか? これはけっこう難しい問題であって、安直に仲良くなれる場合もあれば、お互いが似ているからこそ嫌いあって全く仲良くなれないということもある。まあ、言ってしまえばケース・バイ・ケースということで、きっと仲良くなれるパターンとそうでないパターンがある。  では、その逆はどうだろう。つまり、自分と全くタイプが違う人とは仲良くなれるだろうか。もちろんこれもその相手

          撮影(1/4)

          「遠景」について、サークルについて

          写真は本日の本郷キャンパス、法文一・二号館。絵になるので。 蝉が鳴き始めていました。 まず、「遠景」を最後まで読んでいただいた方がいらしゃいましたら、心から感謝いたします。多くの方々が投稿を行っているnoteにおいて、読者の方がいるというのは奇跡的といいますか、正直「スキ」を頂けることにまだ十分な現実感を持てないでいます。 後でも述べますが、この投稿は徹頭徹尾、私自身のためだけの投稿です。投稿するのも申し訳ないのですが、可能性として人の目に晒される場にこれを出さないと意味

          「遠景」について、サークルについて

          遠景(4/4)

          (ひそめた声で)「はい! 武村です」 「武村君、上野です」 「あ、どうも、ご無沙汰しております」(背後で人の話す声)「はい、すみません。ちょっと電話が……」 「あ、ほかの人から電話かな。一旦切ろうか」 「いえ、大丈夫です。こちらのことでして」(人の話す声が遠ざかっていく。扉の閉まるような音が聞こえて、武村の声しか聞こえなくなった)「上野さん、すみません。全然お電話できなくて」 「メッセージくれたけどね、やっぱりちゃんと話したかったからさ。でも仕事中だったか、ごめんね

          遠景(4/4)

          遠景(3/4)

           しばらくすると、その司書は白い、長細い冊子を持ってやってきた。それは、老人が期待していた何かとは違った。 「こちらが県が出してる『交通事故のあらまし』っていうやつで、こちらが一番新しいものなんですけども、ええと、いつぐらいのものをお探しですか?」  いつごろか。そうか。「ああ、いつかな」 「じゃあこれが置いてある場所をご案内しましょうかね」 「はい」  案内されたのは、図書館の奥にある、いかにも資料が並べられていそうなところだった。 「こちらのあたりですね。県の

          遠景(3/4)

          遠景(2/4)

          https://m.youtube.com/watch?v=1QZfK9O3wOM 「すみません。起きてください。すみません」  言葉遣いは丁寧だが、声音は高圧的だ。「お食事のみに使ってくださいね、こちらは。ダメですよ。お休みになるんであればお帰り下さい」  あの人たちは自分を起こしてくれなかったんだろうか。老人があたりを見回すと、ほかの年寄りたちはもう誰もいない。せめて一声かけてから行ってくれればいいものを。もういまごろはどこにいるんだろうか。つまらない。当てが外れた

          遠景(2/4)

          遠景(1/4)

           老人が今夜見る夢でも娘は生きているだろう。彼は最近、若かったころの夢をよく見る。それは、まだ妻が生きているばかりでなく、もっと昔、一家団欒のころの夢だ。まだ娘は生きていた。彼女にまつわる何かを思い出すという行為が、もうほとんど意味を持たないようになってから、何年が経っただろうか。限りなく繰り返されたということだけでなく、繰り返したその日々も共に折り重なって、老人には、もはや改めて意味を考えることは難しかった。確かにそれは起きたのであり、そのことそのものにおいては、もう何も起

          遠景(1/4)